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流浪一天  作者: Lotus
第十三章
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第十三章 九

 しなびたと言っては失礼だとは思ったが、傅朱蓮は店に一歩足を踏み入れて見回してから、やはり客を歓迎する様な処ではなかった事を確信した。だがどんな店主が現れても即座に追い払われることもあるまいと思い、歩を進める。何故なら隅の方に先客の姿を認めたからだ。旅装束の男二人がこちらに気付いてか、肩を寄せ合い何やらひそひそと言葉を交わしていた。

「朱蓮、こっちや」

 その場所にした理由などあるまい。狗不死は部屋のほぼ中央の席に歩み寄って傅朱蓮を呼んだ。

 狗不死の後に続いた傅朱蓮は荷物を卓上に置いて腰を落ち着ける。すると丁度店の主人らしき初老の男が奥から顔を出した。

「あー、お客さん。すまんが食事は用意出来ない。茶で良いかね? それならある」

 主人は二人をさっと観察する様に視線を動かしながら言った。

「『茶』て書いてあったから入ったんや。身体休められたらそんでええ。茶おくれ」

 狗不死の返事に、笑みに近い曖昧な表情を浮かべた主人はまたそのまま奥へ引っ込んだ。

 傅朱蓮はちらと隅の男達に目を遣る。すると丁度こちらの様子を窺っていたらしいその二人は慌てたように顔を向こうに戻したがその顔ははっきりと見る事が出来た。かなり若い。まだ子供といっても良さそうである。傅朱蓮は小声で狗不死に話し掛ける。

「あの二人、随分と若いみたいだけど、旅をしてるのかしら?」

 狗不死が見ると二人は背をこちらに向けていて顔はわからない。だがその体つきを見ればある程度の事は分かる。

「この辺のモンかも知れへんで」

「でもあの格好はどう見ても旅装束だわ」

「ま、そんな事もあるやろ。あんたかて若いのに旅しとるがな」

「まぁ、そうだけど」

 他愛無い会話だ。若い二人の男も特に怪しげという訳ではなく、しかも傅朱蓮よりも若いと知って警戒する気持ちも幾分和らいだ。


「しかしあれやな。あんたも思い切った事よう言うたなぁ。あの白にやで。儂らあんなんよう口に出来へんわ」

 狗不死は傅朱蓮の顔をまじまじと見つめながら言う。

「でも、事実だもの。洪伯父様は必ず事を起こすんでしょ? (はつ)の為に。私は顔も見る事は無かったけれど、媛はもう正式に私の妹。なら、発は弟なんだもの。必ず仇を討たなければ……。私には洪伯父様に教わった剣がある。他の皆には出来なくても、私は発の為に剣を抜く事が出来るわ」

「そやかて、そういうんは『時』が重要なんやで? それに、力やな。張とかいうんはその辺のごろつきやない。どんなへたれやったとしてもあの真武剣の内の一人や。洪の奴がどんだけ腕が立ったかて、いつでも、どこででも事が成せる訳や無い。そう思わへんか?」

 狗不死が傅朱蓮に向かってこんな真面目な話を真面目な顔で言うのはとても珍しい。傅朱蓮は狗不死のその真面目な顔に刻まれている深い皺に目を遣っていた。その無数の皺が言葉に説得力を持たせている様な気がする。

 いつも狗不死の口調は軽く平易な言葉しか用いないが、しかしだからといって傾聴に値しないとは言えず、『丐幇前幇主であるところの狗不死』に興味を抱き始めている傅朱蓮はその言葉を注意深く聞くようになってきていた。

「もちろん、そうね。それに私の剣の腕だって、あの人の前ではきっと赤子が喚いているくらいでしか無いわ。きっと捻り潰される」

「ま、仇の討ち方なんちゅうもんは、相手に斬りつけるだけやあらへん。いろいろあるわ」

「例えば?」

 傅朱蓮が訊ねた丁度その時、店の主人が近付いて来る気配を二人は感じた。

「お、ええところに来てくれたわ。おおきにおおきに」

 狗不死が満面の笑みを店の主人に向けて両腕を差し出す。主人の手には茶を乗せた丸い盆がある。それをわざわざ立ち上がって受け取って、卓上にそっと置く。粗末な器で見た目はあまり良くなかったが、はなから期待していた訳でもなく、香りは間違いなくちゃんとしたお茶のようである。

