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流浪一天  作者: Lotus
第十二章
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第十二章 三十一

「誰かの差し金のようだね」

 林玉賦はあっさりと言う。それを聞いた周婉漣の表情は一層険しくなった。

「何か知ってるの?」

「あたしより劉の方が良く知ってるよ。あたしはまだ聞いてない。向こうも言う気は無さそうだけど。でもあいつ――リンの口から聞けるんじゃないかねぇ? 何が何でも隠さなきゃいけない事じゃないみたいだからね。早々に聞き出しておいた方が良いよ。で、あたしにも教えておくれ」

 口調はいつも通りだったが庭の方をぼんやりと見ている林玉賦を、周婉漣はじっと観察するように見つめた。

「いつもならあなたが率先して動くのに、どうしたの? 本当は何か知っているのかしら?」

「知らないよ。何も」

 林玉賦の視線が庭から離れないので、周婉漣も何気なく同じ方向を向いて眺めてみる。緑が鮮やかなのは分かるが、花の目立った明るさは見当たらない地味な庭だ。昔からそうだった。林玉賦には到底興味も沸かない庭の筈だった。

「劉毅があの子を捕まえるかしら?」

「総監があんたに預けた事はすぐ知るだろうから、まあ手は出さないだろうよ。それにしても、久々に何か起こりそうだって期待してたのに何も無く終わっちまったねぇ……」

 本当に何も知らないようだと周婉漣は思った。リンが此処かの回し者だと知った上での林玉賦のこの態度、という事は、大した事ではないと彼女は踏んでいる――そう考えて間違い無いだろう。林玉賦は少々変わった人物ではあるが、周婉漣は林玉賦に裏があると考えた事は今まで一度も無い。

「……向こうから、飛び込んでくるのを待つだけじゃ……ねぇ」

「え?」

 林玉賦の呟きがうまく聞き取れなかった。

「あんな小僧一人じゃ来ても大した事は起こらない。でもあれ以上の何かが今後また此処にやって来るとも思えない」

「何の事?」

「殷汪様は……本当にこんなつまらない方崖を、北辰を望んでたのかねぇ……」

 不意に出た殷汪の名に周婉漣は少しばかり驚いたが、林玉賦の白い横顔を見る内に微笑を浮かべた。

「殷汪様?」

 そっと聞き返す。林玉賦は何も言わずじっとしている。

 周婉漣は分かっていた。林玉賦は周婉漣がこの景北港に戻ってから二人になるとよく殷汪の話を持ち出した。それは大抵ちょっとした昔話で、どうということのない会話で終わっていたが、林玉賦の本心は、もっとはっきり訊きたがっている。殷汪の今を。今、何処に居て何をしようとしているのか。いや、それ以前に、元気にしているのか、という直接的な、殷汪個人の様子を一番知りたがっている。

 だが林玉賦はそれを口にして問う事はしない。いつもやや遠まわしに殷汪に触れるのだ。無論、今の北辰教にとって殷汪は殆ど反逆者の様なものであり責めずして触れる事は宜しく無い。当然林玉賦も周婉漣としか話す事は無く、それに加えて林玉賦の個人的な感情も多分にある。殷汪について知りたいが、知りたがっている事は余り知られたくないという、他では到底見られない林玉賦の胸の内の繊細な襞――周婉漣だけが感じ取れる林玉賦の一面である。

 周婉漣はまだはっきりと殷汪に会って来たとは言っていない。しかし林玉賦は会った事を信じて疑わない様である。林玉賦は、周婉漣が自分から殷汪の話を洩らさないかと期待しているのだ。

「陶峯様の頃の荒れた状態を今の様に変えたのは……殷汪様さ。勿論、教徒達も喜んでる。それに適応出来ないあたしは……おかしいんだろうね。あの殺伐とした北辰教を、私は再び望んでいるのかも知れない」

 林玉賦が何を言わんとしているのか、まだ分からない。何処に持って行こうとしているのかを探るのも彼女との会話では重要な事だ。

「それでもあなたは、出て行く事はしない。何故かしら? あなたなら誰もが納得してしまいそうだけれど」

「……教主を……裏切れないよ。これだけは……陶峯様への義理がある。他はどうなろうと知った事じゃないけどさ」

「殷汪様は、教主様を裏切ったのかしら?」

 周婉漣がそう訊くと、林玉賦が顔を上げ周婉漣を食い入る様に見つめた。だがすぐには言葉が出てこない。暫くしてから周婉漣に訊き帰す。

「あんたはどう思う? 殷汪様は出て行く事を教主に話したのかい?」

「それは分からないわ。教主様に直接尋ねてみない事には……」

「まあ……無いだろうね」

「今の方崖って――」

 周婉漣の声の調子が急に変わる。

「殷汪様が作った今の方崖は、殷汪様の心の内そのままに出来ている様な気がするの」

「……どういう、意味だい?」

「陶峯様と殷汪様は殆ど正反対と言って良い程違ってたわ。力で武林を支配する事を目指す陶峯様が望まれたその力の象徴と、それそのものでもあるのが殷汪様だけれど、殷汪様にはその事には全く興味が無かった。あの人はきっと……武林の武芸者でも何でもない、一介の農民に過ぎなかったのよ」

「……そいつはまた、随分な言い草じゃないか。あたし達七星を手玉に取れる程のお人だよ」

「そうね。あなたなら怒り狂いそうなものなのに。そんなあなたでさえ大人しくさせてしまう殷汪様は特別な人だったわね」

「何が言いたいのさ」

 林玉賦は短い言葉に僅かな怒気を滲ませているが周婉漣はそれを感じ取りながらも続ける。

「殷汪様自身がそう考えていたのだと思うわ。陶峯様が遺された北辰教は、あの人には厄介すぎる――というよりも面倒な事ばかり。それもその筈、殷汪様は元々呂州の農民で、北辰教はおろか、どんな組織も動かすような事はしてこなかったのよ? 出来ないとかそういう事ではなくて、きっとそんな事、したくないんだと思う。だから、まず真武剣と話をつけてあれほど悪化していた関係の中で休戦にまで持っていった――。それだけは出来る立場だったから。誰も知らなかった、殷汪様と真武剣派総帥の関係がそれを可能に出来た」

「その話と、今の方崖と殷汪様がどうのって話はちゃんと繋がるのかい?」

 林玉賦は苛ついた口調で言葉を放り出す。自分はさておき人に回りくどい話をされるのは好まない様だ。周婉漣はそんな林玉賦に微笑み返す。

「平穏無事な暮らしを望む。そしてそれが一応、訪れた。殷汪様はほんの少しの間だけれど、この庭に鍬を入れて畑を作ってたのを知ってた?」

 周婉漣は腕を上げて目の前の庭を指差した。

「……見た事は無かったけどね」

「張総監が造り替えて今では見る影も無いけれど……。こんな狭い所ではきっと大した事は出来なかったでしょうね。でも昔を思い出すように熱心に鍬を入れていたようね」

()じゃないのかい?」

「いいえ。殷汪様だわ」

 


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