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流浪一天  作者: Lotus
第十二章
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第十二章 十四

「そんな……」

 周婉漣は何も聞いていない。その後、殷汪と再会は出来たが何も教えてはくれず、ただ方崖に帰れと言われただけだ。まさかあれはただ教主から離れるなという意味でしかなかったのかと考えると、やるかたない思いを感じずにはいられなかった。

 ならば全てを、話してくれれば良いではないか。教主陶光にその様に話していたのならば、自分にも言って欲しかった。何でも良い。陶光の傍に居るべきだと諭してくれたなら。あの人が言うのならば、こんなになってしまった自分でも――。

「婉漣?」

 周婉漣は黙り込んで確かに何かを考えている。叡はこのような姿を昔から何度も何度も目にしていた。

 

 周婉漣はとにかくその胸の内を人に明かそうとはしない。彼女には、どのようにしても忘れ難い過去があり、それは育った場所と言っても良いこの方崖での事で、九長老とそれに非常に近しい者達だけが知っている。その中に叡も、そして殷汪もいた。

 九長老らがそれを口にする事は今まで一度も無く、少なくとも今の状況が続く限りこれからも考えられないだろう。個人的に親しいと言える間柄の叡も、他言する事はあり得なかった。親友として、というよりもそれは容易く口に出来る様な事では無いのである。

 周婉漣が顎を引き、瞼を伏せ、殆ど物も言わず、じっと立ち尽くす今の姿勢でいるようになったのは、前教主陶峯が亡くなりその息子陶光が新教主として方崖の奥深くから表舞台へと姿を現した丁度その頃からであった。自分を語らない。周婉漣を知り、その過去を知る叡に向かってさえも、自分からは一切それに触れる事は無い。まるでそれが無かった事の様に。そしてその姿勢が功を奏したとでもいうのか、本当にそのようになっていき、そのまま方崖の時は進む。

 何があったのか――。それは周婉漣と、それを知る者が口を開かない限り誰も知り得ない。

(最初に口を開くのは……恐らく教主様に違いない)

 叡はそう思っていた。

 

 二人はゆっくり先へと進み、方崖の奥深く、教主の居室に至る細い通路の中程まで来た。

「大丈夫。教主様はただ帰って来てくれたあなたと、久しぶりに話したいと仰っただけ。あなたは外で見てきたいろんな事をお聞かせして差し上げなさい。何でも良いの。(せい)様もご一緒に、表に出られているわ」

「靜様も? ……そう」

 周婉漣はぽつりとそう言い残し、一人先へと進んで行く。表というのは教主の居室の隣にある庭の事で、すぐ傍に山が迫っているので窮屈に感じる程の小さな空間である。少しも『表』といった感じでは無いのだが、教主がいつでも勝手に行く事の出来る部屋の外といえば其処くらいしかなく、彼が表と言えばその庭の事であった。

「婉漣」

 叡は後を追わずに立ったままで周婉漣の背中に声を掛けた。周婉漣が振り返ると、

「確かに、変わらない方が良い事はある。あなたはこれからも、教主様に仕える北辰七星の一人よ。教主様はこの事をしっかり理解していらっしゃる。それがどれほど大事な事かを。だから、心配しないで」

 まるで視線にも重さがあるのだろうかと思えてしまうほど、周婉漣の叡へと向いた視線はすぐ下に落ち、転がった。周婉漣は何も言わないまま、また歩き出す。普段と変わらないように見える、沈黙した背中が叡から遠ざかっていく。

(張総監があなたを七星から排除すれば、もう此処に居る事は許されない。だから、急がなければならないの。でも、大丈夫。教主様がきっと、あなたを守って下さるわ)

 叡は暫く周婉漣の後姿を見送った後、踵を返し早足でこの場を立ち去った。

 

 

 周婉漣と劉毅が戻り七星が揃って方崖へ召集された事は、景北港ではもう殆どの者が知っていた。何も特別な出来事では無いが、他に話題の乏しかった最近の太乙北辰教の、久しぶりの噂話で少しは盛り上がる事が出来た。

「今、真武剣は国中をうろついているらしいじゃないか。全くもって目障りだな」

「ん? お前、街から一歩も出てないってのに目障りとはおかしい。まさかこの景北港にも入り込んでいるのか? 俺は見ないがなぁ」

「そうじゃない。うちらが大人しくしてる間に向こうはでかい顔して江湖を闊歩してるってのが気に入らないと言ってるんだ」

「闊歩してるというのは当らんだろう? 良く分からんが何か不始末起こして右往左往って話じゃないか」

「そうらしいが……。こう、どうなっているのかはっきりしない今の状況はおかしいとは思わんか?」

「分かって無いのは俺達だけだろう? 方崖では把握しているのだ。……七星集めたのは関係があるかも知れないな」

「どうだろうな。しかし、何をする?」

 街で教徒らしき二人の初老の男が、何度話したか知れないいつもの話題で暇を潰している。

「見つけたら喧嘩でも売ってやればいいんだ。あいつらは油断というか、もうこちらは弱くなって手を出して来ないと高を括っている。舐められているんだよ」

「喧嘩って。もう昔とは違うんだぞ? 殷――」

 男の一人は相手に顔を寄せて声を落とした。

「殷総監は相当苦労なされたんだ。陶峯様が散々喧嘩を売り歩いて、それはもう最悪な状況だったからな。互いに顔を合わせても言葉が通じない。他派を見れば剣を振るうしかないなど、尋常じゃない。俺達は当時、多勢であったせいもあるだろうが、武林で孤立している事に気付かなかった。興奮しすぎて、気付けなかったんだよ」

「孤立?。武林の大半を我ら太乙北辰教が占める事のどこが孤立だ」

「ああ……まあそれはいい」

 また話が長くなるし、もう何度もこれを言い合った気もする。男は手を振って口を噤んだ。

「殷総監も――」

 相手の男も声を落としてそう切り出した。

「あれはやりすぎではなかったか?」

 殷汪を未だに殷総監と呼ぶ教徒は少なくない。殷汪の方崖を離れた理由が詳しくは分からないのであまりぴんと来ないのだ。『裏切り者』や『反逆者』という言葉を誰かが言ってもやはりそれらの言葉と殷汪とが結びつかない。声をひそめる必要はあったが、殷汪はまだ張新よりも総監として教徒の話題に上る事が多く、そこでは張新の出番はまだあまりない。

「いや、そんなことはない。あそこまでしなければ次の陶光様中心の北辰教の体制が整うまでにこっちは弱体化してしまう。奴らは陶峯様が居なくなりさえすれば北辰は取るに足らんと思っていただろうしな。ある程度関係が修復出来たのは僥倖だ。殷総監以外に出来たとも思えん」

「それは、まあそうだ。しかしそのツケ、反動とでもいうのか、猫を被ったつもりが、それが長すぎてすでにその猫は死んでしまった。今、俺達北辰教は猫の死体に見えているのではないか?」

 


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