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とある侯爵令嬢の恋事情  作者: 雲居瑞香
マリアンネ
7/18

【7】







 晩餐会後、マリアンネはフラスクエロ王子に誘われて庭に出た。ちらっとリクハルドに視線を送って助けを求めたのだが、彼は形容しがたい表情で神妙にうなずいた。なので、フラスクエロ王子について出てきたのだ。


 いや、しかし。夜に未婚の男女を2人きりにするとはいかがなものか。いくら日の長い夏とはいえ、とうに太陽は沈んでいる。


 とりあえず、この機会にお礼を言ってしまおうと思い、マリアンネはフラスクエロ王子を見上げた。


「あの、フラスクエロ殿下。わたくしもお菓子をいただきました。おいしかったです。ありがとうございます」

「お気に召したならよかった。マリアンネ嬢は甘いものが好きだとリクから聞いていたので、気に入ってもらえるかな、と思って持ってきたのですよ」


 闇夜の中でもフラスクエロ王子が微笑んでいるのがわかる。マリアンネは反応に困り視線を逸らした。それにしても、兄からいろんな情報がフラスクエロ王子に流れている気がする。


「確かにわたくし、甘いものは好きですが……。ええっと。よろしければマリィと呼んでください。マリアンネ、って呼びにくいとよく言われるので……」


 なんか急に話が飛んだな、と自分でも思いながら言った。親しい人はみんな『マリィ』と呼ぶし、そもそも『マリアンネ』と言う名が呼びにくい。



 だから、できれば呼ばれ慣れている『マリィ』と言う名で呼んでもらいたいと思った。



「では、お言葉に甘えてマリィと呼ばせてもらいます。私のこともフラスでいいですよ。私の名前も呼びにくいですから」


 ありがたい申し出である。確かに『フラスクエロ』と言う名前も呼びにくい。


「フラス殿下、ですね」

「殿下か……まあいいか」

「?」


 マリアンネが首をかしげるようにしてフラスクエロ王子を見上げると、彼は「何でもありませんよ」と微笑んだ。お互い、敬語口調は取れないままだ。


「そういえば、昼過ぎにあなたと別れた後に、あなたの父上にお会いしました」

「えっ? ……その、やる気のない人じゃありませんでした?」


 基本事なかれ主義かつ日和見主義である父オラヴィはやる気がなさそうに見えるのである。しかし、仕事はそつなくこなす、はたから見ると腹の立つ人間である。


「……あなたやリクとは違う雰囲気でしたね」


 さすがに『やる気なさそう』とは言えなかったフラスクエロ王子がそう言った。確かに、リクハルドは腹黒いし、マリアンネはおっとりしている。リクハルドは母の兄、つまり伯父である現在のティーリカイネン公爵に何となく似ている。マリアンネはばっちり母親のティーア似だ。


 その割には美人でないし、胸も育たなかったなぁ、と思うが。


「エルヴァスティ侯爵も、あなたが誰と結婚するかはあなたの意志に任せるとのことでした。もともと、あなたのことはリクハルドに一任していたらしいですね」

「……」


 責任を放り出したともいう。母ティーアが亡くなってから、マリアンネの面倒を見てくれたのは八歳年上の兄リクハルドである。ここで放り出されてもあまり驚きはない。



 ただ、侯爵である父の介入がないとなると、父の愛人の介入がありそうだな、と思った。



 たぶん、父としてはマリアンネが誰と結婚しようが関係ないのだろう。もしかしたら、マリアンネは研究者だったから、結婚しない可能性もあると考えていたかもしれない。


 フラスクエロ王子と結婚すれば侯爵家の名に箔がつくが、父はそう言ったことに興味がないはずだ。


 ……マリアンネは、一瞬、父への嫌がらせで、結婚すれば最凶の義理の息子になるであろうユハニと結婚してやろうかと考えてしまった。我ながら馬鹿である。もちろん、しないけど。


「……フラス殿下はいつまでご滞在くださるのですか?」

「そうですね。一応、予定ではあと5日ほど滞在する予定です」

「……そうなのですか」


 では、それまでに返答をしなければならないな、と思った。しかし、もう答えは決まっているような気もする。


「では、それまでには必ず返答させていただきます」

「ありがとう。ちょっと期待して待っていることにしますね」


 フラスクエロ王子はそう言うと、マリアンネの手を取った。兄のものとは違う大きな手に手を握られ、マリアンネはどぎまぎした。


「マリィは芸術鑑賞が趣味と言っていましたが、花も好きですか?」

「え……っと。そうですね。きれいなものは好きです」


 ほかに言いようがないので芸術鑑賞が趣味と言うことにしているが、性格には、きれいなものを見るのが好きなのである。基本的に引きこもりな彼女だが、景勝地などには喜んでいくし、ボーっと空を見上げていることもある。ちなみに、数式も好きだ。数学は世界で一番美しい学問だと思う。


「それはよかった。リクに聞いても『宝飾品にはあまり興味がない』、『誕生日に本をあげた時が一番喜ばれた』と言われたので」

「は、はぁ……すみません」


 何となく謝りながら、マリアンネは兄が妹に花をプレゼントするのは一体どういう状況で発生するのだろうか、と思った。ああ、でも、一般的な家族ではあるのかもしれないな、とも思った。


 マリアンネとしては花もいいが、やはりずっと手元における本の方がいい。宝飾品は眺めているだけで幸せになれるタイプで、贈っても意味がないと思われている。


「謝るようなことではありませんよ。何を贈ろうか、悩みがいがあります」

「そ、そうですか」


 妙に前向きな隣の国の王子様の言葉に、マリアンネは面食らう。高貴な人は考えることがわからない……。


 プレゼントをもらった場合は、こちらからも何か返したほうがいいのだろうか。しかし、隣国の王子には何を贈れば喜ばれるのだろうか。経験の浅いマリアンネにはよくわからなかった。後で兄にでも聞いてみよう。




