【12】
これで最後です。
「無理! 無理です、お姉様! そんなドレス、着れません!」
「何言ってるのよ! あんたの貧相な体を最大限、魅力的に見せるためのドレスよ! 悔しいけど、あんたみたいな体形じゃないと似合わないのよ!?」
「だからって、なんで背中がそんなに開いてるんですか!?」
「あんたの胸がないからでしょうが!」
「前がないから後ろを出すんですか!? それってドレスコード的にあってるんですか!?」
「平気よ! 舞踏会であって、夜会ではないんだから!」
「お姉様、横暴!」
「お姉様言うな!」
エルヴァスティ侯爵邸で騒いでいるのはマリアンネとマイユである。会話はするようになったが、マイユがひねくれており、かつ、マリアンネのコミュニケーション能力が低いので、基本的に会話はこんな感じになる。それでも、かなりの進歩である。
そして、何を騒いでいるかと言うと、舞踏会に来ていくドレスだ。マイユはオフショルダーのドレープのたっぷり効いたマゼンダのドレスを着ていた。どうやら、先に着替えてマリアンネの手伝いに来てくれたようだが、激しく余計なお世話ではある。
マイユが見せてきたのはシルバー・グリーンのティアードスカートのドレスなのだが、上半身部分がいけなかった。前から見るとノースリーブのスタンドカラータイプなのだが、後ろから見ると背中ががっつり開いているのである。
とはいえ、マリアンネが押し負けるのは目に見えていた。マイユの行為はマリアンネにとって余計なお世話であるが、マイユ自身に悪意はなく、むしろ他から見ればいいことをしているのだ。
結局、押し負けたマリアンネは侍女に手伝ってもらってマイユが持ってきたドレスに着替えた。それから髪も結ってもらう。きれいに身なりを整えたマリアンネの全身を眺め、マイユは一つうなずいた。
「まあ、少しは見れるようになったわね。じゃあ行きましょう。とっとと歩く」
「は、はい……」
完全にマイユに従う形でマリアンネは馬車に乗り込み、宮殿へと向かった。
「やあ、マリィ。マイユも、お疲れ様」
「リクハルド様が一緒なら大丈夫よね。じゃ、私は行くわ」
宮殿で出迎えてくれたリクハルドを見ると、マイユはそう言って先にさっさと行ってしまった。マリアンネはリクハルドに手を借りて馬車から降りながら、目をしばたたかせる。
「お姉様、どうしたんでしょうか」
「きっと照れ隠しだね」
リクハルドはニコリと笑ってそう言った。そして、マリアンネの大胆に開いた背中を見て驚く。
「思い切ったね」
「マイユお姉様に着せられました」
「ああ、なるほど。彼女らしいね」
リクハルドは苦笑したが、その後に「でも、似合ってるよ」とマリアンネの恰好をほめた。どうやら、マイユはセンスがいいようだ。
リクハルドはマリアンネをダンスホールではなく、会場近くの個室に連れて行った。その個室ではミルヴァとリューディア、アウリス、フラスクエロ王子がマリアンネを待っていた。ちゃんと釈放されたはずなのだが、ユハニは相変わらずいなかった。
「じゃあ、フラス。妹をよろしく」
「ああ。マリィ。今日はよろしく」
「あ、はい」
反射的にうなずいてしまったマリアンネだが、うなずいてから「ん!?」と思った。
「フラス。あまりマリアンネを振り回すなよ。周りが怖いぞ」
「わかってるさ」
アウリスがリューディアをエスコートして個室を出ていく。次いで、リクハルドにエスコートされたミルヴァが特大のウィンクをマリアンネに見せてから個室を出た。
残されるマリアンネとフラスクエロ王子。彼はマリアンネの手を取って、自分の腕にからめさせた。
「じゃあ、私たちも行きましょうか」
「え、と。でも、わたくしがフラス殿下の隣にいるって、不相応ではありませんか……?」
「何を言ってるんですか。マリィはとても素敵ですよ。まあ、今日のドレスは背中が開きすぎだとは思いますが」
そう言いながら、フラスクエロ王子はマリアンネの背中に手を滑らせた。くすぐったくてマリアンネは身をよじる。
「そ、そっと触らないでください。くすぐったいです」
「これは失礼」
確実に楽しんでいる。フラスクエロ王子の笑みを見て、少しむっとするマリアンネだった。
「では、私たちも行きましょうか」
フラスクエロ王子にエスコートされて舞踏会会場に向かう。おっとりしたマリアンネに合わせてくれているのか、歩調はゆっくりだった。
ホールに足を踏み入れた瞬間、視線が突き刺さる。もう帰りたい。
「うつむくから視線を浴びるんです。堂々としていれば、逆に気になりませんよ」
