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流浪一天  作者: Lotus
第六章
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第六章 十

「何や? あんたあんなもんに興味あったんか?意外やなぁ。此処の人間が聞いたらびっくりするで。「あんな邪な妖術に惹かれるなど以ての外や。木道長は邪道に堕ちた!」言うてなぁ」

「ん? おぬしはそう思って居るのか? それこそ意外だのう」

 じっと木傀風を見つめていた傅朱蓮は恐る恐るといった感じで口を開く。

「あの、道長様。道長様は殷……殷汪という人をどう思っておられますか? その……私や私の父も東淵の……」

「それはつまり、北辰の人間かもしれないそなた達をどう見ているか、と言う事かな?」

 木傀風の話す声は程良い重みがあり気が充実している。傅朱蓮の問いから殆ど間が無く、淀みなく発せられる。

「かつて北辰を敵と見なした者達、その大部分は今もそうであろうが正直な処、そなた達の様に近くに在る者達との付き合い方に苦慮していることだろう。太乙北辰教たいいつほくしんきょう……これは我らの様なそれぞれの持つ武芸を伝えていくだけの門派とは一線を画す存在。全く違う物だ。その教えは成立した当時に比べれば今は無いに等しいかもしれぬ。しかしながら北辰教というのは今やこの国の東北部に暮らす民の持つ価値観の名であり文化の名でもある。勿論その中には我等同様武芸の伝承もある。いや、我等よりも長い歴史によって練られた緻密かつ多彩で強力無比な業が存在しているのだ。武林に生きる我々はどうしてもその優劣に眼が行ってしまう。さらに異なる価値観からくる主張の食い違いが起これば何故か剣によってどちらが正しいか決めようとする。これはとても、とてもおかしな事だな。自分より勝る技を見せ付けられれば邪悪だと言う。こちらに理解出来ぬ理を知る者には魔の使いだと言う。愚かしいことよ」

 木傀風は目を閉じて長い息を静かに吐き出している。傅朱蓮は神妙にして聞き続ける。

「殷汪……。殷汪の名が世に知れ渡ったのは……十……二十年前にはなろう? あの者は元々北辰とは無縁だった筈。生まれは呂州りょしゅうの辺りではなかったかな?」

 傅朱蓮は目を見開いた。物心が付く前から共に居た殷汪が呂州で生まれたという話は初めて聞く話だった。呂州は都の南西に位置する街で都からの距離は武慶とあまり変わらない位の処にある。

「何でそんなん知ってんねん? 儂等一回も聞いた事無いで。朱蓮、知っとったか?」

「いいえ」

「儂は本人から直接聞いた訳では無い。あの者が赤子の頃から知っている人物が居るのでな」

 そのように幼い頃から知っているのなら肉親なのかも知れないが、殷汪は親兄弟の話など一度も口にしなかった。恐らく一番よく知っている筈の傅千尽ふせんじん洪破天こうはてんも口にした事は無い。傅朱蓮はそれが誰なのか知りたかったが、木傀風の方が先に口を開く。残念ながらその人物の話では無かった。

「殷汪が北辰の陶峯とうほうに縁あって方崖に上がり、総監であったのは十年程の間。実際何をしておったのかは分からんが、あまり表立った行動はしていなかった様だ。儂よりもそなた達の方が良く知っておろう。確かに北辰で幹部となったからには殷汪を敵視する様になるのは自然な流れだな。陶峯はあの者を旗印にしようとしたのだから当然だ。しかし……儂はどちらかと言うと、同情した」

 木傀風は話を止め、目の前の茶で喉を潤す。

「そうやなぁ、まああいつを多少なりとも知ってる奴なら皆言うやろな。難儀な事に巻き込まれたもんやてな。あいつが望んで方崖に上がるなんて信じられへん」

「そもそも、殷汪の名は広まったが実際に顔を見た者はこの武慶にもそんなには居まい。見たことも無い人間、それも天下一の武芸でもって半ば英雄譚の様に語られる人物が敵方に居るとなれば気分が悪くなるというものだ。……死んだと聞いた時、反北辰を自称する者達は手を打って喜んだだろう」

