第十一章 七
(劉毅? 劉毅だと?)
孫怜が見遣ると店の入り口からこちらに向かって来る者がある。筋肉が盛り上がるがっしりとした体躯で、肌の色を除けばその姿は樊樂と良く似ていた。ただ樊樂ほどの上背は無く、孫怜とさほど変わらない様だ。
男の歩の進め方を見ながら孫怜は眉を顰めた。
(これが、劉毅か。九宝寨の、そして北辰七星の一人。……なるほどな)
「まだ十日もある。早過ぎたかな?」
「フッフッ。ゆるりと行けば良い。つい先ほど、鐘文維と周婉漣の二人が此処を発ったところでの」
「それは意外だったな。周はちゃんと戻って来た訳だ」
「フッ、あやつ、ちゃんと土産を用意しておれば良いがの。何も無ければ張新どのの覚えも悪いわな」
「……で、謝どのは此処で何を?」
「フッフッ、あれよ」
老人、北辰の謝長老は孫怜の方を顎で指し示す。
「我が配下を殺しおった。此処で始末しても良いが、一応方崖に連れて行こうと思っての」
「申し訳ないが」
孫怜は朗々と気を込めた声を発し、それが辺りに響き渡った。
「我らは大人しく従う気はござらぬ。たとえそちらに七星劉毅どのが加わろうとも何もせずに捕まるなど、フッ」
孫怜が不敵の笑みを浮かべたのには周りの黒装束の男達、そして見ている客達を大層驚かせた。
(劉毅様と知った上であの様な口が利けるとは。何者だ?)
樊樂らもこれには驚いた。孫怜の言葉は殆ど挑発に近い。
(おいおい、こいつらは怜の目から見れば大した事無いってか? ヘッ、あれが劉毅ってのか。まあどれだけ出来るか見てやるか)
敵は劉毅を入れて十人となった。この人数相手に敵愾心を煽る様な事を言うからには何らかの勝算があるからに違いないと、樊樂は考える。
謝長老は劉毅の隣に立って孫怜の方を向き、
「やはり、阿呆だの。この状況でどう逃れる?」
「この店には申し訳無いが、この場でそちらを切り伏せる他ありませぬな」
孫怜は微笑を浮かべて柔らかい表情だが、声に込める内力は増している。黒装束の男達はその声を聞いて焦り始めた。
(この男、単なる素浪人風情では無かった――)
「フッフッ、気が変わった……。よし。殺せ!」
謝老人が今度は鋭く叫び、手下達はその場で一斉に剣を抜いて孫怜に切っ先を向ける。そして八人同時に短い気合を発すると孫怜目がけて踏み込んだ。
八本の剣が全て孫怜の体を狙って突き出される。だが孫怜はまだ剣を抜いていなかった。
「怜!」
「孫さん!」
八つの切っ先が体に到達する直前、孫怜は気合一閃、両の腕を跳ね上げた。次の瞬間、迫っていた切っ先は全てあらぬ方向へと弾かれる。
「うわっ!」
男達が驚愕と狼狽によって体勢を崩し、たたらを踏むその間に、孫怜はその場から一歩も動く事無くゆっくりと手にしていた剣を抜いた。
その動作を見た男達は混乱からようやく孫怜の手にある剣に思いを致し、(今のは鞘で払ったのか)と察する。孫怜の腕はそれほど速かった。男達は慌てながらも間合いを取って再び身構える。
「怜、今のは……?」
馬少風が小声で訊ねた。孫怜はニヤリと笑うと、
「さすがにただの真似だけでは天佑の様にはいかんな。天佑なら全て折ったろう」
「いや、あれを全ては無理だと思う。殷さんならともかく――」
「かからんか!」
謝長老の怒声が飛ぶ。孫怜と馬少風が暢気に会話しているのを見て一気に頭に血が昇った様で、先ほどまでの余裕ある表情は消えてしまっていた。
黒装束がじわりじわりと孫怜と馬少風を囲むように左右に広がっていく。が、踏み込める隙はそうそう見つからない。そうしているうちに馬少風、樊樂らも剣を抜いて構え、対峙したまま沈黙が続いた。
「これは手ごわい相手のようですな」
謝長老の隣で劉毅は腕を組み眺めていた。
「かなり出来る。謝どの、大事な配下を失ってしまうのは勿体無い」
劉毅は大袈裟に首を振って見せ、まるで他人事の様に暢気に構えている。謝長老は黒装束の八人が一人も動こうとしないのを見ながら頬を引き攣らせていたが、怒りに耐え切れなくなったのか再び怒声を響かせた。
「劉毅よ! あいつらを殺せ!」
謝長老は腕を伸ばし、真っ直ぐ孫怜を指している。孫怜らは黒装束の男達と対峙する姿勢のまま劉毅の動きを警戒したが、そちらには何の動きも無い。そしてまた沈黙の間。
「劉!」
いつまで経っても劉毅に動く気配が無く、謝長老が劉毅を睨みつける。すると劉毅も腕を組んだ体勢のまま謝長老を横目で見ていた。
「劉毅よ! 聞こえんのか!」
「いや、聞こえるが」
「あの者らを――」
「それは、教主の命か?」
「……なに?」
「それとも張新どのかな? 或いは、謝どのの独断か?」
「何を言っておる? よいか、あの者らは我が教の敵だ! 命があろうが無かろうが討つのが当然であろう!」
「敵……か。この者達が殺したのは――」
劉毅は話しながら歩き出した。そのまま黒装束の男達の前まで出て孫怜の真正面に立ったので、男達は後ろへと下がる。劉毅が孫怜らの相手をするのだと思っていた。孫怜らもそのつもりで、囲んでいた八人から劉毅一人へ向けて体勢を変えた。すると劉毅はそれを無視するかのように孫怜の目の前で腕を組んだまま謝長老を振り返った。
「至東山近くで襄統の者に絡んでいた奴らだな?」
「……何をしておったかなど知らぬ! とにかく我が配下を五人殺した!」
謝長老は苛立ちを隠さずに甲高い叫びの様な声を上げた。
「偶然、俺もそこに居合わせてな。おっかなくてちょいと覗き見ていただけなんだが」
くっくっと喉を鳴らしながら、劉毅は笑った。