フラスクエロ王子がささやいた。マリアンネが不安げに見上げると、彼は小さく顎を引いた。なので、マリアンネは顔を上げた。すると、何故か周囲に空間ができている男がいた。ユハニだ。ばっちり避けられている……見た目はただの貴公子なのだが。
「誰か気になる人がいましたか? あなたの視線を釘付けにするとは、ちょっと妬けるんですが」
「あ、ユハニ様がいただけです。釈放されてよかったなって」
「ああ、彼。……強烈でしたね」
「否定はしません」
今宵は舞踏会だ。相変わらず体を動かすことが苦手なマリアンネだが、フラスクエロ王子にリードされて何とか二曲踊りきった。そこにリューディアがやってきて、フラスクエロ王子の肩をたたいた。
「一曲お願いしてもいいですか?」
「喜んで。マリィ、またあとで」
パートナーをリューディアに変えたフラスクエロ王子がホールの中央付近へ行く。アウリスはどうしているのだろう、と思えば、妹のミルヴァと踊っている。じゃあ、その相手だったリクハルドは? と視線をめぐらすと、異母妹のマイユと踊っていた。この2人もあまり仲が良くなかったのだが、マリアンネとの関係と同じように改善されているようだ。
マリアンネはいつものようにいそいそと壁の華になることにする。しかし、今日は本を持っていなかった。仕方がないので参加者たちの観察を続ける。
1人でいると、誰かに絡まれる可能性が高い。特に、ご令嬢。フラスクエロ王子にエスコートされてきたマリアンネは僻みの対象になるだろう。と、思ったのだが、女性たちは遠巻きにマリアンネを見つつ、ひそひそ話をしているだけだ。これはこれで居心地が悪い。
「あの、マリアンネ嬢!」
名前を呼ばれて顔を上げると、マリアンネとさほど年の変わらない少年が目の前に立っていた。マリアンネは思わず目をしばたたかせる。
「一曲、お付き合い願えないでしょうか。お願いします!」
その勢いに、マリアンネは物理的にも一歩身を引く。正直に言う。怖かった。
そこに、救いの神と言うには凶悪な男がやってきた。
「悪いな。先約だ。いくぞ、マリアンネ」
「あ、はい」
条件反射でうなずきながら、マリアンネはユハニの手を取った。そのまま成り行きでダンスフロアへといざなわれる。
「お前、ダンス下手だな」
「……自覚してるので余計なお世話です」
めったにこういった社交の場に出てこないユハニだが、マリアンネよりは確実にダンスがうまかった。
「ユハニ様こそ、珍しいですね。こんなところに出てくるなんて」
「アウリスにたまには出ろって脅されたんだよ」
ユハニを脅すとか、そんな恐ろしいことができるのか。マリアンネは自国の王太子を少し尊敬した。
「つーかお前、言うことはそれだけか?」
ユハニが不機嫌そうに言う。マリアンネは少し考えてから言った。
「釈放されてよかったですね」
「元から冤罪だ。お前、俺の事散々鬼畜だと言う割には自分も言葉がきついよな」
それは心外である。こんなことを言う相手はユハニだけだ。彼はいつでも毒舌が飛び出してくるので、何を言っても大丈夫なような気がするのである。
「そうでしょうか……。ユハニ様が鬼畜なのは、研究員全員が一致する見解です、がっ」
話ながら踊っていたので、マリアンネがステップを踏み間違えた。バランスを崩してこけかけた。ユハニがさりげなくリードしてマリアンネの体勢を立て直す。
「あいつら……抜き打ち調査と尋問だな」
「……お手柔らかに」
と言っても、マリアンネはもう、あの研究所には戻らない予定だが。どこの殺人犯だ、と思うほど怪しげなニヤッとした笑みを浮かべたユハニに、マリアンネはちょっと引いた。
散々ユハニにダメだしされつつ、一曲踊りきったマリアンネは彼と別れる前にぺこっと頭を下げた。
「ユハニ様。助けていただいて、ありがとうございました」
「……何のことだ」
先ほど、マリアンネがおびえていた時に助けてくれた時のことだ。ユハニのひねくれた言葉に苦笑していると、マリアンネの今日の相手役であるフラスクエロ王子がやってきた。
「マリィ。少しいいですか?」
「? はい……」
何故か、フラスクエロ王子とユハニがにらみ合っている。何故だ。
マリアンネはフラスクエロ王子に連れられ、庭に出た。今日は三日月なので、外はあまり明るくない。
「まず、あなたに謝らなければならないことがあるんです」
「あ、謝る、ですか?」
マリアンネは少し身構えてそんなことを言いだしたフラスクエロ王子を見上げた。彼はすまなそうにマリアンネを見つめると、言った。
「わが国の魔術師が、不届きにもあなたを誘拐したそうで」
「あー……」