 そう言った後、木傀風は俯いて小さく溜息を付いた。

 

「話が少し逸れたかな? 儂は、殷汪が陶峯に呼ばれる以前に会っておる。そなたの父達と共に旅をしている時期だな。覚えて居るまいがそなたにも会ったのう」

「儂はその頃は知らんなぁ。初めて会うたんは陶峯が方崖にあいつを連れて来た時や」

「おぬし、そんなに頻繁に方崖に行っておったのか?」

「しゃあないで。陶峯はあいつをすぐに幹部に据えたんや。多分新体制の始まりっちゅう節目と考えたんやろな。今の此処みたいなもんや。いうてもこんな方々から人呼ばれへん。中原で付き合いのある目ぼしい人間言うたら儂くらいのもんや」

「全く……それが我等を悩ませる問題であったのだぞ?陸も儂も、各派の総帥達もおぬしを昔から知っておる。丐幇の勢力は武林最大でその幇主は北辰とも懇ろらしい。我々が個人的に知っておらなんだらそれならそれで割り切る事も出来ようが、残念ながらおぬしの嗜好については熟知しているのだ。敵と見るべきか味方と見るべきか、それに答えは出ておらん。しかも今此処に居る事によって益々分からなくなる」

「陸の奴、どうするやろな?」

「……どうもすまい。まあ、方崖から戻って来たのなら土産話の一つでも聞かせてやるのだな」

「何で儂が方崖からの帰りと分かる?」

「確証など無いが、おぬしら二人の組み合わせはそういうことであろう?」

 木傀風は視線を狗不死から傅朱蓮へと移す。

「道長様」

 傅朱蓮は真っ直ぐ見返して、

「私達、傅家の人間は皆北辰教徒ではありません。無論、東淵に住まう以上彼等と無関係では居られませんが、決して私達は道長様や此処の真武剣派の方々を敵視したりなど……そもそも父は商売人であって武林の侠客でもありません」

 きっぱりと言い切る傅朱蓮の瞳には力が籠もっている。

「うん、分かっておる。いや、すまなんだ。この狗が東淵でそなたと会ったのならついでに景北港にも行っておる筈だと思ったのだ。いや、そなたが東淵の住人だからといって東淵から来たとは限らんな。済まぬ」

「いえ」

「儂はそなたの父もそなた自身も敵対する存在であるとは考えては居らぬ。昔からな。あの殷汪にしても……ただ陶峯が名を利用したに過ぎん。どちらかといえば……歳は離れておるがもっと話す機会があったなら、更に理解してやれた筈。何よりあれの武芸は儂が最も興味のある物の一つだ。当人は世を去ってしまったが実はまだ手掛かりがあってな。フフ、このような事、今の儂の立場ではあまり人に聞かせられんがのう」

 木傀風は個人的には殷汪という人物を好んでいたらしい。その上、傅朱蓮も知らない殷汪についての事柄を多く知っている様である。

「儂もそなたを朱蓮と呼んでも良いかな? そなたの幼い頃を思い出してしまってな」

「そう呼んで頂けるなら、これほど嬉しい事はございません」

 傅朱蓮は顔を綻ばせる。真剣な表情になれば背と腰に得物を持つという身形から凛々しい青年侠客と思わせる程だが、嫣然とした笑顔を見せると別人の様になる。傅家の姉妹は美人揃いと噂になる程なのだ。

 木傀風と狗不死は話に夢中になっている。と言っても昔話を始めては言う事が無くなれば間を置き、どちらとも無く何かの話の種を思い出してはまた話し始めるといった事を繰り返している。それでもその話の種というのはどうやらいくらでもある様で終わる気配は無い。傅朱蓮にはさっぱり分からない事も多かったが、好奇心だろうか、熱心に聞き入っていた。

 

「おお、何か忘れておると思っておったが、都に寄ったのだ」

「さっき聞いたがな」



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