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流浪一天  作者: Lotus
第十章
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第十章 二十一

 いつもの事ながら特にする事も無い洪破天は屋敷に留まり傅千尽と会った。傅千尽は常に忙しそうにしており出掛ける事が多いが、洪破天は今、傅千尽が具体的に何をしているのかはあまり良く知らない。元々薬を扱う稼業でこの東淵に流れて来た当初もそれで細々と生計を立てていたが、今では成功を収めて東淵の傅家と言えばこの街の新たな顔役となりつつあり、傅千尽の仕事は昔とは随分と様変わりしている事は確かである。

 洪破天がこの傅千尽のやる事をあまり深く知ろうとしないのには彼なりの理由があった。だが洪破天の中にある複雑な心情から来るそれは他人にはよく分からないものかも知れない。

「媛を迎えに行かなかったのか?」

 傅千尽は珍しく出掛けずに居間でくつろいでいた。洪破天の記憶の中で最も古い傅千尽は痩せてあまり血色の良くない男であったが、今では胴回りがかつての姿からは想像もつかないほど大きくなり、少なくとも見た目は傅大人の呼び名に遜色は無いと言えるほど変化している。洪破天はその傅千尽の真向かいに座り、雑談していた。

「梨妹に全てを任せる。儂は邪魔になるだけじゃ」

「洪兄、何故そんな風にばかり考える? 前はそんな事はなかっただろう? 何があった?」

「何も無いわい。昔から、変わっとらん」

「いいや、儂には分かる。妙によそよそしくなってきておるではないか。洪兄、言わせて貰うが、これは儂には我慢ならん事だ」

 傅千尽は語気を強めて洪破天をじっと見る。その言葉に偽りは無く、咸水よりずっと共に暮らしてきた洪破天は傅千尽にとって特別近しい存在だった。洪破天も殷汪も、自分と同様に突然家族を失い、共に国中を彷徨ったのである。何事も無く平凡に暮らす一家などよりもずっと濃い結び付きを傅千尽は感じていたのだ。それがここへきて洪破天は妙に自分に遠慮する様な事を言う。今はまだ些細な変化であったが傅千尽は嫌な予感めいたものを感じていた。

「媛については何度も言ったが洪兄の娘でもあり、もう儂の娘でもある。あれを育てる事は当然の事」

「全て任せると言っておるじゃろうが。遠慮しておるならこんな事頼まん」

「それなら! 自分は邪魔だとか言うな! 邪魔な事などあるものか!」

 不意に傅千尽が怒りの声を上げた。見ればその目が潤んでいるではないか。洪破天は呆気に取られてしまった。

「千尽、お前……?」

「やはり……あれか? 北辰の者がうちに来るようになったのが原因か?」

 俯いて頭を抱える傅千尽を見て洪破天は顔を顰める。

「何がじゃ?」

「儂が何も気付いておらんとでも? 洪兄も、そして……殷も。儂の処に居たくなくなったのだろう?」

(……それと北辰がどう繋がると言うんじゃ?)

 傅千尽がいきなり何を言い出したのか良く解らない。そもそも何故いきなりこれほど感情的になっているのかも洪破天には想像がつかなかった。

「……馬鹿な。儂なんぞお前と居らなんだらとうに飢えて死んでおるわい。儂はこの東淵に来てからというもの、お前に頼っておるばかり――」

「それで良いではないか! 儂らは家族だ。いちいちそんな事を考える事自体が間違っている! 儂はこの街でなんとかうまくやって楽な生活が出来るようになった。赤の他人ならいざ知らず、洪兄も殷も共に居て楽をすれば良いのだ! 儂が良いと言うんだから何の問題も無かろうが! 何の問題も!」

 傅千尽は真剣な眼差しで洪破天を睨みつける様に見ている。洪破天は視線を逸らした。

「……殷の奴も、遠慮していたと?」

「そうだ。そうでなければ方崖へ行くなどあいつが言うような事ではない。まだ何処ぞへ放浪を続ける方があいつの言いそうな事だ。あいつは……北辰で良い身分になれば儂がこの街で色々やり易くなるなどと考えたのだ」

「あれがそんな気を使うかのう?」

「フン、深くなど考えてはおるまい。ただ漠然とそんな気がして教主の招きに応じたのだ」

「千尽、考えすぎじゃろう?」

「洪兄は、北辰が自分を張っているから気にしておるのではないか? 儂らにも累が及ぶと」

「はて? 奴らは儂を張っておるのかのう? 儂だけではあるまいが。殷に関係のある者……お前も同じじゃろう」

 洪破天は鐘文維と話して北辰は特別、傅家そのものに注意を払っている訳ではないという事を知っている。特にあの鐘文維はさっさと東淵を離れたいとまで言っていた。それを説明をしても良かったのだが話しが長くなり面倒なので明かす事はしなかった。

「そうだ! 洪兄だけでは無い。儂らも同じだ。儂は……殷も洪兄も、どうも儂に気を使い過ぎる様な気がしてならんのだ! もっと好き勝手すれば良い。今や儂は大金持ちだ。もっと遊びたいと言えばいくらでも金を出してやるし、媛の面倒を見る事にしても何でもない事だ!」

 流石にこれは乱暴過ぎる。話の脈絡にも微妙にずれがあり、昂った感情に任せて言っているに過ぎない事は明らかである。

「千尽よ。儂がお前に遠慮などという殊勝な心の持ち主に見えるか? 儂はただ、勝手に連れてきた媛児をお前が嫌な顔もせずに任せろと言ってくれるのをありがたく思うておるだけじゃ」

「ありがたがるのがいかん。こんな当たり前の事を洪兄が気にするな」

 洪破天はもはや苦笑いを浮かべるしかなかった。どうもこの傅千尽はいつもとは違う様だが、それにしてもやはり傅千尽の気持ちは嬉しかった。

「旦那様」

 部屋の外から女の声が呼び掛ける。

「そろそろ参りませんと……」

 傅千尽がその声に応じる様子が無いので、洪破天は立ち上がった。

「仕事があったのか。邪魔したのう」

「だから邪魔ではないと言ってるだろう! 待たせておけば良い!」

 何の仕事であるのか聞いていない洪破天は誰を待たせて良いのかも分からない。

「……ハァ。あー、そうじゃ。昨夜は媛の処には行っておらんしのう、顔を見に行くかの。梨妹に怒られるかのう?」

「何故あれが怒る? 構わん。好きなだけ行けば良い。娘の顔を見るのに留め立てする権利など誰も持っとらん」

「ハハ、まぁそうじゃな。では、行って来よう」

 洪破天はそう言って部屋を出て行く。入り口には傅千尽を呼びに来た下女が控えていた。自分が帰れば傅千尽はまた忙しく出掛けて行く筈だ。

「そうじゃ。紫蘭は少し体調がすぐれぬ様じゃ。寝ておればどうという事も無さそうじゃからそっとしておくのが良かろう」

「全く、いつも遊び呆けておるからだ。……何とかせねばいかんな、あれも」

 傅千尽の言葉の調子が普段通りに戻っている。洪破天はその顔を眺めつつ、

(遊び呆けておれば儂の様になるからのう。お前もそれでは困るじゃろう?)

 そう思ったが口には出さなかった。

 


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