第十章 二十三
樊樂が馬少風を見つけて言う。
「おっ、馬公だぜ。変わってねえなあの馬面」
「フッ、確かにな」
(古馴染みなのは確かな様じゃな)
洪破天は背後から聞こえるその会話を聞いてひとまずは納得する。
「流石にちょっと老けたか」
「おいおい、俺はまだ老けてはおらんつもりだが?」
馬少風と孫怜、樊樂の歳は殆ど変わらない。二人はそんな話をしながら洪破天に従い進んだ。
馬少風はじっとこちらを見ている。感慨深げに微笑むでもなく、嫌そうにするでもなく、懐かしい馬面のまま、ただ見ていた。
「馬はそっちに入った処に繋いでおくが良い」
洪破天が紅門飯店の脇にある路地を指差す。一人では馬に乗れない可龍を除いて他は皆、馬を牽いており流石に五頭を店の前の通りに並べる訳にはいかない。
樊樂らが脇の路地に入って行くと洪破天は店の前に向かい馬少風の許へ歩み寄った。
「呂州の孫、お前と同じ、殷の知り合いか?」
「ああ。……あいつは殷さんから天棲蛇の剣を教わった」
「なんじゃと? ……ただ、会いに来ただけかのう?」
「分からない」
洪破天と馬少風は声を落として言葉を交わしている。
「ねぇ、あの人達みんなお馬さんの知り合いなの? 何しに来たの?」
傅紫蘭が馬少風の腕を捕まえて割り込んでくる。だが訊ねている事は洪破天の持つ疑問とほぼ同じである。
「分からん」
馬少風は同じ答えを傅紫蘭に返した。
紅門飯店の正面までやって来た孫怜が馬少風に声を掛ける。
「少風、元気そうでなによりだ。十数年ぶりか?」
「ああ」
馬少風の返事はただそれだけであった。他人が見れば随分素っ気無い馬少風の態度だが孫怜はそれを気にする様子も無く相好を崩している。
「よう馬公、俺を覚えてるか?」
樊樂も孫怜の隣に並び馬少風と対面する。
「……樊だな」
「そうだ! いやぁ久々に会えて嬉しいぜ。お前変わってねえな。長い顔は言うまでもねえけどよ、その一言ずつしか喋らねぇ処なんかがな」
樊樂の言葉を聞いて馬少風の隣に張り付いている傅紫蘭がぷっと吹き出してしまう。孫怜と樊樂は傅紫蘭が馬少風の腕を抱く様にして引っ付いているのを見て、先ほどの屋敷で会った馬少風の雇い主の娘のようだが、本当にそれだけか、と疑問に思った。
「入ってくれ」
馬少風はそう言って店に入っていく。傅紫蘭も同じ体勢のまま馬少風にぴたりと付いて歩き出す。孫怜と樊樂は顔を見合わせたが馬少風がどんどん進んでいくので、「入ろう」と、後ろの四人に声を掛けてから後を追った。
依然として陽は東の空にあるというのに、この紅門飯店には多くの客がおり樊樂らを驚かせた。夜の紅門飯店に比べれば静かな方なのだが東淵に着いたばかりの樊樂らは無論、そんな事は知る由も無い。
馬少風は奥の席へと皆を案内し、それから一旦その場を離れた。洪破天が厨房入り口の辺りに居て傅英と話しており、歩いてくる馬少風に気付いて目を向けた。
「少風、気の回し過ぎかも知れんのう。全員、お前の知り合いか?」
「あの孫とその横の樊は知っている。他は分からない。会った事は無い」
「あの孫という男、商人か?」
洪破天の問いに馬少風は首を振った。
「もう十何年も会ってない。何をしてるのかは知らない」
「二人とも、何の話?」
洪破天と馬少風の二人が時折、一緒に入ってきた客の方を見ながら話しているので、傅英がその様子を訝って訊ねる。
「いやなに、少風の古い友人が訪ねて来たんじゃ。酒でも出してやってくれんか。商いをしておると言うから金は充分あるじゃろう」
「そう? なら早速おもてなしさせて頂きましょうか」
傅英は笑顔を浮かべて厨房へ入って行った。
「少風、儂は遠慮した方が良いかのう?」
「いや、紹介する」
「ではもう少ししたら顔を出そう。……紫蘭はどうするかのう」
傅紫蘭は相変わらず馬少風に引っ付いている。
「私が居ちゃまずい事でもある?」
すまし顔でそんな事を言っているが、馬少風が隣に居るからそんな事を言えるのであって、一人で客人達の前に置かれたらすぐに逃げ出すに違いない。
「まあ、いいだろう」
馬少風は傅紫蘭を連れて客人達の待つ席へと戻った。
樊樂らは朝食を摂ってきたらしく食事は遠慮したが、酒までは断らなかった。
「此処へ来て何も要らんとは言えねえだろ」
真っ先に酒に手を出したのは樊樂だった。馬少風は昼間からこの店で酒を飲む事は全く無かったが、樊樂は再会の杯と称して馬少風にも酒を注ぐ。
「では、再会を祝おう」
樊樂が酒杯を掲げる。皆もそれに合わせて杯を掲げて後、酒を呷った。
「順序が逆だったな。こいつらは――」
樊樂が他の男達を指差す。
「今の俺の仕事仲間だ。劉子旦に胡鉄というんだ。そっちの若い二人は可龍と比庸」
劉子旦と胡鉄は軽い会釈をし、可龍と比庸の二人は馬少風に体ごと向き直り深々と頭を下げた。
「怜にはたまにうちの仕事を手伝って貰ってるんだ」
孫怜が穏やかな微笑を浮かべながら馬少風を見る。
「たまには帰ってくるだろうと思っていたが、さっぱりお前の顔を見る事は無かった。一度も呂州には帰ってないのか?」
「ああ」
馬少風はそう答えて酒杯に口を付けるが、ほんの少し唇を濡らす程度にしか触れていない。
「ずっと此処で働いているのか?」
「ああ。俺は用心棒だ。だが常にこの店に居るわけじゃ無い。屋敷にいる」
「屋敷? ああ、ここの主人、傅どののお屋敷か? 先ほど立ち寄った」
孫怜の表情は明るく、樊樂とそのお仲間達の雑談しながら酒を飲む仕草に何の違和感も無い。
(確かに気にし過ぎか)
少しばかり馬少風の頬が緩んだ。