気になるあの子は処女ビッチ
オタクといえば黒髪ロング、黒髪ロングといえばオタク。
手垢のついた常識なんて結局俺には無意味だった。
「ねぇ……私、ずっとあなたのことが」
桜舞う空の下、彼女は頬を赤らめる。握りしめたスカートの裾は、もう皺くちゃになっている。彼女の気持ちを、俺はもう知っていた。こうなる道を選んだから。
思えば、彼女との出会いは突然だった。偶然代理で出席した図書委員の集まりが、そもそもの始まりだ。本が好きだと笑った彼女を、なぜか応援したくなった。それから二人で、長い時間を過ごした。図書館が不要なものじゃないって、色んな人に知ってもらえた。
一番近くにいた彼女の気持ちを、知らないなんて罪だった。いつしか俺に向けられる眼差しが、変わっていることに気づきていた。
だから。
①「俺も好きだよ……智慧」
②「ごめん、俺他に好きな人が……」
当然①の選択肢を選ぶ……前に、とりあえずセーブだ。
「おーっ、相変わらず朝から青春してんじゃん」
「うわあああっ!?」
突然の現実の声が、イヤホンをしていない右耳から聞こえてくる。思わず叫んでしまったから、彼女は嬉しそうに笑っていた。
「いいねそのリアクション! 目指す? いっちゃんお笑い目指しちゃう?」
「目指しません……おはよう清水さん」
「ん、おはよ」
無責任な事を言う彼女と朝の挨拶を交わす。俺の大切なギャルゲータイムを邪魔しやがって!なんて怒ることはない。だいたい教室の真ん中でこんなゲームをやるのは、そういう下心があったから。
清水さん。フルネームは清水アリカ。肩まで伸びた染めた金髪と二段目まで開けたブラウスに、かなりギリギリなミニスカート。胸元のアクセサリーはちょっとしたブランド品らしい。
趣味は俺をからかうこと。きっかけはもう覚えてないけど、こういうちょっとした悪戯をするようになった。
「ねぇそれ面白いの?」
「控えめに言って名作かな……」
俺が今遊んでいるのは、桜の雨が降る中で2だ。エロゲー史に燦然と輝くこの名作は、8年経ってそういうシーンカットでスマートフォンに移植された。小3の頃のゲームとは思えない、まさに不朽の名作。
「ふーん」
彼女の相槌を無視して、そのままゲームを続ける。まあゲームがきになるのも本当のことだ。
「あ、いっちゃん読むの早い」
「普通だよ」
と言いつつも、ちょっと彼女の目線を伺いながら画面をタップしていく。流れていく甘い台詞は、なんだかんだで恥ずかしい。
「へぇー」
したり顔で彼女が頷く。それから流れていくその台詞を、彼女がいきなり読み上げる。
「私も、いつきくんのことずっと好きだったの!」
名前のところを、俺のに変えて。
そのせいで机に思い切り頭を打った。あぁもう、油断したらこれだ。
「やっぱ向いてるよお笑い……それよりそろそろ先生来るよ?」
彼女が頭をバシバシ叩く。顔を上げて確認しても、もう彼女は自分の席についていた。
「……ご忠告どうも」
その言葉は届かないが、それでいいような気がした。
放課後、俺はまっすぐ帰らず部室でPCの画面とにらめっこしていた。あと二百五十文字。意外と埋まらないものである。
「じゃあ、今日の議題は樹氏が現在構築中のフラグについて」
となりに座る氷川が、したり顔でそんな事を言い出した。その話題は正直に嫌だった。俺がからかわれるからというよりは、部長がノリノリになるから。まあ、部長は大体ノリノリなんだけど。
「何っ!それは聞き捨てならないな!」
部長が立ち上がり、無駄に格好良いポーズを取る。顔も無駄に格好良く、背も無駄に高い。ただ口を開く度、中身の残念さが漏れ出るのだ。
