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流浪一天  作者: Lotus
第九章
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第九章 二十一

「湯長老!」

 郭斐林が湯長老に迫る。一直線に跳躍してきた郭斐林はそのまま長剣を鋭く突き出した。

「お前は関係ない! さっさと行けば良いじゃろうが!」

 顔を真っ赤にして怒り狂った様子の湯長老が孫怜を追う足を止めて郭斐林の突きを受け流しつつ叫んだ。

「ハッ!」

 剣先で刻み込む様に細かい突きを入れる郭斐林の手を嫌った湯長老は大きく剣を薙いで後方に跳躍し離れようとする。だが郭斐林はすぐさま反応して間合いを取らせない。明らかに郭斐林の方が優勢であった。

 

「怜」

「やってくれるなら有難いが……このまま放って置くのは格好がつかんな」

 樊樂が郭斐林と湯長老を避けて孫怜の傍に駆け寄ると、足を止めて振り返り二人を眺めていた孫怜は言った。

「格好なんてどうでも良いだろ? 俺達はただの旅商人なんだよ。あの郭ってのがあの爺さんをやってくれりゃあその方が良いに決まってる。真武剣と北辰の喧嘩だ」

「もうあの老人だけだ。片付けてしまえば何も無かったのと同じ」

 湯長老以外の男達はまともな抵抗も出来ず、とうに孫怜によって片付けられていた。孫怜は短い気合を発し、湯長老目指して跳躍する。

(何故そんなに気合入ってんだ?)

 樊樂は孫怜の後姿を暫く見つめたがその後我に返って再び追いかける。

 

「儂らが何をした! 少しばかり襄統の弟子と話をしただけではないか!」

 郭斐林を相手に焦り始めた湯長老は孫怜が再び戻って来たのを目にしてうろたえた。

「襄統派は見てないと言ってなかったかしら?」

 湯長老は口を噤んでじりじりと後退していく。そこへ孫怜が剣を振りかざし湯長老の頭上から急襲する。

「馬鹿もんがっ!」

 湯長老は何故その言葉を選んだのかは解らないがとにかく目一杯昂った感情を剣に込め、孫怜に向けて突き上げる。孫怜はそれをいとも簡単に両足を使って()なし、自らの宝剣を湯長老の首目がけて振り下ろした。

「フワッ!」

 もはや体裁などに構っていられず何とかその宝剣を避けて地面を転がった湯長老は再び起き上がるとすぐさま自分の首に手を遣り、触って傷が無い事を確かめる。首を三度さすり、三度その手のひらを眺めた。

「お前っ! たっ、ただでは済まんぞ!」

 孫怜は着地と同時に地を蹴って湯長老に迫る。瞬く間に間合いは詰まり、それから暫く互いの長剣が火花を散らし甲高い金属音が林に響く。

「湯長老観念なさい! あなたに勝ち目は無いわ!」

 郭斐林がすぐ傍まで来て二人の戦いを眺めて言う。湯長老はもう完全に余裕を失い、もし郭斐林がそこへ数手加えれば混乱の上に恐慌をきたしてしまうであろうところまできていた。

「剣を捨てなさい! 早く!」

「黙れっ!」

 この郭斐林と湯長老の短いやり取りをきっかけに、孫怜の手が鋭さを増した。郭斐林の目にはそれがはっきりと解る。次から次へと繰り出される孫怜の手はいずれも確実に湯長老の急所を狙っていた。郭斐林は孫怜に向かって叫ぶ。

「待って! 殺す必要は無いわ!」

 すると孫怜は手を止めて後退した。湯長老は呼吸を乱し、前屈みになってふらつきながら孫怜を睨みつけている。

 郭斐林がその前に進み出る。手にはまだ抜き身の長剣を携えている。

「湯長老――」

「そいつは既に我が教の者を殺しておる! お前達真武剣派はそいつに加担した。かっ、必ず後悔する事となろう……」

 乾ききった喉から音を搾り出すように喘ぎつつ湯長老が言う。

「……そうね。でももう覚悟は出来ているのよ。あなたが我が派の弟子を傷付けた時から!」

 郭斐林が長剣の先を湯長老に向けたその瞬間、彼女の視界の端に居た孫怜の姿が不意に消えた。郭斐林と湯長老に声を出す暇は無かった。孫怜は、何の抵抗も受けずに湯長老の目前まで移動しており、その手の宝剣は完全に湯長老の胸を刺し貫いていた。

 今まで切り結んだ数十手は何だったのか? そう思えるほどあっけなく、終わる。孫怜は湯長老の胸から噴出した返り血を避けて踏み込むのと同じ速度で退き、再び郭斐林の横に平然と立つ。遊びは終わり――そんな孫怜の一手であった。

「なっ……何も殺さずとも!」

 郭斐林が目を見張り声を上げると、

「今から東淵辺りまで行かねばならない。真武剣派はお仲間も多く、どうという事は無いかも知れぬが我らは北辰に目を付けられるのは非常に困る。他はもう始末済み。一人でも逃すのは不味いのでね。生かすという選択肢は、無い」

 孫怜はまっすぐ郭斐林に顔を向ける事はせずに横目でちらと見遣るだけである。

(それは……分かるけれど……)

 郭斐林は何とも言えない釈然としない感覚を覚える。さりとてこの男を嫌うという程でも無い。謎の多い手筋ではあったが、優れた剣術を見せた孫怜に対する印象からだろうか? もし未熟な腕でありながら相手を殺す事に執着するだけの男であったなら郭斐林は必ず嫌悪感を抱いたであろう。

 おかしな事だが武林にあって長い者の多くはその人物評等が武芸の腕前によって左右される事が往々にしてある。正々堂々の剣があれば邪悪で下劣な剣もあり、使い手の心がその技に反映されるというのが全ての武術にある常識である。無論それらは印象に影響を与える程度であって絶対では無い。例外として真武剣派から見た太乙北辰教の殷汪や北辰七星については、口には出さないがまさに凄腕と言える武芸を持つ事は認識しているが、彼らは先の教主、陶峯(とうほう)の武林制覇という野望に加担し仲間を殺戮した極悪人達であり依然として憎悪の対象である。

 これらは極端な例であり、一介の用心棒である孫怜とは全くの別物。『生かすという選択肢は無い』と平然と言い切る態度に郭斐林は密かに眉を顰めはしたものの、その理屈は理解出来なくも無い。それどころか当然の事と言ってもおかしくは無かった。

 

「おい鉄! 子旦! 片付けるぞ」

 樊樂が胡鉄と劉子旦を呼んでいる。今此処で片付ける物と言えば北辰教の五人の(むくろ)以外に無い。湯長老以外は皆街道の近くで倒れており、北辰教の者が殺された事を知る見物人は大勢居た筈であるが、だからといって放置しておく訳にはいかない。林の奥に運んで埋めるしか無かった。

 


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