 空気が冷たくなってきたので、マリアンネはフラスクエロ王子に連れられて城の中に戻った。このまま今日は屋敷に帰ろうかと思ったのだが、エントランスでミルヴァに捕まった。



「それで、どうだった?」



 興味津々と言った感じでミルヴァがマリアンネに尋ねた。ちなみに、王族の私室と客室は別の場所にあるので、フラスクエロ王子とは途中で別れた。ここはミルヴァの私室だ。


「どうと言われましても……。どのような答えをお望みですか?」


 ミルヴァが事情をどこまで把握しているのかわからず、マリアンネは首を傾けた。ユハニによると、ミルヴァがどう暴走するかわからないからマリアンネへの求婚の話しは伏せられているはずだ。


「だから、あなたの中でフラスクエロ殿下との結婚はありなの、なしなの?」


 論点が最初に戻っている気がしたが、マリアンネは反対側に首をかしげた。


「なしでは、ないです。フラス殿下は優しいですし……」

「そう言えば、フラスクエロ殿下もあなたを『マリィ』と呼んでいたわね。仲良くなったの?」

「……まあ、そうですね」


 ミルヴァは時々、こうして人の話を聞かないので会話が続かないことがある。マリアンネがおっとりしているので、ミルヴァの急激な話題転換についていけないのだ。


「ふぅん……いいわねぇ」


 ニコニコ、と言うよりニヤニヤしながらミルヴァが言った。マリアンネはぐっと言葉に詰まる。ここで反論しないのがマリアンネである。代わりに気になっていたことを尋ねた。


「あの、お兄様は?」

「リクは今日も宮殿に泊まっていくって。たぶん、屋敷に帰りたくないんでしょ」

「……」


 それは否定できない。


「だから、あなたのことも預かってくれって言われたわ」


 ミルヴァがマリアンネの隣に座り、逃すまいと彼女の腕を抱きしめた。


「今日は一緒に寝ましょうね。いろいろ聞かせてもらうわ」


 ふふふふ、とミルヴァが不気味に笑う。異母姉たちが姉らしくないため、マリアンネはミルヴァやリューディアを姉のように慕ってきた。幼いころは添い寝をしてもらったこともある。


 まさか、この年になってまで添い寝をすることになるとは思わなかったけど。








 翌日、早起きのミルヴァに起こされ、マリアンネはまたきれいに身なりを整えられた。と言っても、昨日髪を切られたので、今までのような野暮ったい感じにはどうしてもならなかった。


「やっぱりかわいいわよね、マリィは。ちょっとリューリに似てる」


 マリアンネの髪を嬉々として三つ編みにしながら、ミルヴァは言った。侍女がやると言ったのだが、ミルヴァは自分でやり違った。これは王太子妃であるリューディアもそうだが、剣を使うこの2人の姫君は、自分で自分の身の回りの世話ができるのである。


 眠かったのでミルヴァの人形になっていると、部屋に来訪があった。ミルヴァの許可を得て、侍女が対応した。


「姫様、王太子妃殿下です」

「リューリ? 通して」


 ミルヴァは二つ返事で了承し、リューディアを招き入れた。朝早いがリューディアは完璧な王太子妃の姿だった。


「あら、かわいいね、マリィ」


 リューディアはミルヴァに髪を編まれているマリアンネを見てまずそう言った。


「おはようございます、リューディア様」

「おはよう、リューリ」

「うん、おはよう、2人とも」


 挨拶を済ませると、ミルヴァはマリアンネの髪をレースのリボンでとめ、満足げにうなずいた。


「うん。いい感じにできたわ。それで、リューリ。朝からどうしたの?」

「ああ、マリィがここに泊まっていると聞いてね。返し忘れていたから持ってきた。ほら」


 そう言ってリューディアが差し出したのは昨日マリアンネが持ち歩いていたスケッチブックだった。そう言えば、いつの間にかどこかにやってしまったなぁ、と思っていたのだが、リューディアが持っていたらしい。そう言えば、彼女が拾っていた。


「魔法も使って乾かしてみたけど、元には戻らなかった。悪いね」

「いえ……持っていてくれてありがとうございます」


 マリアンネは礼を言ってスケッチブックを受け取った。もともと処分するしかないと思っていたから、帰ってきただけでありがたい。


「たぶん、イグレシアに行けばいくらでも絵が描けるわよ」


 ミルヴァが侍女に髪を結ってもらいながら言った。マリアンネはそのセリフを聞いたことがあった。


「……それ、フラス殿下にも言われました」


 ちょっと心が惹かれたことは言わないでおく。ミルヴァはフラスクエロ王子がマリアンネに求婚していることは知らないはずだが、2人が結婚することには乗り気である。


「いいじゃないか。まあ、マリィに会えなくなると思うと、少しさみしいけどね」


 リューディアはマリアンネを見てにっこり笑ってそう言った。


 ミルヴァの身支度が終わると、マリアンネは2人と朝食を取りに食堂へ向かった。朝食を取ったあと、片づけと引継ぎ書類制作の続きを行うために、王立研究所に向かった。







 王立研究所は宮殿内に存在するが、その建物は木々で隠されている。まあ、建物が大きいので上の方は見えているが、森の中に研究所がある感じだと言えばいいだろうか?


 マリアンネはいつものように整備された道を通り、研究所に向かった。表側から向かうと、玄関先に、こちらに背を向けた男がしゃがみ込んでいた。足音に気付いた男が立ち上がってこちらを振り返り。





 マリアンネは悲鳴をあげた。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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