【2】
声をかけると、ぽかん、とした表情で顔を見つめられた。長めの前髪が野暮ったいが、さすがはリクハルドの妹と言うか、なかなか整った顔立ちをしている。アッシュブロンドの髪に大きめのエメラルドグリーンの瞳が印象的だ。
着ているドレスは濃いグリーンで、少々時代遅れの印象を受ける。手元に本を開いているのもあり、これは『変人』と認識されても仕方がないかもしれない、とフラスクエロも思った。
マリアンネの反応がないのでそのまま見つめ合っていると、リクハルドが仲裁に入ってきた。彼は妹と見つめ合っている(語弊)フラスクエロを見て少し顔をしかめると、言った。
「ああ、マリィ。こちら、イグレシア王国の第2王子フラスクエロ殿下だよ」
兄にそう言われ、マリアンネがはっとした表情になる。あわてて立ち上がると、所作だけはきれいに礼をした。
「失礼いたしました、殿下。わたくし、エルヴァスティ侯爵家のマリアンネと申します」
おっとりとしたしぐさで、マリアンネは頭を下げた。身分の高い女性らしい上品なしぐさであるが、少しおっとりしている。そう言えば、リクハルドもマリアンネは少しぼーっとしたところがあると言っていた気がする。
少しぽやっとしたマリアンネを安心させるようにフラスクエロは微笑んだ。
「存じていますよ。リクは私の学友でもありますから」
それを聞いたマリアンネは少し納得したような表情になった。彼女は何度か瞬きをした。他の令嬢に比べて格段に化粧の薄いその顔は、実年齢より少し幼く見えた。
「それで、先ほどの返事はお聞かせ願えますか?」
再び手を差し出すと、マリアンネは再びぽかんとした表情になった。少しして気が付いた彼女だが、ダンスは得意ではないと彼女は断った。しかし、リクハルドがマリアンネの手元の本を取り上げると、不安そうな妹の背を押した。マリアンネが上目づかいにフラスクエロを見上げつつ、フラスクエロの手に自分の小さな手を重ねた。
自分で下手だと言うだけあり、マリアンネは確かにあまりダンスがうまくはなかった。しかし、リードすればついてくるし、音感がないわけではない。たぶん、性格がおっとりしているせいか動きもゆっくり気味で、ずれているように見えるのだろう。フラスクエロはマリアンネに笑みを向ける。
「踊れるじゃないですか」
「わたくしも一応、侯爵令嬢ですからステップを踏むくらいはできます。でも、これ以上難しい音楽では無理です」
「ダンスはお嫌いですか?」
「嫌いではありませんけど……芸術は観賞するだけで十分な性質なんです」
「そうですか……」
何となく切なくなりつつも笑みを浮かべるフラスクエロだ。この場合の芸術とは、会場にかかっている音楽のことを指すのだろう。
「どうしてわたくしを誘ってくださったのですか? もしかして、お兄様に頼まれたのですか?」
マリアンネからの問いかけにうれしくなり、フラスクエロは機嫌よく答える。
「いいえ。私からリクに頼んだんですよ。あなたと踊らせてくれ、とね」
そう言うと、マリアンネが眼に見えて動揺した。リクハルドが彼女は人見知りだと言っていたし、こういう言葉になれていないのだろう。
「ど、どうしてですか? 自分で言うのもなんですが、わたくし、あまり見栄えのする容姿ではないと思うですが……」
確かに、マリアンネの姿はさえない。でも、それはどこか野暮ったいドレスや長い髪のせいであり、顔立ちだけ見れば十分美しい。同母の兄があれだけ美しいのだ。マリアンネが美人であっても不思議ではない。
「マリアンネ嬢は十分美しいと思いますよ。まあ、私ならあなたをもっと美しく着飾らせられる自信があるのも確かですが」
マリアンネはフラスクエロを見上げて眼をしばたたかせた。何を言っているのかわからない、と言うような表情だがその表情が愛らしかった。
