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流浪一天  作者: Lotus
第十三章
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第十三章 二十六

 狗不死が頷いて言う。

「確かに、方崖でひと暴れして飛び出したんは、ほんまは殷汪やないしな」

 これを聞いた史小倚は大いに驚いて、

「殷汪さまではなかった? どういう事なんでしょうか? 誰が……」

 そう言いながら俯いて頭を掻いた。

「いやまったく……この都には方崖の事などまともに伝わっては来ないのです。私は今でも北辰教徒と言えるのか……、まったく、情け無い」

「そんなん気にせんでもええで。景北港の教徒かて誰も知らん事や」

「史さん」

 傅朱蓮が話し掛けようとした丁度その時、宿に二人の男が入って来るのが見え、その二人がこちらを見たのに気付いて口を噤んだ。揃いの黒の衣服に身を包んだ中年の男達である。

 傅朱蓮の様子を見て狗不死と史小倚も振り返り、史小倚だけが立ち上がる。

「ああこれは、おかえりなさいませ」

 史小倚がそう言うという事は二人は此処の客なのだろう。何も言わず視線だけを史小倚に送った二人の男は二階にある部屋へと向かい階段を上がって行った。

「客か? いつから居るんや?」

 狗不死が訊ねると史小倚は再び椅子に腰掛けながら、

「えー、二日……いや三日になりますが、それが何か……」

「二人だけか?」

「はぁ、見ての通り、うちはいつもこのような状態でしてあまり客が無いもので。この都は三方の各門を中心に賑わっているのですがそちらにはもっと良い宿が外から来る客を待ち構えているのです。此処は中途半端な場所で――」

「ちゃうがな。さっきの二人や。他にも居るんか? 同じ格好した奴とか」

「いえ、あのお二人だけで……何か……?」

「何処から来たとか聞いてへんか?」

「何処、とは聞いてはおりませんが、ずっと長旅をしていたとか。暫く都に居るので部屋を借りたいと……それだけです。あの……何者でしょう?」

「知らんわ。こっちが知りたいわ」

「狗さん。気にしなくていいんじゃない? 一々気に留めてたらきりがないわ」

 傅朱蓮の言っている事も何の事かさっぱり分からない史小倚は不安になってくる。怪しい二人組だったのだろうか? 全くそんな気配は感じなかったが――。

「そんな事より」

 傅朱蓮が改めて史小倚に向き直り、

「殷さんが此処に戻って来たのはいつ頃ですか? 一人で?」

「かなり前の事です。洪破天さまと一緒に東に向かわれた後――、本当に方崖まで行かれたのかと思うほど早く、此処に戻って来られたのです。今度は別な方とご一緒に」

「別の?」

 これには驚かざるを得ない。まさか殷汪が洪破天と別れてすぐにまた別の誰かと共に行動しているなど傅朱蓮には思いも寄らない事だった。一体何処の誰なのか――そして、殷汪は一体何をしているのか?

「名前は……本当の名は知りません。殷汪さまは私に、自分はいまさら名を隠しても仕方ないが今度はこの者が夏天佑という事にしておいてくれ、と仰られて……まあ冗談で言われたのだと思いますが。その方は重い病気なのか、大怪我なのか、とにかく話はおろか自分で歩く事も出来ず、最初見た時は……死人ではないのかと疑ってしまった程で……。しかし殷汪さまは随分とその方の体を気に掛けておられるご様子でした」

「一緒に来たというより、殷汪が運んで来たんやな。ほんま何しとんやろな。夏天佑か……本物の夏天佑やったら死んどるけど」

 今度は史小倚が目を丸くする番だった。殷汪が仮名として出した『夏天佑』が――広い江湖に同名の者が居ないなどという事は有り得ないと思われるが――その身辺に実在する人物のものとは考えていなかったからである。

 傅朱蓮が質問を続ける。

「そんな人を連れて、何をしに此処へ?」

「医者です。此処には平大生(へいだいせい)という医者が居りまして、名医として名が知られているのですが――」

「発を、梁発(りょうはつ)を診てくれたという人ですね」

「そうですそうです。殷汪さまはその医者の処へその……夏と呼ぶお人を連れておいででした」

 狗不死が傅朱蓮に目を向ける。話している内に寝酒の効果は完全に消えてしまった様だった。

「朱蓮、あんたの知る殷汪は全く知らんモンをわざわざ名医に見せる為に遥々都へ戻ってくるような奴か?」

「助けられそうなら放って置かないとは思うけど、でもちょっと戻るって距離でも無いわよね……。洪小父様の話では別れたのは東淵の手前よ? 殷兄さんは名前も知らなかったからまた『夏天佑』って言ったのかしら? それとも本当に名を隠さないといけない人だった……?」

「どこぞで偶然拾った死に損ないでも無さそうやな」

 これ以上の事は史小倚にも分かりかねる様で、その者については医者の平大生を訪ねてみるより他は無さそうである。

「長居はしなかったという事でしたが、殷さんはまたその人と一緒に都を出て行ったのでしょうか?」

 傅朱蓮の問いに史小倚は首を振った。

「分からないのです。あの方がどうなったのか。少しは良くなったのか、或いは駄目で、置いて行ったのか。殷汪さまがただ一言、『世話になった』とだけ言われて行ってしまわれました。その時にはお一人でした」

 

 殷汪の後を追う事を楽しんでいる自分が居る事に、傅朱蓮は気付いていた。最初の動機であった鏢局の事件に関する何かを得る為に、直接は知らずとも北辰教の内部をよく知っているであろう殷汪を探すという目的は忘れはしないものの、方崖を離れた殷汪のその後はどうなっているのか、何をしているのか、或いは何をしようとしているのかという部分に強く興味を引かれている。

 重症を負った謎の人物を連れて都に戻るのは北辰教から逃げる人間のする事では無さそうである。おそらく『逃げる』などという考えはあの人には無いに違いない、逃げ隠れする必要などあの殷兄さんには無いのだ、と傅朱蓮は思っていた。

 

「狗さん。明日、その平先生を訪ねてみない?」

「ん。そやなぁ」

「平先生は洪小父様と古くからの知り合いだそうだけど、狗さんは知らないの?」

「洪と知り合うたんかてそんな昔やないわ。ほんでもその平大生ちゅうんは名だけは聞いた事あるかも知れん」

「あの、そろそろ私は……」

 史小倚がまるで二人の機嫌を伺うように上目遣いで言いつつ、椅子から腰を上げた。もう夜も更けている。急に引き止めたのでまだ仕事が残っていたのかも知れない。傅朱蓮も立ち上がり、

「まだまだお聞きしたい事はありますが、暫く此処でお世話になりますから、またお願いします」

「ハハ……、それでは、おやすみなさいませ」

 そそくさと立ち去っていく史小倚を、傅朱蓮と狗不死はじっと見送っていた。

「なぁんや、まだ態度がぎこちないなあ。何かあんのかもな」

「とりあえず、今日のところはもう休みましょう。お酒、まだあるの?」

「もうちょっと」

「じゃあ私が片付けておくわね」

 傅朱蓮は狗不死が取ろうとしていた酒杯をサッと奪うと、一気に飲み干してしまう。

「あっ!」

「狗さん、おやすみなさい」

 傅朱蓮は空の酒杯を狗不死の手に戻すと、一人、部屋へ戻って行った。

 


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