第9話 社交界はすでに知っている
王都の噂というものは、恐ろしく早い。
そして大抵、事実より面白くなる。
◇
「聞いたか?」
朝一番、学院に入った瞬間だった。
見知らぬ上級生に声をかけられる。
「……何をでしょう」
「とぼけるなよ、侯爵家」
肩を叩かれる。
妙な親しさだ。
「氷の公爵令嬢、落としたんだってな」
思考が止まった。
「……は?」
◇
教室に入る。
視線。
視線。
視線。
全員、こっちを見ている。
(なんで???)
席に着くとクラウスが笑いを堪えていた。
「おめでとう」
「何が」
「王都制覇」
「意味が分からない」
彼は机に新聞を滑らせた。
正確には、社交界速報紙。
【氷姫、ついに心許す】
【公爵令嬢、侯爵家令息の隣へ】
【舞踏会前夜、運命の再会】
「全部違う!!」
思わず声が出た。
「いやー昨日の中庭、見てた貴族子弟多かったからな」
「ただ話しただけだ」
「告白男を退けて、一直線にお前のところ行ったらしいぞ」
記憶再生。
……否定できない。
「しかも笑ったらしい」
心臓が跳ねた。
「……笑った?」
「氷の公爵令嬢が」
教室中が頷いた。
(俺、見たか……?)
思い出す。
あの瞬間。
目元が少し緩んだ気がした。
……いや。
(気のせいだろ)
◇
一方その頃。
貴族令嬢たちのサロン。
「昨日の件、ご覧になりまして?」
「ええ、ついにですわね」
「長かったですわ……」
なぜか祝福ムードだった。
「アルヴェイン様、ずっと同じ方をご覧になっていましたもの」
「侯爵家令息、誠実そうでしたわ」
「理想的ではなくて?」
誰一人として疑っていない。
すでに。
——恋は成立したものとして扱われていた。
◇
放課後。
廊下でセレスティア嬢と遭遇する。
「レオンハルト様」
軽く頭を下げる。
周囲が一斉に静かになった。
(なんで静かになる!?)
彼女は気づいていない様子で近づく。
「本日も、お時間はありますか?」
ざわっ。
背後で空気が揺れた。
(今なにが起きた?)
「……ありますが」
彼女が小さく頷く。
そして。
ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。
周囲、凍結。
(……今の)
胸がまた妙に騒ぐ。
「では、ご一緒に」
自然に並んで歩き出す。
背後から聞こえた小声。
「見た?」
「見ましたわ」
「本物ですわね……」
(何が!?)
理解不能のまま歩き続ける。
だが。
並んで歩く距離が、もう当たり前になっていることに。
レオンハルトはまだ気づいていなかった。
そして王都ではすでに。
——二人の婚約は“既定事項”として語られ始めていた。