「咸水、久しぶりか?」

 どう考えてもわざと話題を変えたに違いなかった。下手な芝居のようだったが狗不死はばれていようが何だろうがお構いなしで、当然恥ずかしがることだって無い。傅朱蓮は続きを聞く事は一先ず諦めることにする。

「まだ、そう何度も行ってないけど、二年ぶり位……? もっと前だったかも?」

「一人でかいな。親父さんはようそんなん許したなぁ。二年前て幾つやねん……」

「勝手に飛び出したんだけど。で、せっかく出てきたんだから色々見てこようと思って」

「あんた、恵まれとんで。普通、あんたみたいな若い娘がこんなとこまで来て何とか変なんに襲われんかったとしても、また戻れる程の路銀があらへんがな。家出娘っちゅうんは大概、金に困って終わりや。旅を諦めて大人しく帰るか、それも間に合わんと命が終わるか」

「もう甘さが身体に染み付いちゃってるかもね……」

「あんたが好きな、かの洪淑華かて安県の黄龍門飛び出したんはもうちいと歳いってからやな。そん頃にはもうその武芸は殆ど完成しとったっちゅう話や。名は既に売れてたらしいし、食わせてくれる奴も多分そこいらにおったんやろなぁ」

「腕に自信もあって、きっとなんの迷いも無かったんでしょうね」

「迷いが無かったら飛び出さへんのちゃうか?」

「……」

 暫く無言で当時の洪淑華に思いを馳せる。とは言っても傅朱蓮の抱く洪淑華像は人の噂のみを基に出来ているというその程度である為、ほぼ全てが傅朱蓮の理想で作られている。暫くそうしている内に、ふと思い出す。

「天棲蛇……、『剣』?」

「ん? 何や?」

「狗さん、東涼に伝わってる洪淑華の話を基にした歌があるのを知らない?」

「あん? 何やそれ」

 狗不死は身を乗り出して傅朱蓮の予想以上に話に食い付いてきた。だがそれは知らないという答えでもある。

「あの白……、真武剣の白さんの言ってた天棲蛇剣っていうの、たぶんその歌というか話と関係があると思うんだけど」

「どういうこっちゃ? 儂はそもそも天棲蛇剣ちゅう名すら初耳や。その歌に出てくるんか?」

 普段、狗不死は武林の長老の一人とは思えない程、武芸に関する話をする事が少ない。相手が傅朱蓮だからなのかは分からないが、興味が無いという事も考え難く、武芸に明るい洪破天と共に酒を飲んでいる時にはそんな話もしているのかも知れない。ともかく、あの白千雲らも知らず、狗不死も聞いた事が無いというのだから余程知られていないのだろう。或いは本当の幻か――。

「歌……。元々は歌じゃなかったのかも知れないわ。洪淑華の事を伝える物語を誰かが作って、更に後からそれに節を付けたのかも知れない。でね、その話の中には『天棲蛇剣』ていう言葉は出て来ない筈なんだけど、天に昇る白い蛇の話なのよ」

 狗不死は明らかに全く理解が進んでいない事を表す歪んだ表情を固めている。

「天と、蛇はある。そして天に棲む事にもなる。『天棲蛇』と呼ぶ事は出来るわ。でも……、『剣』は無い。出てこないの。剣に関わる話は」

「ほんでも……、洪淑華の話なんやろ? その剣術に一切触れへんなんて不自然や。洪淑華といえばまずその剣やないか。他ゆうたら……、黄龍門の兄弟子との色恋話しか残らへん。んん? そもそも洪淑華にまつわる話が何で白蛇なんや?」

「龍が出てくるわ。金色の龍よ。それはきっと、黄龍門を指してるんだと思う。黄龍門の、洪淑華の兄弟子、可子慮(かしりょ)をね。白い蛇はずっと金色の龍を追い続けて、ついには天にまで追っていくというお話。だから――」

「蛇は洪淑華、か」

 


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