第10話 答え合わせ
王都の噂は、収まる気配を見せなかった。
廊下を歩けば視線を感じる。
食堂に入れば席が空く。
なぜか微笑ましいものを見る目で見送られる。
(……何もしてないんだけどな、俺)
いや、正確には。
何かが起きているのは分かっている。
原因は一人しかいない。
セレスティア・アルヴェイン。
氷の公爵令嬢。
完璧で、近寄りがたくて、感情が読めなくて。
——そして。
最近、やけに近い。
◇
放課後。
中庭。
最初にまともに会話した場所だった。
呼び出されたわけではない。
約束したわけでもない。
けれど、そこに行けば会える気がして。
自分でも理由が分からないまま足が向いていた。
「……レオンハルト様」
背後から声。
振り向く前に分かる。
「こんにちは」
「はい。こんにちは」
いつも通りの挨拶。
いつも通りの声音。
なのに、少しだけ緊張しているのが分かる。
彼女は俺の隣に立った。
自然な距離。
——近い。
(今の、試された?)
反射的に思って、すぐ否定する。
違う。
もう、分かっている。
……多分。
沈黙が落ちた。
嫌な沈黙じゃない。
けれど、言葉を探している沈黙。
先に口を開いたのは、彼女だった。
「……最近、皆様が優しいのです」
「え?」
「私を見る目が、柔らかいというか……」
それは多分。
いや確実に。
俺たちの噂のせいだ。
「ご迷惑を、おかけしていますか」
小さな声だった。
初めて聞く種類の、不安を含んだ声。
「迷惑じゃない」
即答だった。
自分でも驚くほど自然に出た。
「……むしろ」
言葉が続かない。
何を言えばいいのか分からない。
すると彼女が、少しだけ視線を下げた。
「……私、距離を間違えるのです」
心臓が跳ねた。
「好ましく思う相手ほど、どう振る舞えばいいか分からなくなって……」
風が吹く。
銀の髪が揺れた。
「結果として、ご負担を……」
「違う」
思わず言葉を遮っていた。
彼女が目を瞬かせる。
そこで初めて、気づく。
ああ。
ずっと。
勘違いしていたのは、俺の方だ。
「俺は……」
言葉を探す。
逃げないように。
「怖かったんだ」
彼女の肩がわずかに揺れた。
「君が、じゃない」
一度息を吸う。
「誰かを好きになる自分が」
静寂。
言ってしまったあとで、理解が追いつく。
(……今、俺)
顔が熱い。
逃げ場がない。
けれど。
彼女は、笑わなかった。
困らなかった。
ただ。
ほんの少しだけ、目を細めた。
「……同じです」
小さな声。
「私も、怖かった」
彼女の手が動く。
一瞬迷って。
——そっと、袖を掴んだ。
心臓が止まりかける。
「嫌われたらどうしようと、ずっと思っていました」
氷の公爵令嬢。
そう呼ばれる人が。
こんな顔をするなんて。
誰が想像しただろう。
「……嫌うわけないだろ」
自然に言葉が出た。
もう考えていなかった。
彼女が、ほんの少し近づく。
「では」
一拍。
「……隣に、いてください」
お願いの形なのに。
断れる選択肢なんて最初から存在しなかった。
「……うん」
並んで立つ。
同じ方向を見る。
何も変わっていないはずなのに。
世界の輪郭が少しだけ柔らかく見えた。
遠くで鐘が鳴る。
放課後の終わりを告げる音。
けれど、もう急ぐ理由はなかった。
袖を掴む力が、少しだけ強くなる。
(……これは)
試験でも。
評価でも。
礼儀作法でもない。
ただ。
同じ場所にいたいという意思。
それだけだ。
俺は小さく息を吐いた。
きっとこれからも間違える。
きっとまた勘違いする。
それでも。
隣でなら、答え合わせができる。
だから。
もう怖くなかった。
——今のは、きっと試験じゃない。
そう思いながら、俺は彼女と並んで歩き出した。
終。




