第十三章 二十四
「武慶のほれ、真武剣の英雄大会や。そん時に休ともじっくり話してきたがな。ほんまやで? 休に訊け」
丐幇の男達はまた顔を見合わせ、そして、はあ、と溜息の様な返事を寄越すだけであった。
「あのぅ、狗不死様。こちらの……お嬢さんは……」
前に居た一人が傅朱蓮をチラチラと見ながら遠慮がちに訊いた。すると他の者も髄分と興味を持っていた様で、皆一斉に視線を向けてくる。少しばかり驚いた傅朱蓮だったが顔を下げる事無く、こちらを見ている男達を数えてみると最初三人ほどであったのがいつの間にか九人にもなっていた。
「知らんのかいな。お前ら都に籠もって何も知らんのやな」
狗不死は吐き捨てるように言うが、東淵などという遥か彼方の街に住まう、ましてや何の名も上げていない若い女を知らないのは当然であろう。
「……東淵の、傅や。傅朱蓮」
「おお、」
名を聞いた丐幇の男達は皆が同様に口を開けて、そんな音を洩らした。しかしそのまま沈黙してしまう。
「ハ、知らんのかいな」
「あ、いや、そんな事は……。あの、狗不死様」
「何や」
「その、千河幇の鏢局が賊の襲撃を受けられた件は、休幇主からお聞きになられましたか?」
勝手に話題に上らせておいて名を聞いただけですぐ別な話に持っていくこの男に傅朱蓮はムッとしたものの、その男はまだ時折、傅朱蓮の方に視線を送り反応を窺うようにして話しているところをみると、傅朱蓮はその男が何を言い出すのか否が応にも興味を抱き真剣な眼差しで見返した。無論、無関係などではない。あの鏢局の話なのである。
狗不死の返答までには少し間があり、傅朱蓮は狗不死の横顔を窺う。するとそこには苦虫を噛み潰して不機嫌そうな顔があった。
「ああ聞いたわ」
狗不死は短くそう言って言葉を仕舞った。それだけだが、傅朱蓮はそれを聞いて怪訝に思う。
(一体どういう話を? 私には何も言わないなんて。何も新たな事は分からなかったから? それにしても……)
傅朱蓮は狗不死の様子を益々訝しがった。丐幇の休幇主と武慶で会っていた事は知っている。その時話題に上ったとしても特に不思議でもない。そして、狗不死はあの頃東淵に居たのだから丐幇の誰よりもその事には詳しく、休幇主の言った事は全て既知の事柄のみであったのだろう。だから、休幇主と話した事を自分に伝える必要は無かったのではないか。だが、今横に居る狗不死の、この話題には触れるなとでも言うような険しい表情は何なのか? 狗不死はどうやら芝居は得手では無いらしいと傅朱蓮は思った。
「その……では……、我ら丐幇は今後北辰と距離を置くという事でございますか?」
「ああっ? 何でそうなんねん」
「いや、こちらの……傅家のお嬢さんと共に居られるという事は……その、あの鏢局と共に東淵の傅家の方々を襲った北辰教とはもう――」
これを聞いた傅朱蓮がすぐさま一歩進み出て口を開いた。
「あの件を北辰教の仕業だと断定されるのですか? 何か証拠があったのでしょうか?」
「え?」
傅朱蓮の言葉は早く、勢いがあった。男が戸惑っている間に再び傅朱蓮は続ける。
「確証が欲しいんです。鏢局、千河幇も調べている筈ですが確かなものを掴めたのかどうかはまだ知りません。皆さん――丐幇は何かを得ておられるのでしょうか? 教えて下さい。お願いします!」
迫る傅朱蓮に、男は仰け反って接触を避けようと必死である。その視線は狗不死に助けを求めていた。
朱蓮、と狗不死が声を掛けると傅朱蓮は狗不死を振り返り顔を顰めた。
「狗さん、何か知ってるの? 私にまだ言ってない事が?」
「言うてへんけど、別に改めて言わんでも――みたいなこっちゃ」
「それは何? それが聞きたいのよ! 今まで考えた事が確かにその通りだった、って言うのならそれを聞かせて欲しいのよ! 教えてよ! 確かだって事を!」
