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流浪一天  作者: Lotus
第十二章
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第十二章 十七

 信仰を始めるかもしれないし、そうでないかもしれない――。どういう意味なのか、良く分からない。どういった状況になればそう考える時期が訪れるのか? このリンという一見、信仰の世界とは全く縁の無さそうな若者は、実はその心の奥に自らの生に迷いを抱いているのだろうか? 

 ただ一つの面からその人物の全てを理解する事は出来ないが、出会ったばかりのこの妙な状況で、沖にこのリンの心の内まで斟酌する気は更々ない。何か考えあってその様に言ったのだろうが、リンは詳しく説明する気も無さそうだ。こちらからお訊ねしなければ教えない、とでもいうようにリンは歪んだ笑みをこちらに向けていた。沖は顔をそらして聞いていないような振りをする。

(煩わしい奴だ。お前なぞ知った事ではないわ。まったく……ああ煩わしい)

「ああ、あれ! あれだよ。でっかい船があそこにあんだろ?」

 リンが急に立ち上がり、下に見える港の一角を指し示す。座っている状態ではその示された先を見る事が出来ないので沖は面倒そうに上体を伸ばしてみると、確かに一際大きな船が停泊していた。

「あれは……南方との交易で年に二度やって来る」

「あれに潜り込んだのさ。つっても勝手に忍び込んだって意味じゃないぜ? まあ色々と手を回してだな」

(そんな事どうでも良いわ)

「見かけは立派だけど乗り心地は最悪だ。すぐ気分悪くなってよ」

「……船は苦手か?」

 沖はあからさまに面倒そうな声色で取って付けたように言葉を返すが、リンは全く気に留めなかった。

「初めて乗ったよ」

「あれはあと数日で再び南方に帰る筈だが?」

「俺は帰らないからもういい。二度と乗らねえよ」

 余程辛かったのか、リンは交易船を睨みつけるように見つめていた。沖はその横顔を窺いながら、ふと思いついて言う。

「……あれが此処に来たのはもう……ひと月ほど前になる筈だが? おぬし、来て十日程と言わなんだか?」

 早々にぼろを出し始めたかと、沖はまた警戒心を強める。

(やはり何か偽ってこの街に――)

「十日なんて言ったか? あー、とにかく昨日今日来た訳じゃないって意味だよ。もう随分待たされてる」

 リンはそう言いながらまた椅子に腰を下ろす。

「待たされる? 誰に?」

「北辰教」

「……もっと分り易く説明して貰えまいか? そうでなければこっちは一向に話が見えぬ」

 それに回りくどい物言いは止めて訊きたい事だけをさっさと訊け、とも言いたかったが、この得体の知れない者の機嫌を不用意に損ねる訳にもいかず、一先ずそこで言葉を区切った。するとリンは沖に体を寄せながら、

「あの方崖ってとこに、『俺が力を貸してやるから使え』って言ってあるのさ。ハハッ」

 何がおかしいのか沖にはさっぱり分らない。おかしいのはこの男の頭だ。あの方崖に? 力を貸す? 『俺が』の俺とは一体誰だ? お前は一体どちら様だ? 

 とにかく正気でない事は間違いない。何も言わずポカンと口を開けたままの沖に、リンは続けて言う。

「ま、手っ取り早く言うとだ。俺を雇えって事さ」

「方崖へ、行ったというのか?」

 沖は驚くというよりも呆れて眉をへの字に歪めながらリンの顔を眺めた。確かにこの男は余所者だ。この景北港も、北辰教の事も何も知らないのだ。方崖がどういう処なのか知っていたならいきなりあそこへ行こうなど考える筈が無い。太乙北辰教信者となり、何かお役目を授かる程になれたとしても方崖を訪れる機会など滅多に与えられないのである。

「ああ。この街に着いてその足でまっすぐ行ったさ。まぁ道は教えて貰ったけどな」

「それで……? まさか上がったと?」

 そんな筈が無い、と沖は思いながらも一応訊いてみる。すると予想通り、リンは顔を歪めて首を振って見せた。

(フン、当然だ。お前など相手にされる筈が無かろうが)

「あの、入り口の見張りが馬鹿なんだよ。うん、あれは替えたほうが良い。結局あの崖の上に行けるまで四日――、いや五日かかったかな?」

「入れたのか!」

 沖は思わず目を見張って声を上げた。一体何をどう言えばあそこを通されると言うのか? この男、でたらめを言っているのではないかと沖が疑うのは当然の事だった。

「あんな崖の上、疲れるだけなのに何を好き好んで北辰教の偉い奴らは住んでんだろうな?」

 本気にして良いものかと思案しながらリンを観察する沖であったが、ここで『そんな筈は無い』と主張したところで何もならない。一先ず言いたい事を言わせておく事にして、一つ深く呼吸しながら心を落ち着ける。

「それで、誰に会った?」

「えらく待たされたんだが、そしたら奥からぞろぞろと出てきたよ。あの格好を見る限り、うんと偉そうな奴らだった。中でも一番態度でかい奴が居てさ、なんかこう……親玉って感じだな」

「……親玉などと呼ばれる様な者は北辰教に存在せぬが」

「総監って奴だよ。周りがそう呼んでた。勿論、俺だって一番偉いのは教主って事ぐらい知ってるさ。でもよ、あの総監って奴であんだけ偉そうなら、一体教主はどのくらい踏ん反りかえってなきゃいけないんだろうな。多分もう、ずっと寝転がってるしかないぜ」

 リンの物言いにほんの僅か、笑いが込み上げそうになってしまった沖であったが、それはすぐに治まった。このリンはとんでもない事を言っている。

(総監だと? 張総監がこの若造に会った? 馬鹿な! お前は一体何者だ? 張総監が会う気になるなど考えられん)

「で、俺はその場でそいつに言ったんだ。俺は役に立つ。だから仲間に加えろってな」

 まさか総監に向かって今言ったそのままを言い放った訳ではあるまいが、どこか得意げになっている様な表情でにやついているリンを見て、沖は苛立った。

「おぬし、自分を使えと言うからには何か、これという才に自身があるのか? 張総監がお会いになったという事はそれだけ興味を引くものがあったという事になるが……」

 小汚い若造で、他所からの流れ者。どこをどう見ても理知的な部分を窺わせる要素は微塵も無く、自分の名をどう書くのか言わないのはおそらく自分も知らないからだろうと思われるこの男は、一体何を張総監に売り込もうというのだろうか。

「俺は――」

 リンが口を開く。

「誰にも負けた事がねえんだ」

 リンは左手をすっと降ろし、自らの腰に提げた剣の柄に置いた。

「ハ……」

(愚かな。粗野で知恵の無い、世間知らずの田舎者。喧嘩しか能の無い若造の典型だ)

 沖は呆れ、殆ど侮蔑に近い眼差しをリンに向け、黙り込んだ。

 


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