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流浪一天  作者: Lotus
第十三章
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第十三章 四

 狗不死が同行していなければ、これほど楽な旅にはならなかっただろう。そう傅朱蓮は感じていた。江湖を当ても無く彷徨う様な旅はまだ多くは無いけれども何度か経験済みであった。だが今までのそれと確実に違うのはどことなく漂う安心感である。

 女の一人旅なら尚更、危険に晒されるのが常であるのは言うまでも無い。不埒な輩は女と見ればすぐさま擦り寄ってくる。無論、いきなり猛々しく襲い掛かってくる者もある。では傅朱蓮の様に武器を携え、一目で女武芸者と分かる者にはどうかというと、意外にも同様なのである。

 多少の警戒は生まれようが、女が獲物を帯びて堂々としているのが癪に障るらしい。その女武芸者が『本物』であるなら危険極まりないが、大抵の場合どうにか出来ないという程の事はない筈だと思ってちょっかいを出してくる。偉そうにしている女を征服するというのは余程気分の良いものらしい。何をする訳でもない。偉そうにするなど全く身に覚えの無い事だが、ただ剣を持つだけで生意気だというのだ。

 ならば剣に加えて目立つ長弓を負う傅朱蓮などは、羽虫をおびき寄せる闇夜の灯火の様なもので、実際、過去に幾度と無く男達が群がってきた事もあった。だが幸いな事にそれらは皆、粗末な男達で、傅朱蓮の剣で追い払えない様な者は混じっていなかった。

 今回の旅ではそういった類の男達を何度も見かけはしたが、近付いては来ない。傅朱蓮はある時、試してみた。そんな男達の集団をじっと見遣るだけという簡単なものだが、それだけでいつもならすぐに数人同時に反応して寄ってくるところが、何故か向こうが目を逸らすのである。初めて見る男達で、傅朱蓮を知っている筈も無い。今まで来た事の無い土地だ。腕に多少の自信がある傅朱蓮は拍子抜けしたが、ひとつじっくりと考えてみる。

 すぐ近くには狗不死が居る。この老人が同行者である事は向こうにも解っているだろう。同じ速さで進み、時折言葉を交わすのだから当然である。今回違うのはその一点だけなのだが果たして、この老人一人が居るからといって彼らが遠慮したというのか? 女、子供、そして老人といえば一般的に広く江湖で称されるところの三大弱者であり傅朱蓮にしてみれば大いに遺憾であるが、男達がこの老人一人のために手出しを控えるなどあり得ないと言っても良い筈である。

 或いは狗不死を知っているのか。丐幇(かいほう)前幇主を見知っているならば男達が黙って通り過ぎるのもうなずけるが――。

 狗不死という人物はどこから見ても好々爺然としていて人を威圧する事など考えられず、傅朱蓮はそんな狗不死を一度たりとも見た事が無い。これが洪破天(こうはてん)の様な風貌であったなら――傅朱蓮は既に見慣れて何とも思わないが――黙っていても人が避けていく事はあり得るかも知れない。ならばやはり狗不死を知っていたか、或いはもっと他の何かがあるのか。

「あれ、うまそうやなぁ……」

 狗不死は通り掛かった店先に並べられた色鮮やかな菓子を眺めて、まるで子供の様に指をくわえている。傅朱蓮はそんな狗不死の姿をまじまじと見つめながらまた考える。

(引退したといってもあの丐幇の前幇主じゃないの。武林最大の勢力の頂点に君臨してたんだから、並みの人間じゃないわ。……見た目は全く並みのご老人だけど)

 丐幇に属する人間は江湖にあまねく溢れんばかりに居る。無論、組織にとって何の役にも立たない人間も相当多いだろうが、それでも仮に半数を差し引いたとしても、丐幇に次ぐ勢力である太乙北辰教(たいいつほくしんきょう)にはまだ引けを取らない程である。彼らは皆、いわゆる乞食(こじき)と呼ばれているが、彼らから言わせれば乞食行(こつじきぎょう)を行う修行者である、という事らしい。丐幇の人間と名乗る、か弱い乞食に見えるその者達の実力は少なくとも武林における『並み』以上である事は確かであった。

