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とある侯爵令嬢の恋事情  作者: 雲居瑞香
マリアンネ
8/18

【8】







 玄関先でしゃがんでいた男はユハニだった。マリアンネに悲鳴を上げられた彼は、面倒くさそうに言う。


「どうした、マリアンネ。悲鳴を上げるな、うるさい」

「ど、どうしたって……ユハニ様こそ、どうしたんですか!? どこか怪我でも!?」

「まずは落ち着け、マリアンネ」


 ユハニは血まみれだった。彼は白衣を着ていることが多いのだが、その白衣が真っ赤だった。顔にも血がこびりついていて、手にこれまた血まみれの剣を持っている姿はちょっとしたホラーだった。


 深呼吸しろ、と言われてマリアンネは素直に深呼吸を繰り返す。そこに、研究員仲間の男性がやってきた。


「ユハニ様、全て収容、もしくは始末しました。マリアンネ様。おはよう」

「お、おはよう……」


 ついでのようにあいさつされたが、マリアンネも挨拶を返した。男性研究者も手に血の付いた剣を持っていた。何があったんだ……。


「ユハニ様。すごいですね」

「怪我はしてないけどな。一気に5匹とびかかってきて、仕方ないから全部斬った」

「……たまに思うんですが、なんでユハニ様は研究所の所長なんかやってるんですか」


 男性研究者はちょっと引き気味にそう言った。ユハニは騎士になれるくらい剣術に優れる。ここまでくれば、マリアンネにも何が起こったか何となく想像がつく。


「実験動物でも逃げ出したんですか?」

「キメラだな。朝来てみたら逃げたと聞いて俺が驚いた。あの阿呆共。ホルマリン漬けにしてやろうか」


 ユハニの毒舌は健在であるらしい。ユハニは白衣を脱ぐと、顔を乱暴にぬぐった。


「ユハニ様! 大変です! キメラが1匹足りません~!」

「なんだと!?」


 森の方から走ってきた研究者はアイリだった。アイリは泣きそうな表情でユハニにすがった。


「ど、どうしましょう~!」

「しがみつくな! 直ちに包囲網を張れ! まだそんなに時間が経っていない、近くにいるはずだ! 職員総出で探し出せ! マリアンネ、お前も行け! それと、宮殿に報告!」

「は、はいっ!」


 指示されたマリアンネは、いまいち状況をつかめないまま森の中へ駆け込んだ。足元はブーツだが、着ているのはドレスに近いワンピース。少々走りづらかった。



 と、とにかく、キメラを見つけたら始末すればいいのよね。



 自分の頭の中で状況を確認し、マリアンネは走る。マリアンネはおっとりしているためか、あまり運動が得意ではない。足元の草に足を取られて転んだ。



「っ! う~っ」



 涙目で身を起こす。息が上がっていて、立ち上がれない。ぱきん、と何かがおれるような音が聞こえて、マリアンネは後ろを振り返る。誰かが追ってきたのかと思ったが、違った。


「……」


 マリアンネは低いうなり声を上げる『それ』を凝視した。


 『それ』はライオンのような姿だが、尾はサソリのような毒針がある。皮膚はてかてかしており、鋭い牙をマリアンネに見せていた。キメラと言っていたが、これはマンティコアに近い気がする。


 動くのは危険だと判断したマリアンネは、倒れたまま魔法を発動する。マリアンネの魔法は地面を通過し、大きく地面を揺らした。唐突の地震に、キメラがびくっとなって逃げて行った。



 ……逃がしてしまった。大丈夫かな。



 思わず大地震動の魔法を使ってしまったマリアンネだが、ちょっと心配になって、立ち上がってキメラが逃げた方に向かって走り出した。ちょうど研究所の方に向かっている。


 研究所が見えてきたところで、やっとキメラに追いついた。マリアンネは走りながら水魔法を展開する。水の刃がキメラを襲ったが、足を傷つけるだけに終わった。走りながらだったため、コントロールが怪しかったらしい。


「マリアンネ! もう一度頼む!」


 どうやら玄関先から回り込んできたらしいユハニの声が聞こえた。彼が来たのなら、確実にとどめを刺してくれるだろう。マリアンネは立ち止り、もう一度同じ魔法をキメラに向かって発動した。今度は胴に直撃する。悲鳴をあげたキメラに、ユハニがとどめを刺した。マリアンネはほっとする。


