Dor mouse ~Souris~
お待たせいたしました―――っ!!
ごめんなさぁああぁいっ!!
で、でもここからは、あまり待たせることもなく、執筆していけると思いますんで、よろしくお願いしますっ!!
ミヅキの用事を済ませて帰ってくれば、ようやく落ち着いたらしい二人が横に並んで紅茶を飲んでいた。横に並んでいることから、まだお互いしか信じられていないのが分かる。だから帽子屋がいつも定位置に座って紅茶を飲んでいる場所からは離れていて、テーブルの端っこに座っていた。
「まだいつも通りじゃないみたいだね」
お風呂にも入ってさっぱりしてて服装まで新調してるミヅキがソリスを不安そうに見ていた。
「あまり近くによらない方がいい……かな?」
「ソリス!」
私が声をかければ、肩を飛び上がらせて驚く。「ひっ!!」という声まで聞こえた気がした。その声で隣に座っていたチェシャ猫の肩が飛び上がる。
くるりと振り向き、私を目にしてほっと息をつく。
「驚かさないでよ、アリス! びっくりしちゃったじゃないっ」
そういうソリスはいつも通りのように感じたけど、まだほんの少しだけ気が立っているみたいだ。
ここから出かけるには、もう少し待った方がいいかな……って思ったけど、
「アリス、今準備するから、ちょっと待ってて」
「ぇ?」
今すぐにでも出かけるつもり……?
ソリスが椅子から立ち上がり、テーブルの上の自分の物をすべてかき集めている。けれど、帽子屋のもとには顔を伺いながらでないと近づけないようで、少し動作が遅くなる。
しっぽまで内側に巻いて、怯えきっているのがよく分かる。
「そんな警戒しなくても、何もしないのに。俺」
落ち込んだ表情で、ソリスを涙目で見ていた。
そんなことは知らない彼女は、目的の物を手にすると、怖い物でも見たかのような表情で、猛ダッシュで走ってきた。
その始終を見ていた帽子屋はだらんと両腕を垂らして、俯いていた。怖がられているのがよっぽどショックだったらしい。
「ぁ、アリス、行こう?」
「ぇ?」
まだ微妙に気が立っているというのに、大丈夫なのだろうか。
もう少し落ち着くのを待ってもいいのに……。急ぎの用事でもないんだよね。
「ほら、行くよ?」
急に手を引かれて、転びそうになる。でもそれを気にも留めずに彼女は走り出す。その背中はどう見ても、帽子屋を拒絶しているようにしか見えなかった。
「ぅわぁ……、たっかい崖」
目の前にそびえる岩肌むき出しの崖。崖の一番上に見える白色の建物が眠りネズミ、ソリスの家だっていうけど……。
これをのぼるとか……、っていうかそれ以前に崖上の建物見てるだけで、首が痛い。
「これ、登ろうと思うんだけど……」
「え゛……っ」
これ……、登るの? 目の前の崖を? ソリスは眠りネズミだし大丈夫だろうけど、私はれっきとした人間。登れる気が……しない……。
「っ私が登れると思う? こんな崖……」
「前は登れないとは思ったけど、今は背も伸びたし、大丈夫でしょ?」
背が伸びたからって登れるとは思えない。
そう思わせるほど、高い崖。
「ぃや、無理だよ、こんなの……」
断崖絶壁を見上げているだけで、足がすくんで身を引いてしまう。ソリスはいつもここを登っているから、何とも思ってないと思う。
「あれ? そういえば靴は?」
ソリスの視線が私の足元に向けられる。
今まで気づかなかったわけではなく、気にしても仕方なかった。誰かが私に合う靴を持っているとは限らないから。
それに足は、転んだ時以外は全く痛くなかったわけだし。
「っていうか、怪我してる!! こんな時に裸足でいちゃだめでしょ!?」
私の足元を見て、彼女は声を上げる。
「手当はしてあるから大丈夫……、だけど、やっぱり裸足はだめだよ!」