「説明しよう!コンピューター研究会通称ギャルゲ研裏の名をエロゲ研の部長田村光賀は他人の幸せが許せないタイプなのである!」
なんて自分勝手な人間なんだ。
「部長はモテるじゃないですか」
その顔を持ってすれば、五秒で彼女ができるレベルだ。だけどそれが出来ない理由は、彼の理想が高いから。
「だってぇ、狐耳のロリババア以外とはお付き合いしたくないしい」
そして当然のように、部長の理想は地球上にない。画面の中ならある。
「はい部長。最近樹氏は処女ビッチとフラグを構築しつつあります」
「なにいっ、処女ビッチだと!? 樹くんの大好物ではないかね!?」
ああもう、性癖に対する扉が無いんだからここは。ちなみに氷川はママキャラが好きだ。全員無駄に業が深い。
「説明しよう!処女ビッチとは二大美少女テンプレである黒髪清楚ロングとツンデレ幼馴染みの牙城を崩しに来た新興勢力なのである!ちなみにエロゲ初のツンデレと呼ばれるヒロインは別に幼馴染みじゃないぞ!」
「はあ」
大体合ってる。
「はあじゃないだろ !これは由々しき事態だぞ! 我が神聖なるギャルゲ研に女子が来たらどうなる!」
「来るじゃないですか。部長目当ての女の子が」
たまにちょっと趣味が似通った感じの子が中を覗きに来るのだが、大体部長がハリウッド映画並みの罵倒を並べ立てて泣かせる。それを見た氷川が教室まで贈ろうとするのだが、見た目がキモいからという理由で断られて泣く。俺は眉一つ動かさず、エロゲーのレンタル代として毎週提出を求められる感想文を書いている。ちなみにコンピューター研究会で一番詳しくなったのはエロゲーに出演する声優さんを聞き分ける聴力だ。
「ああいう一般ピーポーは女子と認めん! 少なくても黒髪虚乳眼鏡図書委員ぐらいでなければな! 氷川くん! はやく処女ビッチの写真を提出するのだ!」
「もってませんけど樹氏の携帯の中に入ってるのは知ってまーす」
「あ嘘なんで!?」
どうしてそれがバレているのか。睨んだ所で恨みの籠もった目が返ってくるだけだった。
「さあ樹くんそいつを寄越すのだ! なに、オナニーした手で画面触っただと! 大丈夫私も今朝してきたところだ!」
「知りませんよ手洗ってきて下さい!」
そう、こんな毎日が俺の日常。学校行って清水さんにからかわれて、放課後はこの三人でくだらない話をする。閉じた世界だって自分でも思うけれど、それでも毎日は楽しかった。
だから毎日が変わったとしたら、今日が間違いなくその日だった。
「すいませーん、いっちゃんいますかーっ?」
コンピューター室に響く、聞き慣れたあの声。思わず顔を上げたけれど、彼女は気づかないのか教室の中を見回していた。
「……処女ビッチ?」
「処女ビッチ」
部長と氷川が確認する。やめてください。いや本当やめてください。
「やあ、コンピューター研究会へようこそ……いっちゃんって佐藤くんかな」
外面の良さそうな顔で、部長が前に出て会話を始める。基本的に自分に好意を持たない女性には優しく、基本的に外面もいい。
「あ、はい」
「でもごめんね……佐藤くんは我々の活動記録もといエロゲのレビュ」
「うおおおおおおおお!?」
情けない声を叫びながら、俺は思わず部長にタックルした。顔を上げれば、したり顔で清水さんが俺を見下ろしていた。
「ち、違うから!プログラムだから!」
「あーやっぱそういうゲームやるんだ。オタクだオタク」
ふふふと声を漏らしながら、彼女が俺を指さし笑う。
「だ、だから違うんだって」
「でも朝やってたじゃん」
「あれはギャルゲーで、エロゲーは違うの!」
元はエロゲーだったけど! そっちもプレイしたけれど!