狗不死は肩を縮めてしょんぼりする仕草を見せるが、そんな狗不死を無視するように傅朱蓮は再び丐幇の男に向き直り、改めて訊いた。
「ええわ」
傅朱蓮は狗不死が一言だけ言うのを背後に聞く。すると、目の前の男は口を開いた。
「証拠も何も……北辰の喬高が手下を連れて千河幇の鏢局を襲うのを丐幇の人間が見ております。何人もが、見たと申しておるのです。丐幇は人が多く、北辰の幹部全ての顔を見知っている者も少なくないのでまず見間違える事は……喬高という者などは特にそうです。身体的な特徴がはっきりしておりますので」
「それは、いつですか? 鏢局が東淵につく前か――」
「前ですな。あの辺はまだ千河幇の縄張り――、鏢局が宿にした古寺を襲った時の話と聞いております。その様な処であの喬高が手下を連れて何をするのかと後をつけたという訳です。喬高以下、頭のてっぺんからつま先まで黒の装束だったそうで、あの闇夜に何人居るのか数えるのに苦労したと申しておりました」
「何人居たのですか?」
「とりあえず五十は居たそうで。まあ、その辺で諦めたらしく――」
(五十? やっぱり、あの山にもっと隠れて居たんだわ!)
間違いない、と傅朱蓮は思った。まさか下手人を直接知る第三者が近くで見ていたとは驚きだったが、これで単なる想像に過ぎなかった北辰教の仕業であるという事がはっきりしたのだ。無論、それを知ってどうするかはこれからの事だが。
傅朱蓮はまた狗不死を振り返ると項垂れた。
「狗さん……ごめんなさい。丐幇はやっぱりどっちにつくとか出来ないわよね? 最初から関係無かったのに私が――」
「朱蓮。うちが分かってんのはこんだけや。ま、予想通りやけど」
狗不死はそう言うと丐幇の者達に向かって、
「ほいご苦労さん。もう行け」
「え?」
「はよう」
「は、はあ」
狗不死はまた厳しい表情を作って男達を追い立て始めた。すると傅朱蓮が、待って、と狗不死の腕を取る。
「皆さん、有難うございました。もう一つだけお尋ねしても?」
男達の顔に喜色が浮かぶ。この娘がまだ居ろと行ってくれれば狗不死も無理は言えないらしい事を感じ取っていたからだ。何故かというのも気になるが、とりあえず今は置いておく。
「はいはい、何なりと」
「史小倚という人がやっている宿はご存知ありませんか?」
丐幇の男達は何故か大いに張り切っていた。最初に現れた九人の中には知る者が無かったが瞬く間に丐幇の人間は更に増殖を始め、早々と傅朱蓮の質問の答えは得られてしまう。そして今度こそ集まった者全て、綺麗さっぱり狗不死に追い払われる事になってしまった。
「まさかあんなに人が集まるなんて」
「そこらじゅうにおる。それだけが取り柄の丐幇や」
「でも、本当に良かったの? あの人達、丐幇の皆さんは戸惑ってるんじゃないの? 狗さんが私なんかといたらやっぱり、北辰教と距離――というよりも下手をすれば敵対する事に?」
「朱蓮。そんなんは丐幇のモンが考えたらええこっちゃ。気にせんでええ」
傅朱蓮はこれ以上何も言えなかったが、気にしないなどという事は出来そうも無かった。
丐幇の者から教えられた史小倚の宿までは距離があり、二人は馬を牽いて歩きながら都の大通りを見物しながらゆっくりと向かった。傅朱蓮の目には珍しい物ばかりが映っていたが、頭の中は先程思い出された千河幇の鏢局と共に賊の襲撃を受けた時の事ばかりを思い返していた。そんな中、ふと咸水の村で会った老婆の話を思い出す。
(私の剣を探している黒装束の集団……。悪者は大抵黒ずくめじゃないの。でもだからって黒を着ている人に一々気を取られてなんか居られない。そんなことしてたら、宿に着けないじゃないの)
傅朱蓮は辺りを見回して視界に居る人間の衣服を確認する。そして溜息をついた。