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【完結】母を亡くした公爵令嬢は、虐げられないが、今日も願いが叶わない  作者: 春風由実


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8.公爵令嬢は命じられる


 主玄関の扉の向こうから届く、雨粒の庇を打つ音が、やけに大きく感じられた。



「お嬢様。お久しぶりにございます。本日はお迎えに参りました」



 記憶の姿から幾分かの老いを感じる家令が、頭を下げる。

 当主の不在となる日に、わざわざ邸を空けて、学院に来たということか。


 これは逃れられないのではないか。

 隙間から入って来る冷たい外気と共に、その嫌な予感が、私の全身を冷やしていった。



「そのような話は聞いておりません。どういうことです?」



「旦那様のご命令により、お嬢様には本日より邸にお戻りいただきます。どうぞ、馬車にお乗りくださいませ」



 家令がそう言ったあと主玄関の扉が開かれて、大きく立派な馬車が目に入った。

 事故のときの馬車とは大きく形状が違うもの。


 それでも……私は無理だ。



 そのときぎゅっと左腕を掴まれ、私は振り向いた。



「エルリカ様。いけませんわ」


「えぇ、いつものお迎えの方をお待ちしましょうよ」


「それまではまだサロンでご一緒したいですわ」


「もうひとつずつケーキを食べることにいたしませんか?軽食もございますのよ?お茶のお代わりもいたしましょう?ね?」



 いつもの令嬢たちの止まらないお喋りから、いつもとは違う温もりを感じ取った。


 しかし家令の淡々とした声は、たちまち私の頭を冷やす。



「ご令嬢方。お嬢様をお止めするならば、シェーンクルム公爵に意見するものとして受け取りますが、よろしいですかな?」



 腕を掴む令嬢の手に力が籠る。


 彼女たちの家では、公爵に歯向かうことは許されない。

 貴族社会でこの例外は叔父くらいなものだから。


 私は掴まれていない方の手で、令嬢の手に手を乗せた。


 はっと何かに気付いたような顔をして私を見詰める令嬢に向かい、私は首を振って手を離す。

 それから他の令嬢たちも順に眺めて微笑んだ。


 私のことに彼女たちを巻き込むわけにはいかない。



「分かりました。本日は公爵邸に行きます。けれど私は馬車には乗れませんから、後ほど迎えに来るグラスデューラー子爵家の護衛たちと共に、そちらの邸へと向かうことにします」



 雨の中、長距離を歩くことになって申し訳なく思うけれど。

 お礼とお詫びは後で十分にすることにして、今日は付き合って貰うしかない。


 しかし家令は、これも許さなかった。



「旦那様のご命令ですよ、お嬢様。荷物はすでに預かってございますので、お嬢様はそのままどうか、この馬車にお乗りくださいませ」



 あの公爵は、どこまで私を嫌っているのだろうか。

 こうなったら、さっさと除籍してくれなかった件に関しても、問い詰めさせて貰おう。



「「「「エルリカ様」」」」



 四人の令嬢たちの私を呼ぶ声が、綺麗に重なった。



「私のことはご心配なさらずに。皆さま本日は、楽しい時間をいただきまして感謝いたします。それではごきげんよう」



 乗り込む前から震えそうになる身体に、大丈夫、時間は過ぎた、もう治っているかもしれない、それに邸まで僅かな時間だ、すぐに終わる、と心の中で繰り返し言い聞かせて。

 主玄関を出て馬車まで続く長い庇の下を進んでいる間は、左右で地を撥ねる雨粒を眺めた。


 いよいよ馬車の前に来た。


 庇が途切れても頭上に傘が掲げられたから、濡れることなく私は馬車横に用意されたステップを踏んでいく。



 大丈夫、きっともう平気だから、大丈夫──乗れた。



 扉はすぐに閉まった。

 ステップが片付けられていく音がする。


 雨音がうるさい。



 馬車が動き出した。


 寒い。冷たい。動かない。


 早く──。





 やはり駄目だった。


 目覚めたとき、私は過去に戻ったのかと錯覚した。

 そんなわけがないことは、まっさらな顔をした公爵が目に入ったときに正しく理解する。


 私を見下ろす公爵は、今回は無言だった。


 この人も老いた。

 以前はなかった皺が増えている。

 白髪もあった。

 まだそれほどの年齢ではなかった気もするけれど。


 公爵家を出てから、時間が過ぎた証だ。


 無音の時は続いた。

 顔を合わせれば愚かなことばかり言っていた人だったけれど、少しは変わったということだろうか。



「いつまで黙っている?私に何か言うことがあろう」



 前言撤回である。

 少しくらい容姿が老いても、中身に変化はなかった。



「久しぶりに会った父親に挨拶も出来ないとは。さすがは亡き母親を弔うためにも帰って来ない娘だな」



 言い返さなかったのは、まだ酷く具合が悪かったからだ。



「なんとか言ったらどうだ?」


 

 近くにいるのに、大きな声を出さないでほしい。

 公爵の声は頭にガンガンと響き、今の私には不快でしかなかった。



「おい、どうした?身体はどこも悪くないと聞いたぞ?」


 

 色々と聞きたいことはあるけれど、今は黙らせよう。

 決めた私はゆっくりと手でベッドを押すようにして上半身を起こした。



「静かにしていただけませんか?こちらは目覚めたばかりなのですよ。また殴られないと分かりません?」



「なっ!少しは令嬢らしく淑やかに育っているかと思えば。侯爵家の教育はどうなっている!」



 肩を掴まれた。

 駄目。今は揺らさないで。



「離れていれば、頭も冷えて反省し、心を入れ替えて……エルリカ!」


 

「……除籍……してください……はやく」



 また意識が途絶えてしまった。


 これが馬車のせいだけではないと気付けたのは、次の次に覚めたときだ。


 なんとか気力を振り絞って、側にいた医者に、私の内側でおそらく起きているだろうことを伝えたら。

 次に目覚めたときには、装飾の大きく異なる部屋にいて、私はようやく起きていられるようになった。



「ふん。か弱い娘でもないくせに。だが、しかし。だがな。それは知らなかったとはいえ。いやうちの者たちが────、な」



 まだ疲れが取れていなかった私は、起きていられるようになった直後の公爵の言葉は聞き流した。

 よく分からない話が長く続いたうえに、最後の方は小さな声でごにょごにょと言っていて聞き取れず、聞く価値はなく、返事も不要と判断したこともある。


 けれど話はしなければならない。


 まずは状況を説明して貰おうと、私は家令を呼ぶことにした。

 公爵では話にならないからである。


 それに叔父の様子は大分気掛かりなことだった。





読んでくださいましてありがとうございます♡

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