「私があなたと踊りたいと思ったのは、話しをしてみたいと思ったからです」
「話、ですか?」
ことり、と首をかしげたマリアンネの腰を少し引き寄せる。フラスクエロは囁くように言った。
「3年前、あなたの描いた絵を見ました」
マリアンネははっとしたように顔を上げてフラスクエロを見上げた。エメラルドグリーンの瞳が大きく見開かれ、やや間をおいてから返事が発せられた。
「あ、ありがとうございます……でも、どうして。わたくしの、絵は」
マリアンネはそこで言葉をきった。3年前、マリアンネが美術展に出展したあの絵は、すでに存在しないのだとはフラスクエロも聞いていた。
しばらく、思い悩むような様子を見せていたマリアンネは不意に尋ねた。
「もしかして、わたくし、殿下とどこかでお会いしたことがありますか?」
気づいてくれたことがうれしく、フラスクエロは思わずにっこりしながら答えた。
「ありますよ。10年前と3年前。まあ、10年前はあなたは幼かったし、3年前に会ったときはずっとうつむいていたから、私に気付かなかったのかもしれませんね」
「す、すみません」
「別にかまいませんよ。たった二度、会っただけの人間を覚えている人はそうそういないでしょう」
会ったことは思い出せなかったらしいマリアンネに謝られ、フラスクエロはあわててそう言ってなだめた。それから話を戻す。
「あなたの絵を見て、衝撃を受けました。この世界にはこんなに美しい絵があるんだと。こんなに美しい絵を描ける人がいるのだと、驚きました」
「あの……ありがとうございます」
少し照れたようにマリアンネが答えた。調子に乗って言葉を続ける。
「そして、その絵を描いたのが友人の妹であり、まだ14歳であることにも驚きました」
「……」
あまり社交性がないらしいマリアンネはそのまま黙ってしまった。フラスクエロの渾身の褒め言葉だったのだが、何か気に障ってしまったのだろうか。
そう心配になったところに、彼女が涙を見せたため、余計に動揺することとなった。マリアンネは驚いた様子で涙をぬぐった。
「マリアンネ嬢? 何か気に障るようなことを言ってしまいましたか?」
ダンスホールのほぼ中心付近で立ち止まってしまったので、フラスクエロはマリアンネの肩を抱いて会場の隅へ向かう。彼女の顔を覗き込むと、大きな瞳に涙をためていた。その様子がはかなげで、フラスクエロは思わず彼女の頬に手を伸ばした。
「マリィ、フラス。どうかした? ……どうしたの、マリィ」
が、シスコンの兄の声が聞こえたので、手を止める。近づいてきたリクハルドは、泣いているマリアンネを見ると、ニコッと腹黒い笑みを浮かべた。
「フラス、僕の妹に何かした?」
やはりそう見えるのか。わかっていたが、他人から言われて改めて自覚した。
「そんなつもりはないが……どうやら、気に障るようなことを言ってしまったようだ」
「マリィはめったなことじゃ怒らないんだけど」
じろっとリクハルドに睨まれる。きれいな顔の人間が怒ると、怖い。フラスクエロは背中に冷や汗が流れた。そこに、マリアンネからの助け舟が入る。
「お兄様。大丈夫だから。殿下のせいじゃないし……。殿下も、ご心配をおかけして申し訳ありません」
最愛の妹の言葉を聞き、リクハルドが眉をひそめつつもフラスクエロを睨むのはやめた。
「そう? 大丈夫ならいいけど」
「こちらこそ、次からは発言に気を付けます」
フラスクエロも真剣な表情でそう付け足す。マリアンネに言ったというより、シスコンの彼女の兄に向けたセリフだ。
マリアンネは居心地悪そうに身じろぎすると、控えめに訴えた。
「あの、わたくし、ちょっと化粧直しに」
「あ、そうだね。1人で大丈夫?」
「どこまでついてくるつもりですか、お兄様……」
