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流浪一天  作者: Lotus
第十章
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第十章 二十九

 その甥にはそれほどの憎悪を抱いているという事なのか、男の豹変ぶりに樊樂らは驚いて顔を見合わせた。

「……徐騰はともかく、盗まれた物は返して貰わないと困るんだが」

 樊樂が男の顔色を窺いながら言う。すると男はまた表情を変え、今度は微笑を浮かべた。

「ハハ……ま、此処に来るとは思えんよ。もう長く会ってないし交友関係も知らない。すまないが……」

「いや、良いんだ。こっちこそ突然来て……何か嫌な事思い出させてしまったかな? 申し訳ない」

 樊樂はそう言って頭を下げた。

「あんた方は、お役人では無さそうだが……」

 男はもう一度樊樂ら六人の姿を眺めている。孫怜一人だけ上等そうな長袍を羽織っているが役人というよりは何処かの良家の旦那の方が近い。他は皆、ごく普通の旅装束姿である。

「俺達は、被害者の息子の依頼で、徐騰を探してるんだ」

 樊樂の言葉に男は小刻みに何度も頷く。

「私は何も教えられないが、あんた方が早くあいつを捕まえられるよう祈るよ。あいつは……もう居なくなる方が良いんだ」

 死んだ方が良い――男の言葉はそういう意味である。近親者である男の言う遠まわしでも何でもないその表現が、樊樂らに徐騰という男の非道ぶりを想像させた。男はぼんやりと遠くを眺めている。

「……それでは、これで。突然失礼致しました」

 孫怜は男に向かって拱手し、樊樂らも頭を下げる。男は憂いを含んだ微笑を浮かべ、小さく頷くだけであった。

 

 男と別れ、大通りを戻る。早々と徐騰の親類を見つけ、そして何も得られず、ただ引き返すしかない。あっと言う間にこの東淵でしなければならない事は終了してしまった。あとは話の聞き込みくらいしかないが、西から来て此処に至るまでに何も出なかった事を考えれば此処での見通しも同様に暗い。

「あの人、もし徐が来たら本当に北辰に突き出すんでしょうね」

 歩きながら劉子旦が言う。

「かも知れんな」

「徐騰は手下を連れてる筈だ。そう簡単にはいかねえだろ?」

「いや、この街の北辰の者にちょっと教えるだけで済むだろう。徐騰がちゃんと秘伝書持参で此処まで辿り着いたらの話だが」

「秘伝書を横取りされてたまるか。それよりも先に、何としても俺達が捕まえなきゃな」

 樊樂が言うと、皆、頷いて応じる。

「……少風が昨夜見つけたと言う死人が誰なのかが気になる。奪われた秘伝書と洪破天どのが持っておられた天棲蛇秘笈の表紙、同じ物なら死体は徐騰に関係が……或いは徐騰本人という事も考えられるぞ? その場合、何故表紙だけを持っていたのかが不可解ではあるが」

「馬公が見つけたんだからどんな奴だったか詳しく聞こう。徐はたしか痩せこけた男だって言ってたよな?」

「目に特徴があるとか。痩せて眼窩が窪んで、異様な顔つきって事ですが……」

 劉子旦は安県(あんけん)に程近い廟で周維(しゅうい)と劉建和から聞いた徐騰の特徴を思い出している。

「大抵、人の死骸は皆、そうなってるけどな」

 胡鉄が冗談まじりに言うが、それには誰も応じない。

「とにかく馬公に訊いてみるしかない」

「が、少風が屋敷に戻ったのはつい先ほどだ。あいつも遊んで暮らしてる訳じゃないからな。夜はまたあの紅門飯店で会える事になってるが」

「話するだけだし、あの屋敷に行きゃ良いだろ」

「あ」

 不意に胡鉄が何かを思い出した様に声を上げた。

「紅門飯店の美人てのは何処に居たんだ? まだ見てないけど」

「鉄……残念だったな。もう居ねえよ」

 樊樂は溜息混じりに言うと胡鉄の肩に手を置いた。

「俺達が来る遥か前に、後宮に召されたってよ」

「ええっ! 何だよそれ!」

 胡鉄は本気で期待していたらしく声を上げる。しかしそれなら紅門飯店で酒を飲んだにもかかわらず今まで忘れていたのは何だったのか。

「ま、こんな処まで声が掛かるくらいだ。とんでもない美人なんだろうな。そんなのはそう容易くお目に掛かれないって事さ」

 

 樊樂らは再び紅門飯店の前まで戻って来た。

「あれ、洪さん――」

 劉子旦が通りの先にこちらへ向かって歩いてくる洪破天の姿を見つけた。

(用がある様な事を言っていたが、もう済んだのだろうか)

 樊樂らは店には入らず、入り口の前で洪破天が来るのを待った。

「徐の処へはもう行ったのか?」

 洪破天は近くまでやって来ると訊ねた。屋敷に戻った馬少風と会って話を聞いたのだろうか。

「ええ。少風から聞いたあの徐という者が我々の期待していた手掛かりだったのですが、特にこれといった情報は得られませんでした」

 そう言って首を振る孫怜に洪破天は黙って頷く。そして紅門飯店に入ろうと歩き出したが、数歩行って立ち止まった。

「……おぬしら、後をつけられはせなんだかのう?」

「は?」

 洪破天が入り口の手前で顔だけを通りの方に向けているので孫怜は洪破天の視線の先を見遣る。するとそこには知らない男がじっとこちらを見ながら、佇んでいた。

「あれが誰か知っておるか?」

 洪破天は更に首を捻って孫怜を振り返った。

「いや、知りませぬが……」

「ふむ。どうしたものかのう……」

 洪破天はそう独り言ちて、また男を見る。

 孫怜にはさっぱり訳が分からない。あの男は自分達をつけていたのだろうか。しかし洪破天はただ男を見ているだけで、男の方も見られているにもかかわらず何の反応もせずに洪破天を見返している。警戒も緊張もない。それどころか男はやや笑みを浮かべている様にも見えた。

「……洪どの?」

「いや、こっちの話じゃ」

「樊さん……あれ……」

 不意に劉子旦が、樊樂の上着の袖を引っ張った。男を睨む様に観察していた樊樂は反対側に居る劉子旦を振り返って眉根を寄せる。

「何だよ」

 劉子旦は男が居るのとは反対方向の通りの先を指差している。その先に、行き交う人々に混じって馬に乗ってこちらにやって来る者が見えた。

 


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