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第36話 好きな人いるでしょ

土曜日。


電研の部室でパソコンを借りるようになってから、何度目の土曜日だろう。


画面に表示された原稿を最初から読み返し、気になったところを少し直す。


また読む。


直す。


「……うん」


もう、大きく書き直すところはない。


まだ完成ではない。


でも、最後までの道筋は見えている。


紗栄子がどうなるのか。


海との関係をどう終わらせるのか。


少し前まで、書いては止まり、止まっては早川君に相談していた小説が、今は自分の力で最後まで進もうとしている。


嬉しい。


でも。


ほんの少しだけ、寂しい。


私は原稿を保存した。


図書館のパソコンも、来週には使えるようになるらしい。


そうなれば、毎日のようにここへ来る必要もなくなる。


「花音先輩」


「なに?」


「最近、冷たくないっすか?」


いた。


私の隣に。


今日も。


「なんで?」


「さっきから俺、三回くらい話しかけてるんすけど」


「小説書いてるから」


「俺より小説が大事なんすか?」


「比べるまでもないかな」


「ひどっ」


流留君が胸を押さえる。


大げさだ。


でも。


このやり取りにも、すっかり慣れてしまった。


最初は馴れ馴れしい子だと思った。


人のパソコンを覗き込むし。


すぐ隣に座るし。


聞いてもいないことまで喋る。


それなのに。


不思議と嫌ではなかった。


「そういえば」


流留君が、またこちらを見る。


「先週の土曜日、花音先輩いなかったっすよね」


「うん」


「何してたんすか?」


「出かけてた」


「どこへ?」


「奥多摩」


「誰と?」


「…………」


面倒くさい。


「友達」


「男?」


どうして分かる。


私は流留君を見る。


にやにやしている。


「そうだけど」


「マジっすか!」


声が大きい。


「静かにして」


「デート?」


「……まあ」


「マジで!?」


もっと大きくなった。


向島先輩がこちらを向きかけ――。


やっぱり向かなかった。


「誰っすか?」


「流留君の知らない人」


「大学の人?」


「違う」


「年上?」


「同い年」


「どこ行ったんすか?」


「だから奥多摩」


「何したんすか?」


「ドライブ」


「車持ってるんすか?」


「持ってる」


「金持ち?」


「たぶん」


「イケメン?」


「……今日はやけに食いつくね」


「そりゃ食いつきますよ!」


何が「そりゃ」なのか分からない。


「楽しかったっすか?」


その質問だけ。


少し声が違った。


私は流留君を見る。


「うん」


嘘をつく理由はない。


「楽しかったよ」


「……そっか」


流留君が笑った。


いつもの顔だった。


でも。


ほんの少しだけ、間があった。


気がした。


「じゃあ、俺ともデートしてくださいよ」


「なんでそうなるの」


「そいつとはデートしたんでしょ?」


「そいつって言わない」


「じゃあ俺とも」


「嫌」


「即答!」


流留君が机に突っ伏した。


「花音先輩、差別っす」


「差別じゃないよ」


「じゃあデート」


「それは違う」


「何が違うんすか」


何が。


そう聞かれると、説明が難しい。


弁岳君とは、デートだった。


流留君と二人で出かけても。


たぶん私は、それをデートだとは思わない。


「流留君は……流留君だから」


「一番傷つくやつ!」


「なんでよ」


顔を上げた流留君は、笑っていた。


だから私も笑った。


「でもさ」


私はパソコンを見る。


「もうすぐ、これも完成するから」


「小説?」


「うん。それに図書館のパソコンも、来週くらいには使えるようになるみたい」


「ああ……」


「だから、ここでパソコン借りることも減ると思う」


言ってから。


なんとなく部室を見回した。


最初に来たときは、変なところだと思った。


女の人とまともに話せない向島先輩。


ゲームばかりしている部員たち。


そして、やたら馴れ馴れしい流留君。


でも。


ここでパソコンを貸してもらった。


小説のヒントももらった。


随分助けてもらった。


「そうだ」


私は流留君を見る。


「今までのお礼に、何か付き合ってあげようか」


「マジっすか?」


食いつきが早い。


「映画とか。ご飯とか。行きたいところある?」


「何でも?」


「できる範囲でね。高いところは無理」


「じゃあ――」


流留君が考える。


映画。


遊園地。


どこかへ遊びに行く。


そんな答えが来ると思った。


「花音先輩のご飯、食べたい」


「……ご飯?」


「作ってください」


「わたしが?」


「はい」


「どこで?」


「俺んち」


「…………」


そう来たか。


「何食べたいの?」


「カレー」


「カレー?」


「はい」


思わず笑ってしまった。


何でもいいと言ったのに。


カレー。


「もっと手の込んだものでも作れるよ?」


「カレーがいいっす」


「なんで?」


「初めて好きな女の子が家に来て、ご飯作ってくれるなら、カレーって決まってるじゃないっすか」


「…………」


私は流留君を見る。


今。


なんて言った?


「好きな女の子?」


「あ」


流留君が笑った。


「言ってなかったっけ?」


「聞いてない」


「じゃあ今言いました」


あまりにも軽い。


「俺、花音先輩のこと好きっすよ」


「…………」


どう反応すればいいのだろう。


驚いた。


でも。


早川君に好きな人がいると聞いたときのように、胸がざわつくことはない。


弁岳君から「また会いたい」と言われたときのような、くすぐったさとも違う。


ただ。


流留君らしいと思った。


「でも」


流留君が続ける。


「花音先輩、好きな人いるでしょ」


今度こそ。


私は固まった。


「……なんで?」


「分かりますよ」


「言ったことないよね?」


「言ってないっす」


「じゃあ、なんで」


流留君は椅子の背にもたれた。


「俺といるときと違うから」


「何が?」


「その人のこと考えてるとき」


私は何も言えなかった。


「この前も、たまにそういう顔してたし」


「どんな顔?」


「知らないっす」


「知らないの?」


「説明できない。でも、俺に向ける顔じゃない」


流留君は笑った。


少しだけ。


いつもより静かに。


「だから、俺が恋愛対象じゃないのも分かってます」


「流留君……」


「でも、好きなのは俺の勝手でしょ?」


さらっと言う。


まるで、今日の昼ご飯を何にするかというくらいの調子で。


私は少し困った。


そして。


少しだけ、胸が痛んだ。


「ごめん」


「なんで謝るんすか」


「だって」


「俺、振られてないっすよ」


「え?」


「まだ付き合ってくださいって言ってないし」


屁理屈だ。


「そのうち言うかもしれないけど」


「言うんだ」


「チャンスがあったら」


「ないと思うよ」


「ひどっ!」


いつもの流留君に戻った。


私も笑った。


でも。


さっきの言葉は、消えなかった。



――俺といるときと違うから。



弁岳君も、似たようなことを言っていた。


私が時々、遠くへ行く、と。


もしかして。


そんなに分かりやすいのだろうか。


私。


「で」


流留君が言う。


「カレー」


「……はいはい」


「作ってくれるんすか?」


「いいよ」


「やった!」


両手を上げて喜んでいる。


私は思わず笑った。


好きな女の子が家に来るというのに。


望むものはカレー。


「ちょろっ」


「今なんて言いました?」


「なんでもない」





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