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流浪一天  作者: Lotus
第九章
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第九章 十六

「総監になったばかりの、北辰教と真武剣派を中心とする各派が対立して激しく遣り合っていた頃には殷さんと対峙した者は結構居たらしいな。そしてことごとく敗れた。北辰は『最強』と(うた)うだけだし、敗れた方は『邪で悪辣な業を用いる妖人』と言って罵るだけだ。具体的にどんな手筋であったのか口に出す者は居ない。実際は良く解らないのだろう。理解出来ないという事かも知れん。俺達も色々教わったが、殷さんの武芸を理解出来る者など存在しないのではないかと思える。俺は百槍寨で、そう感じた」

「えっ? 殷総監が百槍寨に乗り込んだ時、孫さんも居たんですか?」

 劉子旦は驚きを隠さない。百槍寨こそ英雄譚の始まりの地である。その場に居合わせた人物が目の前に居るのだと思うと一気に興奮が高まる。しかし、その様に感じ入っているのは劉子旦だけの様だ。

 孫怜はゆっくりと頭を振る。

「……咸水が百槍寨の者達に襲われたと聞いてすぐにさっき言った仲間四人で向かった。着いた頃には既に百槍寨は完全に無くなっていて、殷さんは何処かに行った後だった。殷さんが一人、乗り込んだらしいと聞いて俺達は百槍寨に上がってみた。……俺達は目を疑ったよ。言葉も出なかった。咸水の村は村人がことごとく惨殺されて惨い光景だったが、百槍寨は……駄目だ。今でも言葉が見つからない。俺達は百槍寨の光景を黙って見続けたが、四人ともきっと同じ事を考えていたと思う。『殷さんは、人か――?』」

 今までの、昔を懐かしみながら頬を緩める孫怜は消え、虚ろな視線がほんの少し前方の狭い空間を彷徨っている。

「では、それが殷総監と会った最後ですか? 殷総監は――」

「おい子旦。今日はそのくらいにしとけ。先は長いんだからな。ほれ、宿を探すぞ」

 樊樂が劉子旦の質問を遮って前方を顎で示す。一行は街道沿いの小さな街に差し掛かっている。もう陽は充分に傾いており、何も無い場所で夜を明かす事を避けるなら今夜はこの街に留まらなければならない。

 樊樂が後ろの胡鉄らを振り返る。

「ずっと黙ってるからちゃんと居るのか心配になるぜ」

「慕容っていうその女の人の事を想像してたから俺は楽しめた」

 胡鉄が真顔でそう答えると、樊樂と孫怜は顔を見合わせる。樊樂は呆れ顔で、孫怜は再び微かな笑みを取り戻した。

 

 雨に会う日が少なくなってきている。黒雲が流れ空が青く晴れ渡った時などは山の緑がより一層濃くなり、景色の中の全ての輪郭がくっきりと浮かび上がる。樊樂らは都より東の土地は殆ど記憶に無い事もあって、新緑の穏やかな風景にどこか気持ちが弾んで物見遊山の気ままな旅の様に感じてしまう。

「都からこっちは、荒れた街が無いですね。気候が良い事も関係するのかな?」

「そりゃあそうだ。ぶっ潰れちまう街ってのは大抵、旱魃(かんばつ)とか異常な大雨で川が氾濫するとか、天災が殆どだろ?」

 劉子旦と樊樂が辺りを眺めながら話している。周りを見るのに首を廻す速さまでも普段よりゆっくりになっていた。

 街道は広く人や馬が多く行き交うが、街を少し離れれば広大な田畑が両脇に広がり、縦横に張り巡らされた用水路が静かな水音を奏で、その上を蝶がひらひらと舞う。そんな中で馬に揺られていると、つい眠ってしまいそうになる。

「東淵までこんなだったら良いなぁ」

 胡鉄の間延びした声が後方から聞こえてくる。時にはこんな胡鉄の声でさえ『眠れ』と頭を撫でる様に聞こえてしまう。

「俺達の目的は東淵に行く事では無いだろう?」

 孫怜が後ろを振り返る。胡鉄のすぐ隣に比庸の馬。比庸の後ろには可龍が乗っており、既に何度か居眠りをして落ちそうになっていた。時折、可龍に手綱を取らせてみたがどうも馬の扱いが中々上手くならず、一人で乗れる様になるのはまだまだ先である。

「しかし……樊、こんなにのんびりで良いのか?」

「のんびりって事も無かろうが。普通に進んでるだろ?」

「お前が良いなら俺は従うだけだが、そろそろ北辰やらがうろつく辺りだぞ? さっさと行った方が良いのでは? 徐がうろついてるなら有難いが」

 すでに北辰教徒の姿を見たという情報を前の街で得ている。真武剣派の人間も時折来ている様だ。

「一緒だよ。この先は行き当たるまでずっと北辰の縄張りなんだからな」

「一応、襄統派があるんだが」

 襄統派の本拠、至東山が近付いている。遥か先、街道の南側に薄く稜線が浮かんで見えているのがその至東山であった。

「大人しく普通に進んだ方が、向こうも関わって来ないだろ? 北辰も襄統も、皆、旗を掲げて歩いてる訳じゃなし、見たって分からないしな」

 樊樂は平然とした態度で前を向いたまま引き続き馬を進める。しかし、それから暫くそのままの体勢ではあったが、徐々に険しい表情になっていく。

 孫怜も前を向いている。

「……確かに、見た目ではどっちがどっちかは判らんな。だが、どちらかが北辰である可能性は高そうだ」

 

「っ……おいおい……」

 樊樂は大きく溜息をつき、ゆっくりと振り返って劉子旦と胡鉄を交互に見遣る。

「……やってますね」

「無視しても良いんじゃないか?」

 劉子旦と胡鉄は樊樂と孫怜の間から前方に目を凝らしている。その視線の先には、明らかに対立を示す姿勢で向き合っている数人の姿があった。

「徐と関係ないならそれでも良いが……」

 もう暫く進んでから樊樂は皆に停止するよう指示した。とりあえず姿形ははっきりと見える位置だが、恐らく向こうは何やら言い合いに夢中でこちらに気付く事は無さそうである。他にも街道を往く旅人達が足を止めて不安げな表情で様子を窺っていた。樊樂はじっと前方を捉えたまま孫怜に話し掛ける。

「あの頭は襄統か。真武剣派は居ないみたいだな」

 どうやら一方は二人。どちらも髪を剃り落とし、淡い灰色の簡素な僧衣を纏った尼僧である。だが腰には長剣がある。もう一方は男ばかり五人。着ている物は揃っていなかったが、腰の帯が皆同じで少し暗めの深紅を締めていた。

「襄統の弟子で間違いないな。二人とも随分若そうだ。……分が悪いな。樊、どうする?」

「あー……関係ねぇのによぉ! しかも今から東行くってのにもう北辰に挨拶すんのかよ……」

「もう少し先に行けば襄統派の者も大勢居るんだろうがな」

「樊さん、幾ら何でも襄統派の弟子に危害を加えたりは無いでしょう? あいつら北辰の奴だとしても結構下っ端の様ですし襄統派を本気にさせたらあいつらのほうが始末されかねませんよ。北辰の上の方に」

「分からんぞ……」

 孫怜がじっと男達の方を睨んでいる。

 


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