第六章 五
「そうだなぁ……俺が前から知ってる人だから普通じゃないかねぇ。ただ単に新しく加わった人員という事になるとちょっとな。何故いきなり特別扱いだ? って事になりかねない。かと言って、じゃあ急に俺達の頭だと言われてもな。基本的に腕っ節が序列の基準みたいなもんだしな。そりゃああの人が腕を見せる事の出来る場面でもあったら、手っ取り早いよな。口を挟む余地無しだ」
「……そうですね。フフ、今の頭であるあなたでも文句は無いと?」
「他の奴ならいざ知らず、あの人だけにはどうやっても敵わないさ。しかし……当の本人がそんな気にはならないと思うけどな。旦那だってただの用心棒頭にしたくて城南に連れて来た訳じゃ無いんだろう?」
「まぁ、そうですね。当分は客人として居て貰う事になるでしょう」
「旦那、一体何をするつもりだい? わざわざ都まで行って剣も手に入れた。大金はたいてどれ程の価値があるのか、ま、俺にはさっぱりだけどな」
「まぁ、徐々に、です。あの剣だけでは特に効果は無いでしょう。それにあなたも知っている通り、あれには対になるもう一本がある。いや、それを手に入れたとしてもまだです。それらは後になって彼が手に入れた物ですから」
「じゃあやっぱり、あの二本の「小太刀」とかいう異国の剣を探すのか? あの人の……」
「そのつもりです。その二本こそが彼を完成させる。いや、失った欠片を再び――というところでしょうか」
「それは……単なる旦那の興味かい?それとも何か――」
「ハハ、そうですね、興味……趣味かな?」
「旦那」
洪は足を止めて周維をじっと見遣る。周維も立ち止まり見返した。
「何でしょう?」
「……剣だけでも俺が持ってきた方が良かったか?」
男達の担いでいた荷の中に話に上っていた都で買った剣というのがあるのだろう。周維は微笑を浮かべる。
「あなたが彼らだけでは安心出来ないと判断するならそうして下さい。しかし、私は彼らに荷を預ける事に何の不安もありませんよ?」
「そうか。何でもない」
洪は周維の言葉を聞いてニヤッと笑い、再び歩き出した。
丁度大きな通りに突き当たると周りには人が大勢行き交い、二人はそこで話を中断して街の更に東へ向かう通りを探した。
今世話になっている居酒屋で出会った劉という商人の男は街の東の方に住んでいるらしく、周維と洪は居酒屋の主人から聞いた劉の家の近くにある招寧寺という寺に向かっていた。劉は真武剣派や今回街に来ている招待客達の顔をよく知っているらしく、一緒に真武観に行く事になっていた。無論、劉と武林の名士達がお互い知った仲という訳では無く、劉の方が顔と名前を覚えているというだけである。
「ちょっと早かったかな? 誰もいねぇな」
洪が辺りを見回している。二人は招寧寺の古びた門の前までやって来たが、劉の姿は無かった。真武観では正午に真武剣派総帥陸皓が集まった者達の前で何か話す事になっているらしいが、早めに真武観へ行くとしてもまだかなり時間がある。二人は寺の門をくぐってかなり古いらしい寺の境内をぶらぶらと見物していた。
「洪さん、この扁額、真武派の始祖、王志劫によって寄贈された物だそうですよ。このお寺は相当古い様ですね」
「陸じゃないのかい?」
「違います。今の真武剣派の前身の真武派です」
「ふーん。何かややこしいな。真武剣って陸が編み出した訳じゃないのか……」
「それは何とも言えませんね。戻ったら夏さんに聞いてみればその辺の事は分かるかも知れませんね」
「ん? 何でだ? 夏さんとどう関わりがあるんだい?」
「真武剣派と、ではなく総帥の陸皓、それに弟子の筆頭である陸豊とはかなり深い縁がある様ですよ。聞いてませんか?」
洪は驚いて周維を凝視している。
「ま、そのあたりも彼の謎の中枢部分ですから、簡単には教えてくれないかも知れません」
「……初めて聞く話だ」
周維がゆっくりと振り返りながら扁額の掛かっている本堂に背を向け、戻り始めると丁度そこへ劉が門をくぐって入って来た。
「ああ、此処か。すまん」
「いえいえ、丁度見るものがあって良かった」
周維はそう言って笑う。
「実は……ちょっと今家が騒がしくなっててな。今行けそうに無いんだ」
「何かあったのですか? あ……劉さん、その血は……?」
周維が劉の唇に血が付いているのに気付く。劉は慌てて指でそれを拭った。
「つっ……ハハ、ちょっと口の中を切っただけだ。何でも無い」
苦笑いをする劉を洪が眉根を寄せて観察するように見る。
「家が騒がしくなっているとは? それは誰かに殴られた跡では?」
「劉さん、何か問題が起きているなら私達も行きますよ。何が出来るという訳でもありませんが、第三者が立つ事で状況は変えやすいと思います」
劉はまだ何も説明していないが、何故か劉の家で起きている事を見透かした様な事を周維は言う。
「ハハ、気持ちは有難いがあんたらには関係ない事だ。とにかく今は行けない。すぐ戻らねばならんのですまんが先に行ってくれ。俺達も行く事になると思うがきっとすごい人出だ。向こうでは会えんかも知れんが……。真武観の場所は分かってるか?」
「いや。聞いていけばすぐ分かるでしょう」
「そうだな。今夜この間の店、あんたらの泊まってるとこに行くよ。じゃあ……」
劉はそう言って踵を返して足早に去っていく。家に戻るのだろう。
「旦那、どうする?」
洪が周維に訊ねる。
「そうですね……。劉さんが気になりますね。誰かに殴られたのは確かでしょうか?」
「ほぼ間違い無いんじゃないか? ちょっと痣になってたしな。嫁さんに殴られるなんてのはちょっと考えられねぇけど」
「時間はたっぷりあります。ちょっと行って見ましょうか。いいですか?」
「分かった」
周維と洪の二人は劉が戻っていった方向へ歩き出す。後をつけるような形になってしまうが劉本人が来なくていいと言った以上、無理やり付いていくとは言えない。とりあえず家の近くまで行って何も無いようなら夫婦喧嘩か親子喧嘩の類だろう。その時は放っておけば良い。
劉の家はすぐ近くにあり、少し行った所の屋敷の門に入って行く。彼の商売はなかなか順調の様で比較的立派な屋敷であった。洪が先を行き、劉の入っていった門の中をそっと覗く。次の瞬間、洪はその首を勢い良く引っ込めた。そしてすぐに周維の許に駆け寄る。
「何か分からねぇが、男が四人居るな」
「ほう」
洪は再びそっと門に近付いて中の様子を窺う。周維は少し離れた処に立っていた。中には四人の男達がぶらついて居り、どの顔も若い。洪は気付かれない様に注意を払いながら引き続き中を窺った。
「あんたは黙ってろ!」
暫くして怒鳴り声が辺りに響き渡り突然の大声に洪は思わず身を引いて顔を隠す。それからまた徐々に門の中を覗くと、中の男達は皆声のした建物の方を注視していた。
「おい! やめろ!」
再び大声が聞こえる。今度は劉の声だ。どうやら何か逼迫した雰囲気だった。
「洪さん、そろそろいいですか?」
周維が洪に近付いて言う。
「ああ、いいよ」
洪の返事と同時に周維は数歩進み出て門の正面に立った。