あの魔術師か。ファンニに協力していた、マリアンネを気絶させた魔術師。不意打ちだったとはいえ、不覚だった。
「……えっと。あれはフラス殿下のせいではないと思うのです。それに、大丈夫でしたから」
結果論だけど。リューディアが助けに来てくれた。彼女に助けられるのは、実は3度目だった。何度見ても、剣を持った彼女はかっこいいと思う。正直、あれはときめく。
「いいえ。謝らせてください。申し訳ありませんでした」
「! だ、大丈夫ですから、顔を上げてくださいっ」
フラスクエロ王子に手を取られ、頭を下げられたマリアンネはあわててそう言った。フラスクエロ王子は頭を上げると、「まだあります」と言った。
「私は、最近、イグレシアに流入しているカトゥカの流通元を探しにこの国に来ました。その結果、あなたの父上を――」
「あ、それは本気で気にしてないので、大丈夫です」
マリアンネは先ほどよりもあっさりと言った。本当に気にしていなかった。父は父らしくなかったし、逮捕されたヨハンナは、事実上、マリアンネと関係がないのだ。
どうやら、ヨハンナは麻薬の密売に手を貸し、それによって金を得ていたらしい。商家である実家の流通ルートを使い、イグレシアに輸出していたという。ばれないように、小麦粉や砂糖、火薬などの箱に入れ、一時保管場所として、エルヴァスティ侯爵邸の地下倉庫を貸していたのだ。
何故彼女がそんなことをしていたかと言うと、金が欲しかったのだそうだ。彼女は浪費家である。しかし、侯爵家の財政はリクハルドが事実上、握っている。彼が彼女に多額の金を渡すはずがなかった。
そして、愛人ヨハンナの麻薬売買を止められなかったとして、事なかれ主義者であるマリアンネの父は蟄居を命じられた。捕まらなかっただけましである。そして、隠居できることを内心喜んでいるのではないかとマリアンネは疑っていた。
と言うわけで、侯爵位はリクハルドのものになるはずだ。彼はその引継ぎ作業中のはずである。数か月以内に、ミルヴァと結婚式を挙げるそうだ。
何となく、結果だけ見ればよかったような気がするので、フラスクエロ王子に謝られるのはおかしい気がした。
「……言ってはなんですが、変な人ですね」
「……よく言われます」
「でも、明るくなりましたね」
「……そうですか?」
とろけるような笑みを向けられ、マリアンネは頬を染める。やっと絞り出した声は震えているのを自覚していた。
フラスクエロ王子はマリアンネの手を強く握り、彼女の前に膝をついた。
「迷惑かもしれませんが、私にあなたに告白するチャンスをください」
「え!? っと、もちろん、構いませんが……」
「感謝します」
ほっとした調子で息をついたフラスクエロ王子だが、対するマリアンネは、まるで幼いころに呼んだ童話のようなシチュエーションにどぎまぎしていた。
フラスクエロ王子はどこからか取り出した赤い薔薇の花束を差し出した。
「愛しています。マリィ。どうか、これを受け取って、私とともに生きてはくれませんか?」
「……」
マリアンネはしばらく沈黙した。そして、口を開く。
「……答えは、決まっています」
マリアンネはフラスクエロ王子の手から薔薇の花束を受け取った。少し薔薇の開花時期とは季節がずれている。おそらく、魔法で咲かせたものだろう。彼がどこからこれを取り出したかも気になるが。
マリアンネは精いっぱいの笑みを浮かべてフラスクエロ王子に答えた。
「わたくしで、よければ。殿下と一緒にいさせてください」
微笑んだマリアンネを見て、フラスクエロ王子は一瞬目を見開き、そして微笑んだ。
「ありがとう。とてもうれしい……!」
マリアンネはフラスクエロ王子に抱きしめられながら、こんな、物語みたいなこともあるんだな、と思っていた。
2人は、しばらく婚約期間を置いてから結婚することになった。あらかじめ聞かされていたが、イグレシア王国の第2王子であるフラスクエロ王子は臣籍降下し、公爵となった。マリアンネは公爵夫人となったのである。
物語の最後はこう締めくくる。2人は、いつまでも幸せに暮らしました、と。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一応恋愛小説のくくりになっていますが、果たしてこれは恋愛小説なのだろうか……。王道を目指したのですが、やっぱりちょっと違う気がする……。
ともあれ。ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。
現在、フラスクエロ視点で話を製作中ですので、できたら投稿していきます。




