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流浪一天  作者: Lotus
第十章
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第十章 十九

「ほら早く。寝台が要るわ。運んで来て」

 傅紫蘭は一旦、自分の寝台に身を投げ出したがすぐに身体を起こし、超謙らに向かって言う。身体はだるそうだがその命令口調だけは回復している。

「紫蘭。俺達は流石に此処では寝られん。洪さんの分だけ持ってくるからな」

 超謙がそう言うと超靖、馬少風も共に出て行こうとする。此処には空き部屋が幾つかありそれぞれ寝台が備わっているので、近いところから一つ運んでくれば洪破天も休む事が出来る。

「あ、お馬さんは置いてって」

「……紫蘭。駄目だ」

 馬少風が振り返って首を振るが、傅紫蘭は何も言わずにじっと見返している。

「少風。まぁ言う事を聞いてやらんか」

 洪破天は傅紫蘭の寝台の傍にあった椅子に腰掛け、上体を伸ばして震わせている。紅門飯店でかなり飲んでいるのでそう簡単に酔いは覚めない。此処へ来た途端、眠そうな表情に変わっていた。

「洪さんが居るんだからまあ大丈夫だな。少風、お前は此処に居ろ」

 超謙と超靖の二人が部屋を出て行った。

 

 流石に寝台を新たに二つ運び入れると部屋はかなり手狭になり、洪破天が腰掛けていた椅子も脇に片付けられた。だが傅紫蘭はこのいつもと違う雰囲気が楽しい様で、その表情に笑みが戻ってきた。

「紫蘭、もう眠いわい。儂はもう休むぞ?」

「うん。じゃあ寝よう!」

「寝ようと言うのに元気じゃのう……」

 洪破天は呆れた様に言ったが、内心は安堵していた。いくら普段は快活で元気に振舞っていても年頃の娘。ふとした事で心に傷を負ってしまうというのは聞く話である。

(若い娘は大事に育ててやらねばいかん。大事に……)

「でも、なんだか今日は疲れたわ」

 傅紫蘭は寝台に横になり天井を見上げて独り言の様に言った。

「儂も疲れた。少風、紫蘭を背負って腰は大丈夫か? もう昔の様にはいくまいて」

「……ああ、重くなった」

「重いですって?」

「俺が歳を取って腕が細くなったから全ての物が重くなったという意味だ」

 三人は同様に天井を見ながら話す。徐々に言葉が減って行き、やがて小さな寝息に変わっていった。

 

 早朝、空が僅かに白み始めた頃に洪破天は目覚めた。余程体調を崩しているのでない限り、必ずと言って良いほど夜明け前に目を覚ます。前日に酒をたらふく飲んでいようと、とりあえず起きるのである。爽快な朝とはならない事の方が多いがこれが習慣であった。

 隣に目を遣ると、傅紫蘭は背中を丸めて眠っている。

(ふむ、大丈夫じゃな)

 悪い夢を見てうなされるという事も無かった様だ。規則正しい呼吸を感じ取ると洪破天はまた安堵した。

 そのままそっと寝台を降りて立ち上がる。目の前には馬少風の寝ていた寝台があるが、そこに馬少風は居なかった。もう明け方なので起きていてもおかしくは無い。洪破天は肩に手を遣りつつ欠伸をしながら部屋の外に出てみた。

 寒いと言う程では無いが寝台で温まった身体に少し冷えた空気が心地良い。身体の節々を念入りに動かしてから目を閉じて気息を整える。すがすがしい空気が肺を満たしていく。

 暫くそうしていると、人が近付いてくる気配を感じた。洪破天は目を開く。

「洪さん」

「少風か。早いな」

 馬少風はいつもと変わらぬ変化の無い表情で洪破天を見ていた。寝起きの顔という感じでも無く、もっと暗い内から起きていたのかも知れない。庭を囲んだ回廊の欄干にもたれて辺りを眺めている洪破天の隣に立ち、一緒に庭を眺める事も無くそのまま口を開いた。

「殷さんは今、何処だろう?」

「何じゃいきなり? こんな朝っぱらから」

「昨日見つけた男、殷さんと関係があるかも知れない」

「何じゃと?」

 馬少風の突飛な言葉に洪破天の細めていた目が一気に開く。起きたばかりの会話でまさか殷汪の話になるとは思ってもみず、しかも昨夜の事件と関わりがあるかも知れないなどと、寝ている間に夢の中で思いついた新しい冗談かと呆気に取られて馬少風を見た。

「あの死体に、これが――」

 馬少風は懐から一枚の紙をそっと取り出す。古く黄ばんだ少し厚手の紙。馬少風はそれを折り畳まずに懐に大事に持っていた様である。

「あの男の持っていた物か? お前……これを黙って抜き取ったのか」

 洪破天はそれを受け取り、視線を落とす。

「読めんではないか……」

「天棲蛇」

「何?」

「天棲蛇秘笈と読める」

「てん……本当か?」

 眉を顰め、文字に顔を近付けて目を凝らす。

「……誰が書いた? まさかこんな物があるとは、聞いた事無いぞ!」

 自然と声の音量が上がり、辺りの静けさもあって声が響き渡った様な気がした。すぐに口を噤んで傅紫蘭の部屋の気配を窺う。馬少風がそっと部屋を覗く。

「まだ寝ているな」

「少風、これだけか?」

「ああ。他にあの男の持ち物は剣だけだったがそっちは何も変わった事は無かった」

「天棲蛇剣……信じられん。今頃になって出てくるとはのう。いや、待て。殷はこれを『書かれていない』と昔から言っておったんじゃぞ? お前もそれは聞いておったじゃろうが」

「俺も驚いた。だから本物かどうか気になる。だがそれだけしか無い」

 洪破天は裏にも目を遣るがそこには何も無い。表にうっすらと題字の一部が残るだけだ。

「洪さん。この街であんな死体と一緒にそれが出てくるという事は、やはり北辰も絡んでいるんだろうか? 天棲蛇という言葉自体、知る者はかなり少ない筈だ。昨日の男を殺した奴は天棲蛇剣を知る誰かと関わりがあって、その誰かはこの街に、居る?」

 馬少風の表情は相変わらずだが声に僅かな焦りの様なものが含まれているのを洪破天は感じ取った。

「……居るではないか? 儂とお前じゃ」

「殷さんがこの街に、もしくは近くまで来ているという事はあるだろうか?」

「何とも言えんが恐らくそれは無かろう。あとは北辰か……今は居らんじゃろうな」

 洪破天は眉を顰めた状態で馬少風の顔を見上げる。

「天佑はもう、居らん」

 


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