第六章 二
扇子の男はすっと前へ進み、丁寧に頭を下げた。
「失礼致します。私共は宿を探して参ったのですが、あいにく空いている所が見当たらず、こちらの方にお尋ねしたところ、此処へお連れ頂きました。私共五人なのですが、泊めて頂けないでしょうか?」
扇子の男の上品な身形と丁寧な口調に中に居た二人の男は改めて目を見合わせている。
「あんた……ちゃんと目は見えてるのか? こんなボロい家に泊まりたいと? それにとっくの昔に宿屋は廃業してるんだが」
「あなたが此方のご主人ですか。私は城南の商人で周維と申します。長旅をしておりますので雨露がしのげて横になれる場所さえ貸して頂ければ良いのです。どうかお願い出来ませんでしょうか?」
「んー、まぁ部屋はある事はあるが……誰かを泊める準備なんてしてないからなぁ」
この家の主人の男はそう言って困ったという様な顔つきで周維と名乗った扇子の男を見る。続いて表にも居る周維の連れの様子を窺った。
「この者達は私の所で商いを手伝ってくれている者達でして……私を含めまして五名でございます。一部屋だけで構いません。勿論、急に押しかけたのですからその分もちゃんと上乗せして代金をお支払い致します。何卒お願いいたします」
周維は深々と頭を下げる。
「あんたら、真武剣派のアレで来たのか? 招待客以外が真武観に入れるのは明後日だけだが、それまで居るのか?」
「出来れば」
「んー」
主人は腕組みをして考えている。
「一部屋で良いって言ってるんだし、貸したらどうだ? 金も払ってくれるんだし」
主人と話していたもう一人の男が目の前の椀に酒を注ぎながら言った。
「んーそうだな。いいよ。泊まっていけ。だが飯は作れんぞ。安物の酒とちょっとしたつまみ位は出せるがな。あー、泊まるのとは別料金でな」
「有難うございます」
周維は繰り返し頭を下げる。
「皆早く中に入ってくれ。風が冷たい」
表に居た四人が中に入ると、案内して来てくれた住人の男が笑って周維の肩を叩いた。
「んじゃ、またな」
「ああ」
家の主人と短く言葉を交わして出て行くのを周維と連れの男達は揃って頭を下げて見送った。
「また随分と大荷物だな。城南からずっと担いで来たのか?」
「いや、都からの帰りでして都で仕入れた物が幾つか」
周維達は主人に促されて近くの卓を囲んで腰を下ろす。荷物を担いでいた四人はそれを背から下ろすが皆自分の膝に置いて床に下ろそうとはしない。結構な大きさなので邪魔な様に思うが貴重な品でもあるのか注意を払っている様に見えた。褐色の男の荷は手に持った棒状の包み以外にも背負っていた荷から何か棒が突き出している。四人共抱え込むようにして座っているので奇妙な光景である。
「その荷物、先に部屋へ持って行くか? それじゃあ邪魔でしょうがないだろう?」
「いや、お気遣い無く」
「じゃ、酒でも出そうか? 茶もあるぞ。どっちも美味くは無いがな」
自分の店の売り物を不味いという人間はそうは居ないだろう。しかし主人はそう言って返事も聞かずに奥へ向かった。
「城南か……あんた商人と言ったな。てことはその荷の中身は南方の異国から来たのかな?」
主人と居た男が尋ねる。男はつい先程の主人と周維の会話を聞いていなかったようだ。
「いや、私共は都からの帰りでして、これらは都で買った品です。しかし大した品ではありません。城南は遠く離れた田舎ですから都の品というだけでほんの少しは利が出るでしょうが、大した商いではありませんね」
「都か。俺もつい先日都から此処へ帰ってきたばかりでね。方々を回って商いをしている」
男は手酌で酒を舐めながら話している。
「ほう。では同業のお仲間という訳ですね」
「俺は劉だ。一応この武慶の人間だが、他所に居ることの方が多いな。城南は行ったことが無いが」
店の主人が酒を持って戻って来る。周維達の卓に置くと、また先程と同じように劉という男の隣に腰掛けた。
「城南か。南方から来る品物を売り歩けば相当儲かるんだろう?」
主人が訊くとすぐに劉が口を挟んだ。
「いや、確か……あれだ、城南にはあれがある。何と言ったかな……? 南の国から入る品は全部持って行かれちまうのさ」
「あ? さっぱり分からんぞ?」
「商いの元締めというか、交易の全てを牛耳る親玉みたいな奴が居るんだよ。そうだよな? だからあんたはわざわざ都まで出向かないといけないんだろ? 違うか?」
そう言って劉は周維に顔を向けた。周維は微笑を浮かべ、
「確かに。私共の様な小商いは辛いものがあります。いっその事中原に拠点を移した方がましかも知れませんね」
城南とは武慶から遥か南のこの国の国境に位置し南方の国々との交易の拠点と言える場所である。南方の国境は古くから城壁が造られて堅く守られ城の南側は異国の土地であったが、先の皇帝の時代にその城壁からさらに南へと領土が拡大される。新しくこの国に併合されたのが城南の街である。
「それもどうだろうな。すでに旨みのある商いは大概押さえられちまってる。余程うまくやらないとな」
「ではどうやると言うんだ? お前も都に行ってただろう。稼げたのか?」
主人が劉の顔を覗き込む。
「稼げたとしても無駄足だったとしても人に言う気は無い。この先どこかで俺が行き倒れてたら「失敗したんだな」とでも思ってくれ」
「お前とこの爺様がたんまり金を溜め込んでるじゃねぇか。しかも未だに現役だ。今度は何を仕入れて来たんだ? 古代の聖王の剣か? それとも仙人の書いた秘術の書か?」
「フン、今回の都行きは失敗だ。実は都にとんでもない出物があったんだが……あんたらは見たかい?」
劉は周維に訊ねる。
「……何でしょう?」
周維は少し考え込むがすぐ劉に訊き返した。
「何だ? 何があった? 幸運を呼ぶ壷か? 不老不死の丹薬か?」
主人が茶化す様に言うが、実際に都で話題となる物の中には時としてとても信じられない様な「とんでもない出物」が存在する。真偽は別として、そういう触れ込みの品々が運び込まれる、或いは生み出されるのである。
「剣だ」
劉は短くそう言ってからまた酒を口元に運ぶ。どうやら勿体つけているらしい。
「ほーう。珍しいのか?装飾品か?抜けば本当に血の雨でも降るとか言うんじゃあるまいな?」
「そんな事は……いや、使う奴によってはそうなるかもな」
「それならどの剣だろうと同じだろうが。うちの包丁だって手錬が手にすりゃ――」
「倚天の剣」
劉は静かに言って主人には目もくれずに真っ直ぐ周維を見つめて反応を窺った。
「ほう」
周維は眉根を寄せて顔を少し傾ける。
「それはまた「とんでもない」ですね。一体何処から来たのでしょう?」
「倚天? 聞いたことあるな。大昔の王が作らせた名剣とかいうやつだろう?」
劉がニヤリと笑う。
「そうだ。今回都に現れたのはその内の一振り。倚天青釭の倚天さ」