彼女は私の前にしゃがみこんで傷を吟味する。
このまま立っているのも何だから、偶然後ろにあった切り株に腰を落ち着けた。
「これってブランがやってくれたの?」
傷を覆ってある絆創膏に少しだけ触れて聞いてくる。白い綿の部分が少しだけ赤く染まっている。
絆創膏がしわにならないようにきれいに傷口だけを覆うように貼ってある。
ある1人を除いて誰にでも優しいブランしか思いつかなかったのだろう。
「あ、うん。そうだよ」
「そっか。やっぱり変わらないな、白うさぎは」
どこか懐かしむような視線と声だった。今、彼がどういう状態なのかは知らないけど、ここまで思ってくれる人がいるのだから、彼は幸せ者だ。
「……どうやって登ろうか……?」
ソリスが、気まずそうに、私の顔を見上げて聞いてくる。
彼女のおかげで、大きな問題を発見することができた。
私のこの足で、靴も履いていない、傷を負ったこの足でどうやって、ソリスの自宅に登るのかということだ。
「裏から……とか、回れないの?」
私の提案に、ソリスは目を輝かせて「なるほど」と返してくれた。
「えーと……、どこだっけ?」
ソリスが長いワンピースの裾を揺らしながら、洋服ダンスに頭を突っ込んで、私に合う靴を探してくれていた。
私の足は靴を履いていなかった分傷まみれで、今まで以上に疲れていた。だから、ソリスに勧められた椅子に腰を落ち着かせている。
私も靴を探すのを手伝おうとしたのだが、
「その足じゃ痛いだろうから、座ってて」
と一喝されてしまった。彼女に言われた通り、足は立っているだけで痛かった。
だから椅子に座り、自分の足の傷の具合を見ていた。
「……っと、これだ!」
洋服ダンスから、頭と両手に持っている白い箱が出てきた。
ソリスの髪が寝起きのようにボサボサになっている。それは彼女自身でも分かっているようで、箱をテーブルにおいてから姿見に向き直り、髪の乱れを整えていた。
その後、窓際においてあった箱を手に私の前に膝をついた。
「足、痛くない?」
私の足の怪我を様子見ながら、一言だけ聞いてきた。私は「大丈夫」とだけ返して、足の様子を見るソリスを見ていた。
彼女の指が足の裏をなぞるだけで、息を詰めてしまうほど痛い。それは、靴を履いていなかったから……という単純な理由。
私からは見えなかったけど、ソリスからは私の足の裏が土色に染まっているらしく、顔をしかめた。そして私の足から手を離すとすぐさま立ち上がり、リビングから姿を消した。
どこにいったのか……と、目で探してしまうけど、どこかで水音がするだけで、戻ってくる気配はない。
足元に目を向ければ、靴が入っているらしい白い箱が鎮座していた。どんなものなのかと箱を開けてみたい衝動に駆られる。けれども椅子に座ったままの私では、手が届きそうで届かない場所に置いてある。
だから諦めて、彼女が戻るのを待った。
「アリス、ごめん待った?」
「あ、ううん。大丈夫。ちょっと考え事してたから」
ソリスが、両手に水の入った桶を持ってリビングに戻ってきた。それを私の足元に置いて、近くに置いてあるタオルも足元へと引き寄せた。
「足、洗おっか」
そういうと、ソリスは私の足の甲から水をかけ始める。冷たいかと思っていた水は、暖かくて小さく息をついた。
でもその水が足の裏に触れたから、吐いていた息がそこで詰まった。
「……っ、いった……」
「痛い……?」
どうやら、足の裏に傷があるらしい。その傷に水が沁みて、痛みを感じるらしい。
ソリスはそれに気づいていて、消毒を兼ねて足の裏を洗っているのだろう。私は、痛みを感じるまで傷があることは知らなかった。
「ちょっとだけ……。でも、大丈夫」