「……さすがですね、ユハニ様」

「褒めても何も出ないぞ……と言うかお前、すごい格好だな。転んだのか?」

「……転びました」


 あちこちに土がついているうえに、走りすぎて膝が笑っているマリアンネはかなりひどい姿だった。まだ起きてから2時間くらいしかたっていないのに……。


「お前、相変わらず運動苦手なのか。だからそんなに細いんだぞ」

「よ、余計なお世話です」


 珍しく反論したマリアンネを面白そうに眺めながら、ユハニはキメラに向かって指を鳴らす。すると、キメラは一瞬で炎に包まれ、灰になった。


 膝が笑っていて歩けないので、ユハニに手を借りて玄関先まで歩くと、そこには何故か王太子アウリス殿下と先ほど分かれた王太子妃リューディア、それに異国の王子フラスクエロ様がいた。


「おう、遅かったな。もうすべて討伐し終えた」

「相変わらず仕事が早いな、ユハニ。と言うか、お前もマリアンネもどうした」


 アウリスが2人を見て言った。血まみれの白衣は脱いだとはいえ、ユハニはやはり返り血を浴びまくっていたし、マリアンネはこけたので泥だらけである。マリアンネは恥ずかしくなってユハニの後ろに隠れた。


 その瞬間、ぞくっとするほど鋭い視線を投げかけられ、マリアンネはびくっとした。実際にその視線を向けられたのはユハニだが、彼の背後にいるマリアンネもばっちり見てしまった。ユハニを睨み付けるフラスクエロ王子を。



 しかし、彼はマリアンネと目が合うと、ニコリ、といつもの穏やかな笑みを浮かべた。



「マリィ、こっちにおいで。きれいにしよう」


 ちらっとフラスクエロ王子を見上げて眼を細めていたリューディアがマリアンネを手招きした。マリアンネが危なっかしくリューディアに歩み寄ると、フラスクエロ王子が手を差し出した。彼はニコリを笑う。


「失礼しますね」

「きゃっ!」


 妙にかわいらしい悲鳴をあげたマリアンネは、フラスクエロ王子に抱き上げられていた。体勢がいまいち安定せず、思わずフラスクエロ王子にしがみついた。


「ああああ、あの、すみません」

「大丈夫ですよ。そのまま掴まっていてください」


 動揺したマリアンネをなだめるように優しい声で言ったフラスクエロ王子だが、それを見てアウリスがちょっと(物理的に)引いた。


「お前……別人だな」

「うるさい」


 フラスクエロ王子が不機嫌そうに言った。逆にリューディアは楽しそうだ。


「フラスクエロ殿下がいてくださるのなら、大丈夫だね。私はアウリスと一緒にここに残るから、殿下、マリィをお願いします」

「わかりました。お任せください」


 にっこりと笑いあうリューディアとフラスクエロ王子。腹黒く見えるのはマリアンネの気のせいだろうか……。


 フラスクエロ王子にお姫様抱っこをされて研究所を離れたマリアンネだが、恥ずかしくてもぞもぞと体を動かす。このまま宮殿まで行くつもりだろうか。


「あの、フラス殿下……」

「どうかしましたか? どこか痛いところでも?」


 心配そうに言われて少し心が痛んだが、マリアンネは要求を口にした。


「あの、おろしていただけませんか? 歩けるので……」

「ダメです」

「!? なんでですか?」

「私が心配だからです」

「……」


 一気に気の抜けたマリアンネである。まさか他国の王子様に魔法を使うわけにもいかず、かといって自前の身体能力では逃げられないことははっきりしていたので、マリアンネは甘んじてフラスクエロ王子の腕の中にいることにした。



 周囲の視線が突き刺さる!