「ちょっと氷川くん大声で変なこと言ってますよ」
「いやあ思春期ですねぇ。死ねばいいのに」
いつの間にかタックルから抜けだした部長が、氷川と何やら話しているけど聞かなかったことにした。
「そ、それでどうしたの?」
「いやー家のパソコンのキーボード? 壊れちゃってさ、いっちゃん詳しいかなって」
なるほど、それでここに。
「でましたよ部長何もしてないのにパソコン壊れた女」
「ニュートンが童貞だからね。近寄るだけで嫌になるんだよ」
ニュートン先生関係無いです。
「あ、じゃあどんなのにするか調べに来たの?」
「え? これから買いに行くよ?」
「そうなんだ」
それから、ちょっとした沈黙がコンピューター室を包んだ。
……あれ、買いに行くんじゃなかったのかな。でも何でだろう、調べないんだったらどうしてここに来たんだろう。
なんて間抜けな事を、考えていた。
「あ、はいっ!」
「よくわかったね、偉い偉い」
急いで鞄を取りに行く。こんな所でエロゲーの評論文を書いている場合じゃないのだ。
「流石ギャルゲーやり慣れてるだけあって無駄に空気読めますね」
「君の方がやってるよね?」
部長と氷川の漫才を無視して、扉の前まで走る。
「じゃあ部長、今日俺はこれで」
「待ちたまえ!」
部長が、俺に格好良くポケットティッシュを投げつけた。俺も釣られて格好良く受け取ると、それには漫画喫茶の割引券が挟んであった。
「幸運を祈ってるよ」
親指を立てて部長が笑う。こういう所は冗談抜きで格好良いのになんて一生言わない台詞を頭のなかでつぶやいた。
騒がしい電気屋は、結構居心地が良かった。清水さんと二人きりなんて状況だけど、俺を取り囲む電子機器の山は気持ちを落ち着かせてくれる。
「それで、キーボードは何に使うの?」
「え?」
「いや何に使うのかなって」
キーボードと言っても、色々種類がある。メンブレンにメカニカル、パンタグラフとかブルートゥースとそれはもう嫌というほど。
「パソコンに繋げて使うに決まってるじゃん」
「あーその……キーボードも色々あってさ。共用のなら家族で使うのかな」
「その通り!」
「誰かゲームはやる?」
「みんなやるよ。大人気なの」
ということは、ゲームの種類で選ぶのが一番だろう。
「FPS? だったら無線は微妙だしなあ……MMOもパッドならそんなに良いのいらないし」
「へー、なんのゲームかわかるんだ」
「大体なら」
まあ、曲りなりにもゲーム好きだからねと一人得意気な気持ちになる。タイトルを言ってくれたら、色々説明できる自信はある。
「ソリティアっていうんだけど、どんなキーボードがいいの?」
あ、うん。
それキーボード必要ないよね。
「……見た目と値段で選ぼうか」
というわけで。機能が何でもいいならどんな機械にも通用する結論を導き出した。
「じゃあ、いい感じの探さないとね!」
「降ってきたねー」
安くて白いキーボードを買ったものの、天気予報を見ていなかった俺達は予想外の雨を電気屋の軒下で見上げていた。折りたたみ傘なんて無い。
「傘持ってる?」
一応聞いてみると、彼女は首を横に降った。
「じゃあコンビニに行こうか」
あ。何か彼女が露骨につまらなさそうな顔をしている。あ、違うぞこれ。選んでいい選択肢じゃなかった。
「……ごめん今のなし」
「許す」
良かった、まだ大丈夫だ。
改めて頭を整理する。
こういう時、どうするのか。探るのは、プレイした数々のエロゲーじゃなくてギャルゲー。こういう状況でどうするべきか。それを俺は、いやあの人は知っていたんだ。
ポケットからポケットティッシュを取り出す。ありがとう部長。
「そ、そういえば先輩からネカフェの割引券貰ってたんだ! ほらこれ」
ティッシュの袋の中に入ってあった、100円引きの券を引き抜く。そして券の抜かれたポケットティッシュには、ティッシュしか入っていない。そのはずだったのに。
未使用のコンドームが挟まっていた。
「オーゥ……」
部長、気を利かせすぎです。
恐る恐る彼女の顔を見ると、空を見上げて天気の様子を伺っていた。耳まで真っ赤なのは見なかったことにしよう。きっと俺も同じ顔をしているから。
「その……それ、使いに行こっか」
「それは、えっと、制服のままじゃまずいんじゃ……」
