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流浪一天  作者: Lotus
第十二章
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第十二章 三十

 紫微宮の奥へと一人進んだ林玉賦はリンが張新と会った後に戻ってくるであろう通路の脇で待っている事にした。付近を行き交う下女達は普段は見る事の無いこの光景を訝しんだがそれを口にして問う事は無い。こんな朝早くに林玉賦がこの紫微宮に居る事自体、珍しい事だった。

 先にある張新の部屋は以前、殷汪の居室であった場所である。中庭をうねる様に進む回廊の先にひっそりとある様な扉。その更に奥で、殷汪は生活をしていた。実際に居たのは最初の数年で、あとはずっと身代わりの男が居た訳だが――。林玉賦は扉の近くまでは行ったことがあったが、その先を見た事は無かった。そして今も、遥か手前の中庭でぼんやりと佇んでいる。

(昔はよくこの辺りで陶靜(とうせい)様が遊んでたね……殷汪様と……)

 中庭は職人の手で見事に整えられていたが、人の姿の無い今となってはそれがかえって此処だけ異質な空間に思える。よく笑い声を響かせていた陶靜も今ではこの場所に近付く事は無く、兄である教主陶光の傍を離れないと聞いている。

(確かに、あの張新に近付きたがる娘なんてこの江湖に居るものか)

 林玉賦は庭の先をちらと見遣って鼻を鳴らした。

 淡い紫が見える。小さな萩の花。分かるのはそれだけだ。萩には数種あるが林玉賦はその違いなど知らない。それにしても、地味だ。小さな花びらが緑の中に僅か点在しているだけで、とても物足りない。初夏が訪れ萩は花の季節を迎えたばかりでこれからというところなのだが、林玉賦の視線は既に外れ、頭の中から紫は消え去った。

 

 張新の部屋の扉が開くまで思ったよりも時間が掛かり、回廊の先に人の気配を感じたのは林玉賦がもう戻ろうかと思い始めた矢先であった。

 顔を上げた林玉賦は目を見開いて驚いた顔をする。

「おやまぁ」

 現れたのは周婉漣である。その白い装束の後ろにリンの姿も見える。

(えらく話が早く進むじゃないか)

 周婉漣もすぐに林玉賦に気付く。静かに回廊を渡って林玉賦の傍まで来て立ち止まった。

「いつ来たんだい? 呼ばれて来たには早すぎるけど?」

「陽が昇る前には来ているわ」

 周婉漣はいつもより少しばかり小さな声で言った。周りの静寂をより強調する様な、囁きに似た声だった。

「尭長老様にお願いして拝宮でのお勤めを私もさせて頂いているから」

「へえ、お祈りしながら時を待つ、って?」

「続けていれば、そうなるでしょうね」

「で、どういう話だったんだい?」

 林玉賦はそう言いながら、周婉漣の後ろに居るリンを見る。黙って林玉賦と周婉漣の遣り取りを聞いていたリンは待っていたとばかりに身を乗り出した。

「なんかさ、前とはえらい違いだよ。やけに上機嫌なんだよ。総監様はさ」

「そりゃそうだろうよ。劉の処に一人で突っ込む奴なんてそうそう居ないからねぇ。余程面白い話に違いないさ」

 周婉漣は二人が普通に会話しているのを聞いてほんの僅か首を傾げた。

「あなた達、知り合い?」

「いいや、知らないねぇ。こんな怪しげな小僧はねぇ」

「でも、今日からは晴れてお仲間って訳だ。宜しくな」

 リンはにやりと笑って七星二人を交互に見遣った。

「お望みの七星にはなれたのかい?」

 林玉賦はそう訊ねてみたが無論、冗談である。劉毅も言っていた様にそれは張新如きが決められる事ではなく、本当に七星に入れると言ったのなら大問題で、林玉賦自身も認める気は毛頭無い。

「無理だってさ。北辰の為に働いていつか教主に認められればなれるかも知れないとか何とか……。いつの事だよ。今度は真武観にでも喧嘩売るかなぁ」

 リンは肩を竦めて言う。いつもの軽い調子で、本気なのか冗談なのかは分からない。

「ハハ! そいつはいいね。行く時は声を掛けておくれ。見物に行くからねぇ。道案内くらいはしてやるよ」

「いや、場所は知ってる」

 周婉漣が改まってリンに向かって立つ。

「大人しくする気が無いのなら、今の内に言っておきなさい。聞き分けの無い子供の面倒を見る気はないわ。総監の命令でもね。使えない者は要らない」

「いや、分かってるよ。でも――」

「行きなさい」

 周婉漣の口調が珍しく強まった。

「何処へ?」

「宿に荷があると言っていたでしょう。取りに行って、また戻りなさい」

「あー、九宝寨の連中が多分宿行ってるだろうからもう無いかも――」

「行きなさい」

「いや大した物無いし――」

「もう反抗するのね」

「まだ危ねぇよ。奴らに見つかったら――」

「そんな事は知らないわ。そもそも、彼らにやられてしまう様な者は私には必要無い」

 周婉漣の言葉を聞いてリンはまじまじとその顔を見返した。

「……逆にやっちまうかも?」

 周婉漣は少し間を置いて、

「少しだけなら総監も面白がるでしょうね。さっさと片付けて戻れば問題無いわ」

「おいおい良いのかよ」

「私の命令を忘れたら、あなたを捨てるから、覚悟しなさい。私が、切って、捨てる」

 周婉漣の表情は穏やかである。静かに、そう言った。

「あんたら七星って……」

 リンは周婉漣と林玉賦に言う。

「やっぱり普通じゃねぇよな。変わってる」

「早く行きなさい」

 リンの言葉を無視する様に周婉漣が再び命じる。リンは林玉賦に向かって肩を竦める仕草を見せてから、分かった、と小さく呟く様に言うと一人この場を離れて行った。

 

「あいつの面倒を見るのかい? 総監の命令で?」

 林玉賦が訊くと周婉漣は数歩進んで庭に向かって立つ。だがいつもの様に俯き気味のその視界に庭の花が映っているのかどうか定かではない。

「そうね」

「あんな得体の知れない奴をそんな簡単に引き受けちまうのかい? あれが何か問題起こせばあんたが責められる事になる――って、あたしが言うまでもないだろうけど」

「どうでも良い事だわ。そんな事はどうでも――。拒んでわざわざ総監の機嫌を損ねる真似をする必要も無い」

「ま、そうだろうね。あいつがただの小僧だったならそれでいいさ」

「違うの?」

 周婉漣は林玉賦の顔を覗き込む様に見た。少しは不安を覚えたのだろうか、珍しく眉根を寄せて怪訝そうな面持ちだった。

 


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