March hare ~Miduki~
「だいぶ……っ、マシになった……っ」
ミヅキが注いでくれた紅茶をゆっくり飲んでいると、ミヅキが顔を上げた。時計は止まったままだから、体内時計で判断するしかないけど……10分くらい? ……多分。
ポットの中のを継ぎ足しして飲んでたけど残りは少ない。あとティーカップ一杯で無くなりそうだ。
顔を見たとき少し痛そうな表情を見せたけど、私が顔色を伺っていると気づけば私に少し微笑んで見せた。
「叫ぶほどは痛くないよ、大丈夫。ありがとう、アリス」
そう言って彼は、私の頭を軽く撫でてくれた。
「どういたしまして」と言って、安堵の笑みをミヅキに見せる。
「じゃあ、いこっか?」
そう言って立ち上がるミヅキに頷きながら、彼に気づかないようこっそり腰を突っつく。直後、彼が少しだけ息をつめたのが分かった。
それが面白くてくすっと笑ってしまうと、彼がムッとした表情で私を見下ろした。
「今、僕の背中、つっついたでしょ」
私は屈託のない笑顔でミヅキに頷いたつもりだけど、彼には恐ろしく映ったみたいで、口の端っこが少しだけ痙攣していた。
彼がそろそろ行くって言ってたし、ティーカップに入ってた残りのアップルティーを飲み干して、食べかけの林檎を持つ。
口の中にほんのりと林檎の風味が残っていてそれを舌いっぱいに感じながら、椅子から立ち上がれば、背中に私を呼ぶ弱々しい声がかかった。
「ゎ……、私も……、ミヅキの用事が終わってからでいいからさ、ちょっと付き合ってくれる?」
後ろを向けば、未だに帽子屋から身を隠しているソリスとチェシャ猫。まだ、気が立っているみたいだ。けれど私に話しかけられる程度までなら、回復したみたいだ。相変わらず、二人とも帽子屋だけは目の敵にしてるみたいだけど……。
「分かった。それまでには、木から出られててハッターにも慣れててよ?」
木から出られない彼女に伝えれば、帽子屋をじっと睨んだまま、
「善処してみる……」
そう答えた。
ってことは、私が言ったことを達成するのは難しいかもしれないってこと?
けど今よりは確実に改善してるわけだし、大丈夫でしょ?
「ミヅキ、行こ? 帰ってくる頃には、マシになってるよ」
ソリスやチェシャ猫が隠れている木とは反対方向に、足を進める。ミヅキは少し気になるようで、何度も後ろを振り返っていた。
あえて何も言わずに、気にしないでおく。歩を進めていくにつれて気にしないようになると思うから、放っておいた。
「何がシャリシャリ言ってるの? これ?」
耳が大きい彼には私が、赤い林檎を丸かじりしている音が聞こえているみたいだ。
前を歩いている彼には何の音か分からないのは当たり前で、私が説明してあげた。
「林檎食べてるよ?」
そう伝えれば、彼はくるりと私に振り返る。あまりにもすごい速さだったから、立っていた耳が一度お辞儀をするみたいに倒れてまたピンとまっすぐに立つ。その右耳の先っぽが紅茶色に染まっていて、まだ取れていない。水と石鹸で洗わなきゃ、取れないかな?
「歩きながら、林檎をかじらない! 行儀悪いからやめて!」
「だったら、飲み終わったコーヒーカップを人差し指でくるくると回さないでよ。あれも相当行儀悪いと思うよ?」
林檎をかじりながら、彼に忠告する。でも全く聞いていないみたいで、私に噛みついてくる。
自分のことを棚に上げといて、言ってるって気づいてるのかな?
「林檎かじりながら、喋るのもやめて! しかも歩きながら!」
私の顔や緋色のワンピースにツバが飛んでくる。幸いどこにもツバはつかなかったけど、思わず身を引いて目を薄く閉じてしまう。
それも行儀が悪いって分かってるのかな?
そうやって喋るのは、低収入者の土木作業員によくいる。声張らなきゃ、遠くまで声が聞こえないから……とかいうけど、結局遠くにいる人には届いてないんだよね。辺りは金槌で釘を打つ音や機械音でありふれていて届くはずなんてない。だからよく近くまで行って声かけてるのをよく見る。
「ミヅキはどっか周辺の土木作業員なの?」
林檎をかじるのをやめて、ミヅキの目をじと~っと見上げて告げた。
彼は、目をぱちくりさせて私の言葉を反芻する。
「へ? ドボクサギョウイン……? なにそれ……」
「ぇ……? 知らないの? 建物の建築とか、道の補修とかしてるヘルメットかぶった男の人たち」
よく見かけると思うけど……。
「見たことないよ。建物建てるのは木こりのお仕事だし、道なんて直してるとこ見たことないし。っていうか、道って直すの? ヘルメットかぶってる人? 見たことないよ? 黒い山高帽かぶったハッターなら、分かるけど」
そういえば、ここで見たことない。
おじさんのところは緑がいっぱいでそういう人たちがいるのは、場違いだし、いた試しもないし……。
どうして、土木作業員なんて見たことあるんだろう。音も景色もはっきりと思い起こせる。
金槌やつるはしを目の前の崖に向かって叩きつける、薄汚れた元々は白いはずのタンクトップを着てヘルメットをかぶった肌の焼けた男の人たち。その場所に近づけば近づくほど、音も大きくなって目の前を通るときは、耳をふさぎたくなるほどの騒音になる。
確か家の近くで……、電車専用のトンネルの工事してて……。
家ってどこの家……? おじさんの家……? でも、その時にはおじさんに電車が開通したって聞いて……。
「……っつぅ……!」
これ以上思い出そうとすると……、頭が痛く……。
おじさんに見守られながら、思い出してた時と同じ痛みだ。
頭を抱えてしまいそうになるほど、痛い。
「アリス……? どうかした? どっか痛いの?」
「……っごめん、何もない。心配してくれてありがとう」
おかしい。記憶が合わない。
土木作業員を見たことがあるのは、いつの記憶?
「でも、かなり痛そう……」
私の顔を心配そうに覗き込んでくる。
そんなに痛そうな顔してたから、聞いてきたのだろう。
「大丈夫だから。ほら、ミヅキの用事済ませよう? お風呂入って、服を着替えたいんでしょう?」
3か月以上待たせてすみませんでした。試験やらなにやらで忙しかったもので……。次も時間かかるかもしれないです……。先に謝っておきます。すみません。