第8話 気にしていない、はずだった
結論から言えば。
俺は冷静だった。
少なくとも、自分ではそう思っている。
◇
王立学院・中庭。
昼休みの喧騒の中、俺は友人のクラウスと向かい合っていた。
「最近どうだ、婚約候補」
軽い調子の問い。
「問題ない」
即答。
事実だ。
問題は何もない。
……たぶん。
「へえ。氷の公爵令嬢と問題なしねえ」
からかうような視線。
「噂ほど怖くはない」
言ってから、少し考える。
怖くない。
確かに。
最近はむしろ——。
(……近い)
思い出すのは、隣に座った距離。
赤くなった頬。
小さな笑顔。
「おい」
「……なんだ」
「今、顔ゆるんだぞ」
「そんなわけあるか」
即否定。
紅茶を飲む仕草を思い出しただけだ。
それ以上の意味はない。
◇
その時だった。
中庭がざわついた。
「セレスティア様よ」
「氷の公爵令嬢……」
自然と視線が向く。
銀髪が陽光を受けて輝いていた。
相変わらず人を寄せつけない空気。
だが。
彼女の前に、一人の男子生徒が立った。
「アルヴェイン様、よろしければ今度の舞踏会を——」
告白。
周囲が息を呑む。
(無謀だな……)
そう思った。
普通なら即座に断られる。
だが。
なぜか胸の奥が、ざわついた。
男子生徒が一歩近づく。
——近い。
気づけば立ち上がっていた。
「レオン?」
クラウスが驚く。
自分でも理由が分からない。
(いや、別に)
婚約はまだ正式ではない。
彼女は自由だ。
当然だ。
なのに。
足が止まらない。
◇
「申し訳ありません」
セレスティア嬢の声が聞こえる。
「そのような予定はありませんので」
丁寧で、冷たい断り。
男子生徒は肩を落とした。
……終わった。
そう理解した瞬間。
胸の奥の重さが、すっと消えた。
(……なんだ今の)
自分の反応に戸惑う。
その時。
彼女がこちらに気づいた。
目が合う。
一瞬。
驚いた顔。
そして——。
ほんの少し、嬉しそうに目元が緩んだ。
(……いや)
違う。
気のせいだ。
彼女は静かに近づいてきた。
「レオンハルト様」
周囲がざわめく。
(なんでこっち来る!?)
「昼休み、でしたか」
「え、ああ」
自然に隣へ立つ。
距離、近い。
さっき告白していた男子生徒が、信じられない顔でこちらを見る。
……なぜだ。
「ご一緒しても?」
断る理由などあるはずがない。
「もちろん」
彼女が小さく頷く。
その瞬間。
なぜか、妙に安心した。
◇
去っていく男子生徒。
周囲の視線。
クラウスが小声で言った。
「お前さ」
「なんだ」
「今、完全に牽制したぞ」
「は?」
「無自覚って怖いな……」
意味が分からない。
俺はただ。
(安心しただけだ)
それだけだ。
特別な意味など、あるはずがない。
——まだ。
自分が初めて抱いた感情の名前を、知らなかった。




