表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流浪一天  作者: Lotus
第十三章
211/256

第十三章 七

「常源」

 淡々とした、白千雲の太い声が丁常源を下がらせる。

「後一つだけお聞きしたい」

 弟弟子の態度に何も言うつもりは無いらしく、それがまた傅朱蓮の怒りに油を注ぐ。だが白千雲は傅朱蓮に口を挟ませる隙を与えなかった。

天棲蛇剣(てんせいだけん)を?」

 ただそれだけを言って傅朱蓮をじっと見る。

「知りませんから」

 傅朱蓮の反応も早かった。ちゃんと聞いていたのかも怪しいと思えるほどの速さ。険しい表情で横を向く傅朱蓮に、白千雲は小さな溜息と共に苦笑する様に頬を緩めた。そして今度は狗不死に顔を向ける。

「狗不死様はご存知ありませんか?」

「何やて? もういっぺん言うてくれ」

「天棲蛇剣です。洪淑華の剣を言うらしいのですが」

 ちらと傅朱蓮をもう一度窺う白千雲。だが傅朱蓮の様子は変わっていなかった。

「知らんなぁ。そんなん聞いた事無いわ。洪淑華の剣て黄龍門やろが。安県(あんけん)を離れても黄龍門の名前に拘っとったのは有名な話やないか。そんなけったいな名前を後から付けたっちゅうんか?」

「どうやら、そうらしいのです。わが師によれば奪われた秘伝書は確かに洪淑華の興した東涼黄龍門の物で、それを天棲蛇剣と呼ぶのだそうです。ですがそのような名、今まで一度たりとも聞いた事が無い。それ以上は何も仰らないのでどういった経緯でその名が出てきたのか、師父は何故それをご存知なのかも、分かりませぬ」

 眉間に皺を寄せた白千雲は項垂れたまま首を振る。白千雲も既に長く武林に生きる人間である。武林に関する事柄で知らぬ事など殆ど無い筈であった。

「そらあんた、朱蓮やないけどいっぺん陸に問い詰めてみんとあかんのちゃうか? 何隠しとんねん! ……っちゅうてな」

 白千雲は押し黙ったままで、横に居る丁常源も何も言わなかった。流石に狗不死に向かって怒鳴る事は出来ないらしい。

「そろそろ先に行かれた方が宜しいのでは? 此処に居ても何も得られないと思いますけど?」

 不意に傅朱蓮がそう言って歩き出す。傍らで草を食んでいた愛馬、飛雪の傍まで行きその白く艶やかな背を撫でた。

 白千雲は再び狗不死に向かい袍拳し、

「留め立てをして申し訳ございませんでした。それでは我らは此処で……」

「都か? それとももういっぺん武慶か?」

「ハハ……。いや、都へ参ります。では」

 陸皓に問い質す為に武慶に戻るか? という狗不死の問いであったが、とてもそんな事は出来よう筈も無く、白千雲は師弟間の微妙な状態を自ら吐露してしまった事を恥じて頭を掻いた。

 

