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流浪一天  作者: Lotus
第九章
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第九章 二十二

 初めて、孫怜と郭斐林は互いに正対し向き合う。

「郭どの。もう行かれよ。襄統派の二人をお願い致す」

「いいえ。あなたの仰った通り、我ら真武剣派が遣った事にした方が良いでしょう。あなた方が先に行って下さい。後は我らが。……既に我が派は北辰と対立しているんですからね」

 そう言って郭斐林は力無い微かな笑みを浮かべた。

「湯長老……と呼んでおられたが、北辰での身分は?」

 樊樂と胡鉄が運び出す老人の死体を見送りながら孫怜は郭斐林に訊ねた。襄統派と真武剣派の弟子四人は郭斐林の傍に集まって来ていた。

「北辰に『長老』は山ほど居ます。あの者は末端の数人をまとめる程度。湯長老自身、末端の一教徒と言っても良いでしょう。同じ『長老』でも北辰を動かす方崖の九人の長老とは話した事も無いでしょう」

 郭斐林が言い終えると孫怜は間髪入れずに質問を続ける。

「何故に今、北辰はあなた方を挑発する? あなたは……今から東へ向かわれるのか?」

「それは……我ら真武剣派は北辰の教主が陶峯の頃からの因縁が深く――」

「未だに? 陶峯の野望が潰えてもう十年近く。それに今まで北辰はかなり大人しくなったと聞いていたが……まだ終わっていないと?」

 郭斐林は言葉に詰まり俯いてしまう。

 確かに近年では北辰教と真武剣派には何も起こっていない。互いが接近する事すら皆無であり、かつての抗争は完全に終わったと見て良い。ならば真武剣派の者が此処から東、北辰の縄張りに赴くのは何故か。北辰教徒が再び西進し真武剣派や襄統派と揉め事を起こすのは新たな『何か』の始まりか。

 その『何か』のきっかけとなるであろう物の事を、郭斐林は口にするだろうか? 真武剣派が今必死になって追う秘伝書が直接の原因にはならないかも知れないが、確実に火種となる――孫怜はそう考えている。

 樊樂らは真武剣派、とりわけ陸皓がそんなにその秘伝書に執着するという事が未だ良く理解出来ない様だ。武林の大多数も同じ意見かも知れない。確かに『秘伝書』となればその中身には大いに興味を抱くだろうが、それが敵対する北辰の縄張りにまで流れて行ったとすれば普通は諦めるものだ。北辰教とてその存在を知れば欲しがるに違いない。争いになるのは火を見るより明らかであり、残念ではあるが秘伝を目にするという儚い夢はそこで潰える。しかし、陸皓はまだ諦めない。何故そこまでして? と思えるのだ。そもそもの秘伝書と真武剣派との関わりについて樊樂らは知らない。

 郭斐林は至東山に立ち寄った後、秘伝書の為に東へ行くのではないか? 陸皓は余程で無いと諦めない筈だ――孫怜だけがその様に承知していた。 

 孫怜はじっと様子を窺ったが郭斐林が黙ったまま答える様子が無いので、後ろの襄統派の弟子二人に視線を移した。

「すぐに至東山へ戻った方が良い。郭どのもそちらに向かわれる」

 郭斐林が顔を上げて振り返り、泰正を見る。

「私達も至東山へ行くわ。悌秀師太にお目通りしてお詫びしなければ……」

 泰正が慌てて手を振る。

「お詫びだなんてそんな! 太師父様は、北辰の者がただ己の欲望のまま真武剣派に仇を成そうとしているのは明らかなのだから、襄統はどんな困難を伴おうともすべからく江湖の安寧の為に立つべきであると仰せです。この前の騒動の際も北辰は何の脈絡も無くただ面白がって我が派の者を傷付けたのですから、決して真武剣派の皆様のせいではありません」

 最近、真武剣派の弟子が北辰教徒に傷付けられ、その場に襄統派も居た為に北辰教徒達は襄統派にまで難癖を付けては絡んでくる様になっていた。そして襄統派にも怪我人が出ている。

 泰和が話を継ぎ、

「あの……今回は私達がぐずぐずしていたばかりにあの者達に目を付けられて……。私達の方が皆様にご迷惑を……」

 最後の方は消え入りそうな声になり思い切り肩を縮めている。郭斐林はその様子を見て微笑み、明るい声を出した。

「至東山まで行って師太にご挨拶しないなんて道理は無いでしょう? 師父から悌秀師太への伝言もあるの。とにかく行きましょう」

「はい」

 

 話がまとまった様なので、孫怜は黙ってその場を離れようとする。まだ樊樂らは北辰の男を運んで林を行ったり来たりしており、孫怜や郭斐林の話は聞いていない。孫怜が歩き出したところを、すぐに泰正が呼び止めた。

「あの、有難うございました。皆さんが来られなければ――」

「いや」

 孫怜は腕を差し出して泰正の礼を遮った。だが顔は微笑んでいる。

「この先、襄統派の武芸を極められればその時はもう我らの出る幕は無い。今の内に多少は良いところが見せられて良かった」

 孫怜の言葉に泰正の心が弾み、自然に笑みがこぼれた。北辰の男達をあっさりと片付けた孫怜のほんの少しおどけた様な冗談に加えて、襄統派の武芸を身に付ければあんな男達など相手では無いという言葉に持ち上げられ、若い泰正は一気に気分が良くなった。

「お名前をお聞きしても?」

「孫。呂州から参った。東へ向けて旅をしている」

「あなたは――」

 郭斐林がこの二人の傍に歩み寄る。

「剣を何処で?」

 使い手であれば何処かの正式な門弟で無くともそれなりに風聞があるものだ。ましてや郭斐林の様な武林の人間ならばその手の話には自然と興味が沸く。しかし『呂州の孫』とは初めて聞く名であった。

「私は生まれも育ちも呂州。剣は――習ったという程でもないな。知り合いに教えて貰った。剣も使えるという百姓で、あなた方名門の弟子とは程遠い。フッ……あなたの前で剣を抜くなど恥をかくだけだというのに、つい必死だったものでね」

「とても『必死だった』とは思えませんでしたわ。とても素晴らしかった」

「はて? 俺はそんなに剣を振るったかな?」

「いいえ、全く。あなたは剣を差し出しただけだった。私は――良く似た手を知っています」

(まぁ、そうだろうな)

 孫怜は心の内でそう呟いたが、顔は少し大袈裟に笑みを作った。

「ハハ、それなら殆どの剣に似るでしょうな。相手を突くには差し出さねば」

「それだけで終わる剣となれば、かなり限られてきます」

 郭斐林が真顔で言うので孫怜は話を続けるのが面倒になり、「ハハ」と曖昧な表情を作って首を廻す。

「おい怜! 終わった!」

 少し離れた処で樊樂が大声を出す。胡鉄と劉子旦も横に居てこちらを眺めていた。

(ハハ、樊樂は良い奴だ)

 


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