 宮殿が近づくにつれ、人が増えていくのは当然だ。ほぼ森と化している庭の中にある研究所に近づく者は少ないが、宮殿の周囲には人がいる。しかも、この夏の時期は社交シーズンで、より人が多いのである。


 マリアンネは羞恥に頬を染めて、フラスクエロ王子の腕の中でできるだけ顔が見えないように、顔を伏せていた。





「彼女の身なりを整えてもらえるかな」


 フラスクエロ王子は自分が使っている客室まで行くと、自分につけられている王宮メイドに指示をした。マリアンネとさほど年の変わらないメイドたちは、フラスクエロ王子の笑みに頬を上気させつつ「はい!」と元気よく答えた。フラスクエロ王子に床におろされたマリアンネはメイドたちに手を引かれて浴室の方に連れて行かれた。そのまま入浴させられる。



 さて。何故自分は朝っぱらから入浴しているのだろうか?



 そんなことを考えているうちに浴槽から上がらされ、新しいドレスを着せられる。着ていたものは泥がうまく落ちなければ捨てるしかない。


 マリアンネの身支度を整えている間、メイドたちはきゃいきゃいと楽しそうにマリアンネに話しかけてきた。


「これは、薔薇の香りのするオイルです。いい匂いでしょう?」

「お嬢様、ほっそりしていてうらやましいです!」

「お肌すべすべ! すごい!」

「お嬢様はフラスクエロ殿下の恋人さんですか?」

「……」


 すべてに沈黙で返したマリアンネである。これがマリアンネのコミュニケーション能力が低い所以なのだが、とりあえずそれは置いておくことにする。


 髪も結い直され、化粧も直されてからフラスクエロ王子のいる部屋に放り出される。メイドたちはにこにこしていた。何でこのメイドたちはこんなにマリアンネに好意的なんだろうか。


 そう思いながらマリアンネはフラスクエロ王子に指定された彼の前の椅子に座る。


「やっぱり、あなたは可愛らしいですね、マリィ」

「!」


 褒められたことと愛称で呼ばれたこと。二重の意味でマリアンネの頬が赤くなる。その赤くなった頬に、甘い笑みを浮かべたフラスクエロ王子が手を伸ばした。そっとマリアンネの頬に触れる。びくっと体を震わせたマリアンネに、フラスクエロ王子は笑顔のまま尋ねる。


「聞いてもいいですか?」

「は、はい?」


 フラスクエロ王子は、何故かマリアンネの頬をぐにっとつまんだ。


「あなたとユハニ殿は、いったいどんな関係なんですか?」

「……」


 どんな関係。今まで尋ねられたことのないタイプの疑問に、マリアンネは驚いて眼をしばたたかせた。ぐにっと頬をつままれたまま口を開く。


「上司と部下です」

「……仲が良さそうでしたね」

「それは……もう、5年はお世話になっていますし。私にとっては、もう1人の兄みたいな存在です」


 基本的に鬼畜な男だが、マリアンネが困ってどうしようもなく成れば助けてくれる。マリアンネにとっては兄のような存在だ。ちょうど、リューディアやミルヴァを姉と思っているのと同じような感情がユハニに向けられている。


「……そこには、愛は存在しないのですか?」

「そうですね……基本的に、わたくしはユハニ様を『鬼畜上司』と思っていますので、愛は存在しないのだと思います」


 言い切った。たぶん、ユハニが聞いたら、またキレる原因になるだろう。


 マリアンネの返答にほっとした様子で、フラスクエロ王子はマリアンネの頬から手を放した。その顔をじっと見ながら、マリアンネは内心首をかしげた。



 もしかして、嫉妬だろうか。



 そこに、メイドがお茶を運んできた。お茶請けとして焼き菓子も添えられており、マリアンネは早速一つ手に取った。しっとりしたその焼き菓子は口の中でとろけた。


「とてもおいしそうに食べますね」

「あ、はい。おいしいです」


 微妙にかみ合わない返答をしながら、マリアンネはティーカップに口をつける。こちらは程よく苦くて、口の中の甘さを緩和してくれる。


「……おいしそうですね」


 フラスクエロ王子が再びそう言ったので、顔を上げると、彼の視線は菓子ではなくマリアンネの方に向いていた。


「本当においしそうだ。だから」


 そして、彼は衝撃的な言葉を言った。







「私は、あなたにキスをしてもいいですか?」








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


くそぉ……! 砂糖吐きそう! 恋愛小説だから仕方ないけど!

マリアンネは、私が書く女性主人公にしては珍しく、運動神経が悪いです。基本、戦闘は魔法頼り。でも、魔法も攻撃魔法は得意じゃありません。

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