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流浪一天  作者: Lotus
第十三章
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第十三章 二十七

 朝、傅朱蓮は部屋を出ると真っ先に史小倚を探し、呼び止めた。一晩中気になっていた、殷汪が連れて来た者が男だったか否か――ただそれを訊く為である。夏天佑という名を用いたと言っていた筈だが、史小倚ははっきりと『男』とは言っていない。女が男装してはいなかったかと訊くと、確証は無いが男だったと思うとだけ返ってきた。顔をちゃんと見ていればはっきりしそうなものだが、史小倚はその者には近づきもしなかったとでも言うのだろうか。とにかく女の様では無かった、とのことだった。

 

「何で女かも知れんなんて考えたんや?」

「ほら、武慶で清稜派の(もく)道長さまが仰ってたでしょう? 倚天(いてん)剣が売りに出されたって。方崖から持ち出した女が居るとか。殷兄さんが此処に戻った頃と似たような時期じゃないかしら。あの剣は殷兄さんが持っていた物――。方崖から持って来た女は、一緒に居たとも考えられると思わない?」

「怪我だか病気だかも判らへん容態の女なあ……。方崖飛び出して北辰のモンに追っ掛けられてやられてもうたんやろか。よう生き延びて此処まで来れたな」

「殷兄さんが助けたとか」

 狗不死は唸りながら首を傾げている。

「その、倚天剣持って逃げたっちゅう女な、多分、夏天佑の女やと思うけどなぁ。殷と入れ替わっとった事なんか知らんのちゃうか。おそらく女の方は殷の事、知らへんで」

「誰の女とかそういう事言ってるんじゃないの!」

 急に傅朱蓮の声が大きくなったので狗不死は首を縮める。

「ま、医者に訊いたらはっきりするやろ。(へい)先生とやらのとこ、はよ行こ」

 狗不死は傅朱蓮から逃げる様に、一人先に外へと飛び出して行ってしまった。だがどうせ宿の前で待っているに違いない。狗不死も平大生の屋敷の場所を知らない筈である。傅朱蓮は剣を腰に提げ、いつものように長弓を担ぐと急ぐ事も無く表に向かって歩き出した。

 その時、昨夜見たこの宿の客という黒装束の二人の男が居る事に気付く。と、同時に一人と視線が合い、傅朱蓮は焦りを隠しつつ思わず明後日の方向へと視線を彷徨わせた。努めて自然に、などと考えているとどうしても他所ばかり見ていられないものである。何気なく視線を男達の方向へと戻す。視線を合わせない程度に、しかし視界の端で男達がこちらを見ているかどうかも確認しながら。だが、傅朱蓮の目は男達から逃れる事は出来なかった。彼らが揃って自分をじっと見ていたからである。

「何か?」

 焦りもあってか、傅朱蓮の方から声を掛けてしまう。じっと見てくるなど失礼ではないかと言わんばかりの語気の強さだった。男の一人が口を開く。

「いや、その――背にあるその弓が気になったのでね。失礼致した。全く見かけない珍しい形をしている。私はそういった武具に興味があるものでね。いや、実に素晴らしい」

 言いながら男は傅朱蓮の顔では無く、その肩越しに見える弓を注視していた。

 傅朱蓮の持つ弓は確かに他には全く見かけない特殊な成りをしている。通常なら弓の中央を握りとするところをその弓は中央より下方に握りがあり、その上下で形状が異なっているのである。何を意図してそのように作られているのか、持ち主である傅朱蓮にも全て理解出来ているわけではなかった。それと同時に目立つのがその長さである。今、傅朱蓮の背にあるその弓は七尺から八尺はあるだろうか。

 黒を基調に塗られた地味な色ではあるがその存在感は常に注目の的となってきた。そしてそんな特殊な得物を背負う事で傅朱蓮もその矜持を保てるといった面もある。言わば自慢の一品であり、褒められれば当然だと思いつつも気を良くしてしまうのである。

「これは、この国の物ではありませんから、他にはおそらく無いのでは。私は旅をしていますが同様の物を目にした事はありません」

 まるで長年方々を旅して探し続けて来たかの様に喋ってしまう傅朱蓮だったが、ここはこれが非常に貴重なのだという事も自慢しておきたかった。その弓をじっと見ていく者はあるが、実際に声を掛けてくる人間はそう多くは無いからだ。

 男の一人は弓から目を離さないまま腕を組んで唸った。

「異国の弓……しかし何処の……これほど他に全く見ないというのはどういう事か? お嬢さん、どうかその長弓、近くで見せてはいただけまいか? 決して傷つけたりはせぬゆえ何卒、お許し頂きたい」