さすがに呆れた口調でマリアンネが兄にツッコミを入れた。きちんと礼をしてから立ち去る彼女の後姿を見ながら、フラスクエロは言った。
「嫌われたかな」
「まあ、これくらいで人を嫌う子じゃないけど。っていうか、フラス、ほんとに何言ったの」
リクハルドに問い詰められて、下手に隠すよりはいいだろうと思ってフラスクエロは口を開く。
「3年前に美術展に出されていた絵をほめたんだ」
「あー……」
フラスクエロからの答えに、リクハルドは複雑そうな表情になる。
「なんとなく、わかった。マリィにとってはうれしいだろうけど、その絵はもう存在しないからね……」
「……傷つけたかな」
「いや。それくらいなら、すぐに復活すると思うけど」
リクハルドはそう言って首をかしげた。リクハルドによると、マリアンネは意外とメンタルが強いらしい。
「僕が言うのもなんだけど、マリィは本当にいい子だよ。癪だけど、自分の絵をほめてくれた君の好感度は高いんじゃないかなぁ」
「ほぉ。それは何よりだ」
ニヤッとフラスクエロが笑うと、リクハルドは逆に爽やかに笑った。
「その顔、妹の前ではしないでよね」
「するか」
2人とも、浮かべる表情は対照的だが、中身は真っ黒なのかもしれなかった。
「恋だの愛だのに浮かれるのもいいけどさ。当初の目的も忘れない方がいいよ」
リクハルドがそう言ってフラスクエロの肩をたたいた。
マリアンネが退場したことで令嬢たちに囲まれてしまい、うんざりしていたところに彼女が戻ってきた。カルナ王国第2王女であるミルヴァに手をひかれ、少し足をもつらせ気味に歩いてきていた。
「ミルヴァ! ああ、マリィ、ミルヴァと一緒だったんだね」
リクハルドがここぞとばかりに声をかける。ミルヴァはリクハルドの婚約者でもあるのだ。フラスクエロもミルヴァに笑いかける。
「ミルヴァ、今日も美しいな。マリアンネ嬢は落ち着かれたようですね。よかった」
フラスクエロに微笑みかけられたマリアンネは、何度か瞬きして彼を見上げた。そんな様子も愛らしい。マリアンネはおっとりと口を開いた。
「……ご心配いただき、ありがとうございます。先ほどは取り乱してしまい、申し訳ありません」
「あなたが大丈夫なら、それで構いませんよ」
少し、マリアンネが戸惑った表情になった。そして、にやついている自分の兄とその婚約者を見てびくっとした……。その何気ないしぐさがかわいい。
マリアンネはにやついている兄を見上げて小首をかしげた。
「お兄様。わたくし、先に屋敷に帰りたいと思うのですが」
「そう? せっかくだからフラスともう少し話して行けばいいじゃないか」
リクハルドの返答にフラスクエロもうなずくが、マリアンネは小さく首を左右に振った。
「わたくしでは何か粗相をしてしまうと思います。それに、明日は朝から研究所に行かなければならなくて」
「ああ、そう言えばそう言っていたね……。それじゃあ、僕も一緒に帰ろうかな」
「ちょっと待ちなさい、そこの兄妹。2人とも、宮殿に泊まって行けばいいでしょ」
強引な王女、ミルヴァの一言で、マリアンネは宮殿にお泊りとなっていた。フラスクエロは個室で、リクハルド、さらにアウリスをまじえて酒を飲みつつ話をしていた。幸い、3人ともアルコールには強い。
「近くで見ると、よりかわいらしいな、マリアンネ嬢は……」
「当然だよ。僕の妹だからね」
少し変態的と言ってもいいフラスクエロの発言に、リクハルドが同意する。言っておくが、この2人は酔っていない。
比較的、この中ではまじめであるアウリスが「それ、言い方によっては変態だ」と冷静にツッコミを入れた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フラスクエロ視点ですが、5~7話で終わりそうです。




