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流浪一天  作者: Lotus
第十二章
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第十二章 九

 まるで、誰も居なくなってしまったのかと思えるほど、辺りは静寂に包まれていた。周婉漣は瞼を閉じたままで待っている。正面には張新が居り、彼がまず口を開く筈である。しかし、いつまで経っても静かなままだった。一体どうしたのかと気になり、そっと目を開いてみる。張新は、黙り込んだまま周婉漣をじっと見つめていた。

 周婉漣は表情を変える事無くそのまま視線を受け止め続ける。すると張新はすっと顔の向きを変え、口を開いた。

「襄統と揉めたそうだな?」

 細く、少し高い声で張新は第一声を発した。視線は劉毅に向いている。

 その言葉を聞いて劉毅がフッと鼻で笑い下を向いた。張新は眉根を寄せたが何も言わずに劉毅を睨んでいる。劉毅は心の中で独り言つ。

(もう良い頃合って訳か。随分と、偉くなったもんだな)

 張新は明らかに上から物を言っている。総監となる以前はただの教育係であり、この方崖で九長老は勿論の事、劉毅ら北辰七星と顔を会わせれば黙って低頭しこちらが通り過ぎるのを待つ、一介の従僕に過ぎなかった。総監の任に就いてからも暫くは他の幹部の機嫌を窺う様にへりくだった物言いをしていたが、張新はそれを徐々に変えようと意識し始め、敬称を付けて呼び掛けたかと思えば急に命令口調になってみたりと、話し方が変になる時期があった。

 方崖幹部の中で厳密には北辰七星は九長老よりは下となるがこの辺は非常に微妙であり、九長老も気を使ってか、あからさまな高姿勢で七星に接したりはしない。総監は九長老と同列で、これは前教主陶峯が定めた事である。だが張新は自分を地位を北辰七星の上であるとはっきりさせたいらしく、これはその話し方一つで容易に察しがついた。

 劉毅が方崖を離れてから再び戻った今まで数ヶ月が経ち、その間に張新が何を考えたかは知らないが、どうやらもう遠慮は微塵も必要ではなくなった様である。その眼にも劉毅の顔色を窺うような色は現れない。

 

 普通では考えられない程の張新の豹変ぶり、これはいかに新教主陶光との繋がりが強いかという事の表れでもある。陶光が教主の座に就いてもうかれこれ十年に及ぼうかというところだが、未だに教内のみならず江湖において『新教主』という印象を多くの者が持ち、現にそう口にする者も居た。教主の座に上ると同時に陶光の名は瞬く間に広く流布したがそれは名のみで、どのような人物であるのか知る者はかなり少ない。何しろ教主となった当時、陶光はまだ幼少であり、陶峯亡き後の俄かに浮き足立ち始めた太乙北辰教を纏めるべく九長老と殷汪によって方崖は動かされており幼い教主の出る幕など当然無かったのである。

 張新は陶光が生まれて間も無い頃から今までずっと傍で接してきた。方崖の奥に仕舞われたままの時期教主陶光に、張新は何を話して聞かせてきたのだろうか。そして育っていった陶光には表で光を浴びている殷汪や九長老がどう見えていたのだろう。

 今、陶光は成長し、教主として方崖の表に立つ時期が来ている筈だった。しかし、未だそうなってはいない。姿を見せてもほんの僅か。言葉を交わすのも方崖のごく一部の幹部と、ほんの短い間だけである。

 張新が、そうさせている。それは明らかだった。常に教主の前には張新が立っている。陶光が今も『新教主』と呼ばれる原因はこの張新にあるのかも知れない。張新の後ろに隠されているせいで、その存在感が依然として薄い。教主の言葉は張新を通して発せられる事が決められているかの如く張新は振舞い、誰もそれに口を挟まない。教主はまだお若い――張新はそう言い、九長老もまた、そう考えていた。長い間、必要なのは教主の名であり、その口では無かったのである。

 そして教主陶光自身も、それに不満を洩らさない。張新は親同然――そう感じていても不思議ではないだろう。張新が教主である自分の意向を方崖に反映させてくれると、そう信じているのだろうか。こうしてある教主との繋がりが、張新に力を与えている事はまず間違い無い。

 

 劉毅は真顔になり再び顔を上げ、張新を見た。

「揉めた? 俺じゃない」

 劉毅はそう言って鼻から大きく息を吐いた。

「そうらしいな。だが、近くに居たのだろう? なぜ止めなんだ?」

「謝どのからご報告が行ったかな?」

「誰でも良い。我が教の者が襄統派に手を出すのを見て何も思わなんだか? しかも至東山でだ」

 張新はすっと顔を引き、冷やかな目で劉毅を見ている。

「俺は至東山になど上がってはいないがね。それに、方崖から某かの命が下っているのかも知れんと思ったのでね。謝どのの配下のする事だ。下手に首を突っ込まないほうが無難かと――」

「今襄統と事を構える事などあり得ぬわ! 真武剣もその場に居たそうだな!」

 突如、張新が目を剥いて声を荒げる。劉毅は一瞬呆気にとられた様に目をしばたかせ、その後大袈裟に肩を竦ませた。ついでに舌も出しそうな体であったが流石にそれは自重した様だ。

「イヤァ、そう言われても俺には何とも……。では、謝どのは何故あんな処に人を遣っていたんでしょうなぁ? 謝どのは何と?」

 劉毅の言葉に張新は暫く黙り込んだが頬が僅かに震えている。

「……謝長老は知らなかったそうだ。直ぐに儂の処へ報告と詫びに来た。おぬしが丁度その場に居合わせた様だが何故止めてくれなかったのかと申しておった」

「ハ……」

 劉毅は呆れてしまう。あの謝長老が張新の前でそんな台詞を吐いていたとは。悪さをした子供の変わりに詫びに来たにも関わらず、まだそんな餓鬼を庇い立てする馬鹿な親の様ではないか。責任転嫁も甚だしい。

「……襄統と揉めていたそいつらは始末した。俺じゃなく旅の者が、だがね」

「その者達も、放っておいたのか?」

「ハァ、まずかったかな? その者達は武林門派の人間では無かった様だし、都合が良いと俺は判断したんだが?」

 劉毅が発したとぼけた様な甲高い声に、張新の頬の震えが一段と強まった。しかし言葉は出てこない。

「まぁ、総監どの」

 張新と劉毅の間に別な声が不意に割り込む。一番端にいる侯且が一歩進み出ていた。

「とりあえずそれで良かったのでは? もしその場で劉が出張っておればきっと至東山からもっと人が出てきた筈。相手は劉毅……下手をすれば悌秀(ていしゅう)師太自ら駆け下りて来たかも知れませんぞ? 真武剣派の(かく)も居たとなれば話が大きくなってしまうでしょうな。相手は末端の弟子。こちらも――いや、元教徒のごろつきのちょっとした(いさか)い。そういう事にしておいて、ま、何か言ってきたら適当な対応を考えれば良いだけの事」

 張新は侯且を見遣って鼻を鳴らすと体の向きを変え、何も無い壁の方を向いて黙り込んだ。

 


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