第六章 三
「しかし、剣だろう? とんでもないって程では無い様に思うが?」
「だがこれほど有名な剣も無いぞ。かなり古い物だが今の世にあっても並ぶ物無しの名剣だ。伝聞だけじゃない。実際にその二振りの恐ろしさを味わった人間が居るんだからな」
劉が話すのを周維は黙って聞いている。既に聞き及んでいる話なのだろう。主人はといえば興味が沸いてきたのか少しばかり身を乗り出している。
「誰だ?」
「誰って……そうだな、此処にも目にした者は結構居るんじゃないか? 真武剣派の人間とかな」
「ではその倚天剣の持ち主は真武剣派の方々と遣り合った事があるという事ですか? その人物は青釭剣までも持っていたと?」
真武剣派という名が出て来ると古の二振りの剣が急に身近な物に感じられる。主人が口を開こうとしたが先んじて周維が劉に訊ねた。
「まぁ目にした誰もがそれを手にとって眺めた訳じゃ無いからな。本物であるという確証は無い筈だが、しかしその二振りを相手にしなきゃならなかった奴らは相当恐ろしい想いをしただろうよ。真武剣だろうが何だろうが相手にならん」
劉は主人や周維達をまるで脅かそうとでもするかのように声を低く抑えゆっくり視線を動かした。
「なぁ、誰が持ってたんだ? どうやって手に入れたんだ? 何故都で売られてたんだ? 誰か買ったのか? お前の商いとどう関係がある?」
主人は半ば面白がって立て続けに質問する。
「……お前本当はどうでも良いんだろ? 都でそいつを目にした時は喉から手が出るほどだったが、とんでもない値が付けられててな。手が出なかった。まぁそれは仕方無い。……一緒に行ってたうちの爺さん、俺の親父なんだがその時とんでもない事を言い出しやがった」
「爺さんは大抵とんでもない事ばかり言ってるだろ」
「まぁな。その爺さんはその倚天に匹敵する品を持ってるとか言い出した。倚天剣が売りに出されたのを聞きつけた人間が大勢集まってたからな、そこでなら法外な値をふっかけても買う人間が居る筈だという訳さ」
「じゃあその倚天の剣ってのは誰か買ったんだな? 幾らだ?」
「残念ながら買った奴の顔を拝む事は出来なかったんだが後で聞いた話では、黄金二千五百両」
金額を聞いた主人は言葉を失った。何か言おうとしたのに声が出なかったという感じで口が開いたままだ。周維も目を大きく見開いていたがその驚きは主人程ではない様である。
「一体……何処で何やってる人間なんだ? 幾ら凄い剣と言っても剣だぞ? 全く……大金持ちってのは金だけあって頭は空っぽなんじゃねぇか?」
「ハッ、頭空っぽでどうやってそれだけの金が作れる? まぁとにかく買った奴が居るんだよ」
「で? 爺さんの売り物はどうなった? 何だったんだ?」
「持ってなかった」
「あ?」
「爺さんの言う凄い品とやらは持って行ってなかったんだ。うちの蔵に眠ってるんだと。呆れたね。そんな凄い物なら忘れてんじゃねぇよ……」
「ハハッ、爺さん呆けたな。しかし次また持っていけば良いじゃねぇか。もし今回そいつを持ってて売り出したとしてもだ、とんでもない剣に対抗したところで後出しでは怪しまれるかも知れんだろ? そいつは何なんだ?」
「今は言えん。と言うか俺もまだ目にしてないんだ。あの蔵にまともな品があるって事が怪しいんでな。言った後で実はがらくただったなんて事になれば大恥だ」
「ふーん」
主人は前方に乗り出していた体を起こし背筋を伸ばして腕を組み、ずっと黙っている周維と周りの男達に目を遣った。周維は微笑を浮かべながら主人を見返す。一緒にいる男達は特に感想も無いといった表情で劉の方を見ていた。
主人は周維を見て話題を変えた。
「あんたはこれから城南か。えらく遠いな。まさかずっと歩きか?」
周維は微笑を崩さず涼しげな表情は変わらない。横に居る褐色の男とは対照的な白い顔で、南の城南で暮らしているなら余程日差しを警戒しなければすぐに黒くなってしまう筈だった。
「いや、馬があるのですが中央の通りに入った所で馬は邪魔だと言われまして。今は預けてあります」
「ああ、そうか。ま、今だけだ。明後日の真武剣派の英雄大会が終われば騒ぎは治まる」
「私は今回が初めてなので楽しみにしているんです。御高名な方々がお越しになるんでしょうね。もう武慶には入られているんでしょうか?」
「居るんじゃないか? 俺は会ってもわからんが」
劉が口を開く。
「此処に戻ってすぐに見たぞ。都の田家の一行をな」
「田? ああ、総帥の娘婿だな?」
「そうだ。陸蓉の姿は見てないが多分一緒だろう」
「田家といえば宰相、田偉様の御一族ですね? 真武剣派は朝廷とも繋がっていると……」
周維は劉に視線を移し、
「意外ですね。真武剣派と言えば今や江湖における象徴的存在になりつつあると認識していたのですが」
「そいつは随分と持ち上げたもんだが、実際の真武剣派は言うほどのモンじゃ無い。そもそも真武剣派の人間は特別多いという訳でも無いんだ。少し前までは真武剣派と東北の北辰教が武林の二大勢力なんて言ってたが、はったりだ。あっちの一人勝ち、圧倒的な差でな。何万も居るんだ。万だぞ、万。それに比べてこっちはどうだ? 真武剣派に属する人間は武慶以外にも居るが、全部かき集めたって……千にも程遠い。全然足りん」
「なるほど。そこで今回の様な大会ですか」
「ああそうだ」
劉はまたニヤリと笑う。劉は此処の主人よりも周維の方が色々と話しやすい様である。主人は黙って劉と周維を交互に眺めていた。
「陸皓は自分の作った真武剣派そのものをでかくしたいとは思ってない様に見える。そのかわりに国中のあらゆる組織と繋がりを持とうとしている。武林のお仲間は勿論だが都だけじゃない各地の名士達とも接触するにやぶさかではないさ。それこそ「象徴」的なのが都の田家だ。娘を嫁にやったのはもうずいぶん昔だが、きっと何か思惑があったんだろうな」
「では今回の大会は真武剣派と繋がりのある人達が集まって結束を固めるのが目的なんでしょうね。やはり今でもそれは対北辰教という事を意識したものでしょうか?」
「今までならそうだが、今回はどうだろう? まぁ共通の目的、共通の敵を持てばやり易いだろうな。だが近年東北方面は静まり返ってる。今、雁首並べて打倒北辰を叫んでも白けるだけじゃないか? 怪気炎だな」
劉の言葉を周維は頷きながら聞いていた。
「おい、お前随分と話に力入ってるがそこまでの分析がお前の商売に役に立つのか?」
主人は劉の話を初めて聞いたかの様に目を丸くした。
「役に立つと言うよりも、この位の事は理解して当然だな。俺達はこの国のあらゆる所が商談の場になるんだからな」
「その通りですね」
「余談だが、倚天剣の出所は北辰だぞ。方崖にあった品だ」
「本当か? ……北辰教が金に困って売り出した――なんてことは無いよな。と言う事は誰かが盗み出したか。それもとんでもなく難しいな。あ、ああそれで真武剣派の奴らが震え上がったって話か。持ち主は北辰の奴……。そんな凄い剣なら教主の持ち物だったんだろう?」
「違う」
劉はまたもニヤリと笑うがその視線は手元の酒に注がれていた。