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流浪一天  作者: Lotus
第十二章
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第十二章 十六

「お二人さんよ」

 声である事は分かったが、まだ随分遠くの声であるような気がした。しかし次の瞬間、二人はそろって肩を強張らせた。すぐ後ろに人の気配が感じられたからだ。

「ハハ、そんなに驚かずとも」

 二人の肩が飛び上がらんばかりに速い動きであったのでそれが滑稽に見えたのかもしれない。声の主はそう言って笑った。

「な、なんだおぬしは……」

 二人の男は勢い良く振り返りはしたものの、明らかに警戒の色を見せつつ体を仰け反らせ、声を発したその男を観察した。

 若い男。派手な色使いの目立つ装束。それが薄汚れていて良い身形とは言えなかった。腰まで届く長い髪を背で一つに束ねているがそれも埃っぽく暫く洗ってはいない様だ。適当に剃り落としただけでまばらな無精髭。しかし顔や首の肌を見ればかなり若い事は間違いなかった。

「あんたらはこの街のお人かい? 北辰教?」

 軽い調子の少し高い声で訊いてくる。体をふらふらと動かしてじっとしていないのは、もとからそうなのか、或いはわざとそんな軽い調子を演出する為か。

「……そうだ。此処に居る者は殆どが……そうだ」

 二人の男は顔を見合わせながら言い、また怪訝な表情を若い男に向けた。

(まさか方崖の者ではなかろうな?)

 二人が一番心配するのはまずそこだ。先程まで自分達は方崖の話をしていた訳だが、前教主陶峯や北辰七星、張新総監の名まで出している。何も不味い事は口にしていないつもりだが、他人にどう聞こえたかは当人達の想像を超えているというのもよくある話で、この目の前に居る若い男が方崖の人間で、自分の言葉を使って報告するとなれば不味い事になる可能性も大いにあるのだ。

(北辰の人間では……ないはず……)

 大いに自分の希望が盛り込まれてはいるが、方崖の者では無い様に見えてきた。方崖に居る者で、この若い男の様に好きな格好をしていられるのはかなり上の人間だけだ。幹部以外の者は皆決められた装束を身に着ける。暇を貰って方崖を降りているとしてもこのような薄汚れた身形で出歩くなど許される事ではない。

 この若さで既に方崖の幹部であるならばかなり特殊な存在だ。幹部の身内だろうか? それにしてもこんな格好で出歩くような者が居ればすぐこの景北港の噂に上がる筈だ。そんな者は居ない。皆、どちらかと言えば自分の身分を誇示するかの様に着飾る様な者ばかり。この若い男についてはどんなに記憶を探っても見当がつかなかった。

「他所から……参られたか?」

 若い男を眺める視線が、その腰で止まった。剣を帯びていた。

「ああ。うんと南だ」

 そう言いながら二人の座っている卓の、空いている椅子に腰を下ろそうとする若い男。それと同時に二人の内の一人が腰を上げた。

「私は用があるので失礼する。お若いの、この街は良い所だ。ゆっくりしていかれるが良い」

 それだけ言うと、返事を待たず足早に離れて行ってしまった。

「お……お……」

 残された方はその後姿を呆然と眺めながらそんな音を口から洩らす事しか出来ず、気がつけば若い男が椅子ごとにじり寄って来ていた。一人だけでも逃すまいということか。

「お、酒か。いいねぇ。昼間にこの景色を眺めながら呑むのはさぞうまいだろうな。もう無くなりそうだ。俺が奢るよ」

 若い男は話す間、景色になど目を遣りはしなかったが、そんな事を言って近くの給仕に声を掛ける。この店で二番目に安い酒と何かつまむ物を少し求め、それから視線を一人残されて顔を顰めながらどうして良いか分らないといった風の初老の男に戻すと、満面の笑みを浮かべた。

「俺はリンってんだ。あんたは何ていうんだ?」

 若い男は馴れ馴れしく、相手は遥かに年上であろうと誰が見てもわかるのだが、とにかく言葉を選んだりはしないようだ。言葉を発する前に全く間を置いている様子が無い。

「リンと今言われたか? イン? ジン?」

「リンだ。リン」

 若い男の言う名が微妙に聞き慣れない音で、これは他所から来たのは間違いないと納得したが、そんな事は当人自らそう言っているのだからこちらの不安を和らげる効果は大して無い。

「どのような字を書く?」

 そう訊ねると、リンと名乗った若い男は顔を顰めて視線を逸らす。

「字なんて関係無いだろ? 口で呼び合えば良いんだから。で、あんたの名は?」

「……(ちゅう)だ。皆からそう呼ばれている」

 リンというのが姓か名か、或いは(あざな)かは不明だがそのどれか一部である事は間違い無いので、こちらも名の一文字だけを教えてやった。

「チュウさんか。いやぁ良かった。此処に来てもう十日は経つのに誰も知り合いは居ないし困ってたんだ。此処の事をもっと知りたくてさ。あんた……いや、チュウさんは詳しそうだから声を掛けたんだ」

 リンは椅子の背に体を預けてだらしなく脱力すると、疲れているといった意味の演出なのか、しきりに顔や肩を揉むような仕草を繰り返し、それからおもむろに口を開いた。

「北辰教の事、詳しいみたいだけど、教えてくれないか?」

 沖はそれを聞いて反射的に口を噤んだ。

(詳しい? やはりさっきの話を聞いていたのか。しかしあんなのはこの街の者なら誰もが日常的に話してる事だ。何も俺じゃなくても良かろうに……)

 運が悪い、そう思うしかない。まずこのリンなる者が何者かを知らねばならなかった。

「詳しいとは言えん。この街の人間はほぼ全て、太乙北辰教の人間だ。方崖はその中心。人々の関心は常にあそこを向いているからな。その辺の誰もが同じ様な事を話している」

「それでいいよ。俺は知り合いが居ないからその誰でも知ってる事すら分からない」

「此処へは……何か仕事かね?」

「仕事? んーまぁ仕事といえば仕事かな。これから働くんだけどな」

 リンはニヤリと笑いながら沖を見返す。どうみても良からぬ事を企んでいるとしか思えない顔つきである。しかしリンはすぐにそれを打ち消すように言葉を続ける。

「俺は北辰教に入りたいのさ」

 沈黙の間が空いた。沖はリンの口から出たその意外過ぎる言葉を咄嗟に理解出来なかった。

 何処から見ても素行の悪そうな若者が、急に信仰の道に入ると宣言したとして、それを信じる事が果たしてあり得るだろうか? 身形を整え、「心を入れ替えました」と叩頭でもするなら分かるが、口をひん曲げて不気味な笑みを浮かべたまま発する言葉ではない。

「……それは、つまり、太乙北辰――天皇大帝様に帰依すると、そういう意味、かな?」

 沖の問いに、リンは腕を組み、暫し考える様子を見せた。

「場合によっては、それもあり得るだろうな。ま、今は全くその気は無いけどな」

 


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