 歩き出した白千雲の後に続く丁常源が後ろを振り返り傅朱蓮に睨むような視線を送る。傅朱蓮は気付かなかったが狗不死はそれを見逃さず、鼻を鳴らした。

「丁よ」

 不意に名を呼ばれた丁常源は驚き、狗不死を振り返った。

「ハ……何か?」

「あんたの弟子、元気か?」

「え?」

「張とかいう若いの、達者か?」

 丁常源は何が何だか分からないといった困惑の表情で呆然と狗不死を見つめている。白千雲も振り返ると、何の話かと狗不死と丁常源を交互に見遣っていた。

「張……張撰修(ちょうせんしゅう)でしょうか? あれをご存知でしたか?」

「あー、そんな名ぁやったなぁ。都か?」

「はい……都に居りますが」

「ふむ」

 狗不死は腕を組み、じっと丁常源を見ている。訳の分からない丁常源は白千雲をちらちらと見遣るが、白千雲とて何も分からないのは同じである。

「……あの、張が何か?」

「若いのは血の気が多いっちゅうんはまぁ仕方ない事やけど、帰ったらよう面倒見たった方がええなぁ」

「狗不死様」

 白千雲が再び狗不死の前に戻ってくると呆然としている丁常源の代わりに口を開いた。

「張撰修が何かしでかしたのでしょうか。お教えいただけませぬか。……もしやあの者が丐幇に無礼を――」

「丐幇のモンに礼なんて端から要るかいな。違う。ウチやない。ウチや無いで」

「では……?」

「ほんま、知らんのか? 張がやった事を?」

「……」

 白千雲は険しい表情を丁常源に向ける。丁常源は固唾を飲み込み首を振るだけだった。

「あんたらには災難やけど、弟子を放っといたツケちゃうか。まぁ黙って差し出すんやなぁ」

「何をでしょうか?」

 明らかに焦らして楽しんでいる狗不死に苛立った丁常源の声は僅かに怒気を含んでいた。ここでまた、狗不死はフンと鼻を鳴らした。

「洪破天が張撰修を殺すで」

 狗不死が真顔でそう言い放つ。いつものにこやかな表情は消え失せ、瞳に鋭い光が宿っている。白千雲と丁常源は驚愕し思わす身体を強張らせていた。

「さて、止められるモンがおるやろか? んー、やっぱりその張とやらは死んでまうなぁ。どう考えても」

 小芝居の様に大袈裟に首を捻ってみせる狗不死はもう元に戻っている。

「張の奴だけやったら物足りんかもなぁ。そうなったら、厄介やで。なぁ、白よ」

「何故、洪破天どのが張を殺すのです? あれはまだ拙い若者。そもそも洪破天どのと関わる事すら無いと思いますが……。ずっと都から離れてはおりませぬし……」

 そう話す白千雲の横で丁常源が心なしか身を縮めているように見えた。

 そこへ傅朱蓮が肩をいからせて大股で迫るように戻って来るとそのまま白千雲を睨み付ける。

「それはそうでしょうね。いかに名高い真武剣の子弟と言っても洪小父様から見れば赤子同然。相手にする筈も無いでしょう。その張だって洪小父様に直接何か出来るほどの器量なんてあるわけがないわ。でも……洪小父様の大切なものに手を出されたら……傷付けられたら……そのせいで失ってしまったら! 絶対に許さない! 洪小父様だけじゃない! 私も、私の家族も絶対にその張とやらを許さないわ!」

 抑えていた感情を一気に解放したような傅朱蓮の怒声を浴びながら、白千雲はただ困惑するしかない。洪破天に加えて傅朱蓮とその家族までも張を許さないというのだ。一体いつどのようにして張撰修はこれほどの怒りをかう事をしでかしたのか。

 白千雲はつい先程まで張撰修という者の事をはっきりと思い出していた訳ではなかった。同じ都には居たが甥弟子でありそれほど頻繁に顔を合わせる訳でもない。姿形ははっきりしてもどのような者であったかその中身までは記憶に無かった。

「張撰修は……何をしたのでしょう?」

「私の弟を殺したのよ!」

 傅朱蓮がまるで目の前の白千雲を声で斬りつけんとばかりに鋭く気を放った。

「そっちは知っとるんやろ?」

 狗不死が丁常源に目を向ける。

「洪が都に行った時、あんたに会った言うとったしなぁ。殷と一緒におった、一年前の春の事や。そん時連れとった子供、あれ洪の子――、いや孫かなぁ? 姉弟の二人の内、弟の方を張撰修が殺した言うてたけど、どうもほんまらしいわ。あんたは知らんのか?」

「まさか! そんな筈は……」

 丁常源は額に汗を浮かべながら視線を地面に彷徨わせる。白千雲は弟弟子の不審な様子に苛立ちを募らせた。もしこの話が本当ならば狗不死の言うように厄介極まりない。相手は洪破天。

(万が一それが真実ならば報復は……張撰修だけでは済まぬな……)

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