(今も、この周辺に居ないとは限らないわね。狗さんはいつも一人で居るけど、本当に一人かどうかは解らない。丐幇の幹部達も狗さんには気を使うでしょう。江湖で生きていく為の最大の武器は『顔』――それなら狗さんは今でも武林の誰にも引けは取らない? 武林から完全に引退した訳じゃないんだから、周りは放ってはおかないわよね……)

 傅朱蓮は首を廻して辺りの様子を窺う。傅朱蓮が想像したのは、狗不死の後ろに隠れて見えない丐幇という組織がずっと離れずに旅に同行している、そんな絵だった。普通ならあり得ないと一笑に付すような考えだが、かつての幇主がこの狗不死という一風変わった老人であるのと、他に類を見ないほど桁が違うその勢力。そしてその組織の具体的な活動と目的は傅朱蓮にとっては謎のままであり、そんな想像を繰り返せば繰り返すほどに『あってもおかしくない』と思えてくるのである。むしろあったほうが『謎』にも更なる箔がついて面白い。幇主が狗不死だったなら、組織そのものも似た様なものになるのではないか。

 武慶に寄った折、丐幇現幇主の休達(きゅうたつ)という人物に会ったが、狗不死に対するその姿勢から想像するにどうやら丐幇内での狗不死のその地位は些かも変化は無さそうである。あの時集まっていた武林の重鎮達の対応も同様だ。

 印象の部分はさておき、武林の実力者に違いない狗不死には、自分などには想像もつかない様な『力』が具わっている――傅朱蓮にはそう思えてならなかった。その力は自ら発するものと、外から自然とその身に集まってくるものの二つから成っている。武林においては前者の最たるものは体得した武芸である。武林で己の看板を上げるつもりならまずその武芸を題字として掲げねばならない。これはとても単純でその価値も解り易い。それよりも傅朱蓮が注目しているのは後者、狗不死が身に纏うその空気である。あまりに抽象的だが、簡潔に言い表すならばその様なものではないかと傅朱蓮は考え、それはいわば他者から狗不死に流れ込む力の様なものを指していた。

 狗不死の名は武林で知らぬ者は無いだろう。真武剣派の陸皓(りくこう)清稜(しんりょう)派の木傀風(もくかいふう)襄統(じょうとう)派の悌秀(ていしゅう)といった武林の最長老たちと世代を同じくして常に対等以上の勢力を維持してきた狗不死は武林の敬慕の念を集めるひとかどの人物であった。あの真武観での狗不死の振る舞いと、集まった名門各派の総帥らが見せた反応を観察するに、これこそが力ではないかと傅朱蓮は思い始めたのである。確かにそれは空気の様なもの。武林屈指の実力者達は皆、一様に狗不死という人物を認め、存在を尊重する。武林はその事実に従い、狗不死も実力者の一人と見るのである。

 これは、結果である。武林を駆け抜けた若い狗不死の全ての行いが、この結果へと導いたのだ。その身の内に何も持たない者が人を惹き付ける事などあり得ない。狗不死の内なる力が、更に他の力をその身に呼び込んだ――。随分と大袈裟な表現ではあるが、つまりそういう事なのではないかと傅朱蓮は考える。

 傅朱蓮は今まで『力』といえば、洪破天から教わった剣と体術の事しか思い浮かばなかった。確かにそれは大いなる力だ。危険がそこかしこに転がっている様なこの江湖を女の身でありながら一人旅する事が出来るのもその力の恩恵に違いない。だが、いつまで迫り来る困難を切り捨て続けられるだろうか。しかも一人で? それを思うと、自分にはまだ足りないものが確実にあるという事を痛感させられる。狗不死には丐幇の護衛か何かが密かに付いている事があったとしても、自分ごときには絶対にあり得ない事だ。

 

「なぁ。ちょっと買っていこうや。甘いの、好きやろ?」

 狗不死の伸ばした指が真っ直ぐ店先の菓子を狙い定めていた。

「ええ……好きよ」

 狗不死は満面の笑みを見せてから馬を飛び降りた。

(私も狗さんを好きな一人だけど……私は力になれるのかしら? まだ早い?)

 


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