いやでも待て待つんだ俺エロゲーでもそういうのあったという大体のエロゲーの主人公はなんだかんだで俺と同い年だしそれとももしかしたら彼女はこういうの慣れているかもしれないしいやでもそれだとなんか違うというか。
なんて一人悶絶していると、彼女が無言で割引券を奪い取った。
「あ、漫画喫茶ね」
わかってましたよ、部長。
だが恐るべきことに、部長の案は間違いではなかった。この漫画喫茶で運良く空いていたのは、小さな二人がけのペアシート席だった。驚きの狭さかつ仕切られた茶色の壁。ものすごく近い。こう意識しなくたって、肩と肩がぶつかっちゃうぐらいには。
まあ、そういうわけで俺は黙って縮こまっている。彼女もここまで狭いとは想定していなかったのか、同じ様に縮こまっていた。
「あー……じゃあ私ジュース持ってくるから。コーラでいい? あ、あとアイスもタダだって」
「じゃあ、両方お願いします」
思わず敬語で通路側に座る彼女に頭を下げる。本当は一緒に行くべきなんだろうけど、今は頭を冷やす時間が少しだけ欲しかった。そもそも、何でここに俺はいるのか。もちろん誘ったからなんだが、そういうのじゃなくて。
こういう事を言うのも何だけど、俺は彼女と釣り合っていないと思う。彼女は明るいし友達も多く、それにお洒落だ。はっきり言って俺と真逆で、横に並べば月とすっぽん。俺は、まあいいんだ。すっぽんが月に憧れるのは不思議な事じゃない。だけど月がすっぽんを連れて歩くのは、理由が思いつかなかった。
「お客様ーっ」
「は、はいっ!」
店員さんの声がする。と思ったら、扉を開けたのは清水さんだった。
「いっちゃん、ビビりすぎ」
「あは、あははは……」
乾いた笑いが口から漏れる。手渡してくれたコーラは、随分と冷たかった。
「それから、ソフトクリームね」
「……でかくない?」
うず高くうずを巻いた白い巨塔。通常の三倍ぐらいある気がする。
「去年のバイトで覚えたんだ」
プラスチックのスプーンを使って、とりあえず突いてみる。倒れそうだったので急いでかぶりつくと、彼女が小さく笑ってくれた。良かった、少しはいつもに戻ってくれた。
「はいお絞り」
「ありがと」
受け取って口の周りを拭けば、白いクリームがこびりつく。
「そういえば清水さん、どうして今日は誘ってくれたの?」
「ん?」
気になった事を聞いてみる。聞かないままの方が良かったかもしれないが、今を逃したらずっと聞けない気がしたから。
「まあ、そりゃあねぇ。いっくんパソコン詳しそうだし」
「……それだけ?」
「何気にSだよね、そういうとこ」
彼女が大きなため息をつく。機嫌損ねたかなと思ったが、ちょっとだけ彼女は嬉しそうだった。
「そんな事言ったらさ、いっくんだってオタクじゃん。私みたいの天敵じゃないの? ほら、黒髪のメイドさんにもえーってやつ」
「全然? 金髪なんて珍しくないし、黒髪はもういいかなあ」
というかそういうのは、もう手垢がついてしまったというか。黒髪ロングキャラはオタク一年生の頃に卒業したというか。結局そういうのは、そう見えただけで別にそこまで好きじゃなかったのだ。まるっきりそうだとは言い切れないけど、少なくとも一番じゃない。
「もう、何それ」
「だって俺のやってるゲーム、ピンクの髪とかいるんだよ?」
「パンクロック?」
「いや、優等生の生徒会長」
俺の想像と違うのだろう、きっと彼女の頭のなかでは随分と教師に中指を立てそうな生徒会長像が浮かんだのだろう。声を殺して笑う姿に、思わず頬が緩んでしまった。
「ヤバイねその学校」
「うんまあ、風紀とか乱れてるかもね」
それに淫乱だし。とは言わなかった。
「……つまりさ、そういう事」
「何が?」
「こういう格好だからって、チャラい人は好みじゃないの。まー他の子には笑われるけどね」
自分の髪を摘みながら、皮肉っぽく彼女が笑う。そういう顔をする女の子が、俺はオタクのくせに大好きな訳で。
「じゃあ似たもの同士かも」
「あー、確かに。冴えてんじゃん」
彼女の趣味はちょっと特殊で、俺の趣味もちょっと特殊。割れ鍋に綴じ蓋なんて古いことわざがあったっけ。小さなソファに乗ったその手を、恐る恐る握ってみる。
「ねぇいっくん」
彼女が笑う。俺も笑う。二人で耳まで真っ赤にして、似たもの同士が笑っている。
「手を握るのは……まだ早くない?」
耳は鍛えられていたけど、それは聞かない事にした。