第十一章 二十三
東淵を出て孫怜や洪破天と反対に北へと向かう劉毅は、特に急ぐ事も無く一人、馬を進めていた。
今回の七星の召集というのは何も特別な事では無く、かなり前から取り決めてあった事である。北辰七星は常に教主の許にあるというのが本来の役割であり、命があればすぐにそれは届き、即座に七名揃って教主にまみえる訳だが、今の七星は前教主陶峯の頃と違いかなり自由に動き回っている。周婉漣などは北辰教の勢力範囲から最も離れている城南にまで行っていたのだ。劉毅は昔から北辰傘下の九宝寨という勢力を率いている事もありそれほど方崖に留まってはいなかったが、それにしても現教主の代になってからは更に思い通りに動き廻れる様になった。しかしその分、今回の召集には大人しく従って方崖のご機嫌伺いをしっかりしておかねばならない。同じ七星でも他の者とは違う。今は一人で方々へと動いているが桁違いの多くの配下を持つ身である。当然、方崖は自分を他の五名――七星の一人喬高は既に居ないので六名ではない――よりも注意深く自分の挙動を観察している筈だと、劉毅は考えている。
劉毅は一旦、喬高に寨主の座を渡したものの、その喬高が死に、目ぼしい後継が今のところ見当たらず再び寨主とならざるを得なかった。今の九宝寨は昔とは次第に変わってきており殆ど北辰教そのものとなったと見る向きも多い。九宝寨側はあくまで別の勢力であると主張する者が殆どだが、寨主劉毅が殷汪出奔の一件以来九宝寨を離れている事が多い事と、既に北辰教の人間も多く九宝寨に入り込んでいる為、九宝寨の者達は皆、それぞれ北辰教から役目を戴いているのが現状である。その為、先の主張はあまり意味を成していない。そんな状況にあっても方崖は、九宝寨に対して表には出さないが完全に警戒を解いてはいない。寨主劉毅に具わる求心力は未だ衰えてはいないのである。
周婉漣が今回戻って来たのがこの定例の召集の為であったかは定かでないが、彼女がそれを失念していたとしても運の良い事に充分間に合った。決められた日に方崖に戻っていれば教主や張新――今は張総監と呼ばねばならないが――の心証も幾らかましであろう。
劉毅は一人、馬上で思いを巡らせる。
(さて、何と言うつもりか? 教主は、まぁ良い。張新にどう思われるかが問題だ。幾ら教主の覚えが良いと言っても張新の傀儡では――。あの女の事だ。他が心配するだけ無駄か? いやいや、俺は心配なんかしてはおらん)
劉毅は三江村へと差し掛かった。
(ああ、ここか……)
一年前、緑恒千河幇の鏢局が賊に襲われた場所。無論、当時の痕跡など微塵も無い。道のすぐ脇を流れる川の畔に馬で近付き、暫しその流れを眺めた。
(此処から東淵まで、俺ならどの位で戻れるだろうか? ……どう頑張っても二日が限界だな。だがあいつは一日。そりゃそうだろう。『馬』だからな。あれは、あれだけのものだろうか? 殷汪にも同じ芸当が出来る……出来るんだろうな。全ては洪淑華、そして穆……穆汪威の神業か。まったくもって……人じゃない)
劉毅の旅は景北港に至るまでのんびりとしたものだった。急いでも仕方が無い。それより途中で引き返して中原に戻りたいという欲求の方が強く、それを抑えるのに苦労した。景北港自体には何の魅力も無いのだ。強いて言うなら北辰教の今後、とりわけ周婉漣などの七星を弄って自分の思い描く舞台に上がらせたり出来るかも知れないという点くらいか。
孫怜に対して初めて『舞台』という言葉を使ったが、他にそんな事を話した事は無い。ただの妄想、こうなれば面白そうだという考えなだけで人に聞かせるようなものでは無い。ただ、今の自分はそれに夢中になっている。それだけが、劉毅にとって楽しい事であった。
景北港市街から少し外れた処に巨大な屋敷があり、そこが今の劉毅の棲家である。九宝寨の景北港屋敷とでも言うのだろうか。九宝寨とは劉毅率いる組織の名であると同時に発祥の地の名でもあり、そこはこの景北港から少し離れている。九宝寨が昔のままなら、今でも劉毅は九宝寨の山で暮らしていただろうが、北辰教前教主陶峯は景北港に立派な屋敷を用意して半ば強引に劉毅とかなりの数の部下をそこに移す。劉毅一人だけでは無い為、市街地の真ん中では土地が用意出来ないほど大きかった。だがそれでも九宝寨の全ての人間を移せる筈も無く、またそれに意味がある訳でもない。配下の大多数は今も九宝寨で暮らしており、景北港へ来た劉毅以下幹部達も両方を行き来して生活していた。
「劉寨主がお戻りだ!」
威勢の良い、そして少し荒っぽい口調の叫びに似た声が屋敷に響く。するとそれに呼応して建物から男達が飛び出してくる。門を入ってすぐの庭が、瞬く間に飛び出してくる男達で埋まっていく。まるで劉毅が帰ってくるのを待ち構えながら中に隠れてじりじりとしていたかの様だ。
「おいこら! 道を塞いでどうする! おらっどけっ!」
後から新たな数名が悠然と現れ、しかしこれも荒い口調で門に押し寄せる人だかりに向かって怒鳴りつけると、門の正面に僅かながら小道が出来る。門の正面にはそれを待っている劉毅の姿があった。
「悪いがな! 土産は無いぞ! 分かったらそんなに物欲しそうな面を並べて見るな!」
劉毅は中に向かってそう叫んだ。すると何故か、屋敷から溢れんばかりの『ワァー!』という歓声なのかそれとも『ウオー!』という怒号なのか、それらの入り混じった声が辺りを揺らした。
その中を劉毅は馬でゆっくりと奥へと進む。後から出てきた幹部ら数名が歩み寄って囲むとそこで馬を降りて一人に手綱を渡し、その者達と言葉を交わすが周りの男達の発する声でかき消されていた。
劉毅は幹部らを見回し、
「とりあえず休ませてくれ。後で、皆と酒を飲もう」
「ハ!」
と、そんな遣り取りをしてから建物の中へと入って行った。