足を洗い終え、タオルで私の足の水分を拭き取っていく。私の足の裏の傷を気にしながら、拭いてくれていた。
もともと透明で桶の底が見えていたはずの水は、茶色く泥水のようになっていて桶の底なんて全く見えなくなっていた。自分の足の裏にこれだけの砂や泥がついていたとは、全く信じられなかった。ましてや傷があったのだから、傷の部分が化膿しないか……とか、へんな病気にかかったりしないか……とか、不安になる。
ソリスが木の箱を足元に引き寄せて、箱を開く。中身は、包帯や消毒薬、綿、ピンセット、絆創膏が入っている。つまり、木の箱は救急箱なのだろう。
彼女はその中の消毒薬と綿を一つ手に取ると、綿に消毒薬の液体を沁みこませてから、私の足の裏にピタリとくっつけた。
「……っいた……っ!!」
思わず大声をあげてしまいそうになるけど、それをなんとかこらえる。傷口に消毒液が沁みて痛い。思わず、椅子の端に置いていた手に力がこもる。
「もう裸足で外歩いちゃだめだからね?」
ソリスが傷口に綿をあてたまま、忠告してくれる。
でも私だって、好きで裸足で歩いていたわけではない。瞬間移動したかのように、この世界に放り込まれたのだから、全く準備なんてできていなかった。
それで靴を履いているなら、それはそれで驚いてしまう。
「別に好きで裸足だったわけじゃないもん」
頬を膨らせて、ソリスから視線を外す。
「言い訳しないの」
足の裏から綿をはがした彼女は、救急箱の中に入っている絆創膏を一枚手に取って丁寧に貼ってくれた。
その際にブランが貼ってくれた絆創膏を貼って新しい絆創膏で張り直してくれる。あくまでブランがやってくれたのは、応急処置。
貼り直さなきゃ、土とか菌とか入るかもしれないしね。
私の足に絆創膏を2枚貼り終えてから、ソリスは足元にある白い箱を開けた。私が気になっていた箱の中身はもちろん靴だった。
白い薄い発泡スチロールに包まれているはずだが、それがなかった。恐らく彼女が履いていたものだろう。でも、それにしては綺麗に光沢がまだ残っている。彼女の手入れが行き届いているのだろう。
黒い本革で赤いリボンがアクセントになっているストラップのついているパンプスだった。ヒールもあるが、あまり高くはなく2,3センチメートルといったところだろうか。とても歩きやすそうに見える。
私が今着ている緋色のワンピースにもよく似合うかもしれない。
「かわいいっ! さすがソリス。お洒落さんだね!」
……あれ……? でも、どこかで見たことある気がする……
なんだろう。この既視感。
「アリスのワンピースに合うように考えてみたんだよ?」
「…………」
彼女のこの台詞も……、わたしにくれるというこのパンプスも……。
結構昔に今と同じことがあった……?
『アリス……』
目元の黒子が印象的な青いワンピースを着た女の人が私の頭の中で話しかけてくる。
私と同じくらいの年頃で髪は私よりも長く手入れがしてあって、ストレートだ。
「おねえ……ちゃん……?」
その言葉が口をついて出ていた。
私に……お姉ちゃん……なんていたっけ……?
そのあたりの記憶は曖昧で、本当にいたのかどうか私には断定できない。
誰かに聞くとしたなら、おじさんしかいない。私が幼い頃からの付き合いだ……とおじさんからは聞いている。
私の記憶が曖昧だから、それも断定できないけど。
「っアリスってばっ!!」
急に身体を揺らされて、我に返る。目の前では先ほどの彼女と同じ位置に黒子のあるソリスが、心配そうな目で私を見ていた。
ぼやけていた視界が一気に鮮明さを取り戻す。
「……ぁ、ごめん、考え事してた……」
「もぅ、アリスったら……、本当に自由奔放なんだから」
肩が動くほどのため息をつきながら、彼女は零した。