第十一章 二十
「家伝――か。お前は、何処の者じゃ? 城南か?」
洪破天は質問を続ける。可龍に興味を持ったという感じでは無いが、話を終える気は無いらしい。
「いえ、私とこの比庸は呂州です。孫さんの幇会の――」
「幇会?」
「はい。あ、でももう……」
可龍はそう言った後、項垂れた。
「今は潰れてしまったというか……」
「おい! 潰れてなんかないだろう!」
すぐさま比庸が首を思い切り捻って振り返り、色をなして可龍の言葉を否定する。
「孫さんと呉琳さんと、俺達二人が居るじゃないか! 勝手な事言うなよ!」
辺りは暗く静まり返っており、声がよく響く。前を行く孫怜や樊樂らも何事かと一斉に振り返ってこちらを見る。
「おいおい、どうした?」
比庸と可龍のすぐ隣には洪破天が居る。聞こえたのは比庸の声で、何を言ったのかは聞き取っていたが一体どういう会話の脈絡なのかと孫怜は眉を顰めた。
樊樂と孫怜が馬を止めたので当の比庸は慌てて、
「いやっ! 何でも! 何でもありません!」
「本当か?」
樊樂はちらっと隣の洪破天に目を遣ると、何も言わずに少し下を向いて笑っている様な表情に見えた。
「ならいいけどよ……喧嘩するなよ?」
「ハハ……まさか」
比庸と可龍は揃って愛想笑いを浮かべている。
樊樂と孫怜は顔を見合わせてから、再び馬を前へと向けた。
「琳とあいつら二人……。俺の、幇会か」
孫怜はぽつりと呟いた。それは隣の樊樂にしか聞こえていない。
「……そうだ。お前の幇会はまだ健在だ。お前が辞めたくても琳が承知しねぇからな」
「フッ、そうだな」
「もうそろそろ比庸の奴に『更にもう少しマシな剣の振り方』を教えてやる段階だな。可龍の方も……一応お前が見てやった方が良いな」
「家伝とは珍しいのう」
可龍と比庸の、『孫の幇会』のくだりを無視するかの様に、洪破天は話し出す。
「お前の親は健在か?」
洪破天は可龍を見ている。
「いえ、亡くなりました。父も、母も」
「兄弟は?」
「ありません」
「……ならば、その槍術はお前の頭の中にしか無いという訳じゃな?」
洪破天は自分の額の中央辺りを指先で小突いて見せた。
「ええまぁ。……多分」
可龍はそう答えたものの、あまり自信が無い。確かに一通り教わったが真に理解に至った部分は僅かで、他は父親が見せた型の演武の様子を何とか記憶している程度であった。人に『教えろ』と言われても何とも言い様が無い。
「その槍で、技が使えるか?」
「これ……ですか? これはさすがに……」
可龍は手に持った短槍を眺めてみる。昔、家にあった槍は全て短槍と呼ばれる物ではあったがそれはごく一般的な短槍であり、今、手にしている物の倍近くはある。構え、動作は全てその長さを考慮したものであり、習った通りの事をやるにはこの得物では無理がある事は明らかだった。
「確かに、その短さは極端じゃが、そういった得物を好む槍の達人もきっとおるんじゃろうのう」
洪破天は宙に視線を投げ、呟く様に言う。
「ハァ、聞いた事は無いですけど……」
「絶やす訳にはいかんのう」
言いながらこちらを向いた洪破天の目がまるで自分を射すくめる様に鋭く見え、可龍は思わず上体を後ろに遣る。
「長い道のりじゃ。じっくり修練出来よう」
洪破天の表情は至って普通である。可龍は何に怯えてしまったのだろうと頭を掻いた。
「修練といっても……父が槍を振り回すところを覚えているという程度で……」
「ならば、その記憶を真似れば良い」
「ハァ、でも、実は遥か昔のうちの先祖が編み出したとか何とか……。孫さんの剣とか見てると、家伝とか言ってるけどうちの槍ってどうなんだろうと――」
「お前が本物にすれば良い事じゃ」
「えっ?」
「長い年月を経れば、何でも古くなり、綻ぶ」
「ハァ」
「弟子が師を越える事が無ければ自ずと衰退していくのが道理。お前が父を超え、その槍で名を立てるのじゃ。ま、その異様に短い槍でなくても良いがのう」
「でも、真似だけでは……」
「孫がおるではないか。天棲蛇の剣の話は聞いておったな?」
「……まぁ。よく分かりませんでしたけど何となく……」
「元は剣術じゃ。あれはな。だがすぐ衰退した。東涼黄龍門の始祖の業に、弟子が追いつけなんだ為じゃ。その後長らく名は消えた。しかしその業を再び蘇らせる者が現れたのじゃ。いや、始祖を超えたのかも知れぬ。東涼とは遠く離れた呂州でな」
「それって……」
可龍と比庸は驚きの表情で互いに顔を見合わせた。
「あの英雄殷汪様でしょうか?」
「ハッ、違う違う」
洪破天は笑っている。可龍と比庸がまた顔を見合わせていると、洪破天は続けた。
「殷も孫も、そのご先輩の業を継いでいる。厳密にはそのご先輩から殷へ、そして殷から孫へとのう。孫が教わったのは一部だけと言っておったが、お前達は孫の剣技を目にした事が? どうじゃ? 平凡な剣か?」
「いえ、もう何て言うか、凄いです」
「ハハ! 『凄い』か。うん。まぁそうじゃろうのう。ま、それはともかく、その天棲蛇の剣を再び蘇らせたご先輩は、当時、剣は持たなんだそうじゃ」
「剣術なのに、ですか?」
洪破天はその期待通り、この話に興味津々といった二人の顔をじっくり眺めてから、
「そうじゃ。そのご先輩の得物は、なんと鍬じゃ」
「……は?」
可龍と比庸の口から全く同じ音が全く同じ間を空けて後に、小さく洩れた。