 男はそう言って立ち上がって恭しく頭を下げた。もう一人の方は興味が無いわけでもなさそうだが頭を下げてまで見ようとは思わないらしく、何も言わず遣り取りを眺めている。

 この二人、全く同じ型の衣服で揃えており、髪を結った布の色まで全て黒で同じである。腰にも同じ長剣。それに加えてもう一本、何かは判らないが同様の棒を長剣とは反対側の腰に差していた。体格も似たようなもので、違いは顔しかない。立ち上がって礼をした方は角ばった厳つい顔、もう一人の方は細く長い顔で無精ひげがあった。

 ふと傅朱蓮は思い出す。今、自らの腰に提げている青釭剣を探す者達ではないのかという最初の疑惑である。そして、それはどうやら違ったようだ、と傅朱蓮は見なした。何故なら彼らはどちらも長弓の方にしか興味を示しておらず、見せてくれと頼んできた男も、そして座ったままの男も、腰の剣には一度たりとも視線を移さなかったからである。武具に興味があるという目の前の男でさえ目に留めない、冴えない姿をした青釭剣。傅朱蓮はその隠れた名剣を不憫に思いながら心の中で苦笑した。

「おい、不躾にその様な事、失礼ではないか」

 座っている方の男が初めて口を開くとそう言って相棒をたしなめたが、傅朱蓮は既に見せてやろうという気になっており、

「少しだけなら――」

 そう言って背の長弓を外し体の正面に持ってくると床に立ててみせた。

 おお、と声を洩らしながら目を細める男二人。座っている方も無関心では居られなかった様で、上体を前方に傾けて傅朱蓮の長弓に見入っていた。

「西方では無さそうだな。あちらからの物はどれも単純で美しくない。だがこれは……」

「この成りはどういう意味を持つ? 真っ直ぐ飛ばせるのかも怪しい……。お嬢さん。あなたはこれを実際に用いた事が?」

 傅朱蓮はその質問に大いに満足げな笑みを浮かべた。

「勿論、何度もあります。実際に射てご覧に入れたい処ですがそうもいきません。残念ですが」

「これは、国内で求められたのかな? 西方でないとすれば南方……」

 一人が言うともう一人が膝を打ち、

稟施会(りんしかい)か! 有り得そうだぞ」

 そして二人は揃って傅朱蓮の回答を待っている。傅朱蓮は首を振った。

「買ったわけではありません。私の……知人が長く持っていたものを譲り受けたのです。その人がどの様にして手に入れたかは聞いておりません」

「左様か……。まさかこの世にただ一つというわけでも無かろうが、この国では本当に唯一かも知れんな……」

「まさかそこまででもないでしょう?」

 傅朱蓮は口ではそんな事を言いながらも、そうかもしれない、いや、そうであって欲しいと思っていた。

「異国に豊富にある、というなら稟施会も数を仕入れるだろうしな。仮にこの一張しか存在しないとしたら、取り引きがあった時点で知れ渡るだろう。きっと法外な値段が付く。弓が引けないような奴でも、こんな美しい姿を見れば欲しがる奴は出るだろうからな」

「だろうな。倚天の時は奴ら、買い手だった訳だが」

 倚天、と聞いて傅朱蓮はハッとなった。男達はその表情を見逃さず、

「最近、この街に来られたか? 少し前に、この都にとんでもない剣が現れた。倚天剣という非常に価値のある剣でしてな。とんでもない額で取り引きされたのだが」

「ほんの少し噂で聞いた事があります。でもそれがどのような剣かは知りません」

「あちらは知名度もあって値が釣り上がったが、おそらくこの弓もいずれ名を知られる事になるのではあるまいか」

「私は売りませんけど。あの、その倚天という剣は誰が持って……誰が売りに出したのでしょう?」

 これはいい機会と、傅朱蓮は逆に訊ねてみた。武慶で木傀風(もくかいふう)から聞いた話では方崖から逃げた女が持ち出したとの事だったが、それ以上の事をこの男達は知っているかも知れない。だが、男達はそんな傅朱蓮の期待を即座に打ち砕いた。

「さあ? あんなものを誰が売ろうとしたのか興味は大いにあるが、仲介をした商人は相当口が堅い様でね。とにかくお嬢さん、あなたは正しい。この弓、絶対に手放すべきではない」

「ええ」

 傅朱蓮は努めて平然と、笑みを返した。

「またとない機会を得てこれこそ眼福というもの。そういえば、お連れが居られた様だが……」

「あ、ええ、もう行かないと――」

「いや、留め立てして申し訳ない」

 傅朱蓮は弓を背に戻す。宿の入り口に目を遣るが狗不死の姿は見えなかった。

(まさか一人で行ったんじゃないでしょうね!)

 傅朱蓮が顔を戻すと、男達は揃って黙ったまま笑みを浮かべていた。何か別れの挨拶でもと考えてみるものの、相手は何も言う気配が無い。変な違和感を覚えつつ、では、と呟く様に言って、傅朱蓮はその場を離れ、宿の外へと向かった。

 


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