5.公爵令嬢は秘密を知る
あの日王子殿下に、長く王都を不在にしてきた私に興味があったことを告げられてから。
学院の昼休憩には、晴れていれば三日に一度、この裏庭で王子殿下と過ごすようになった。
あとの日も、昼休憩の時間は空き部屋を使い、一人で過ごすことが出来ている。
それも王子殿下が教えてくれた場所だった。
もうこの裏庭でのお茶の時間も、何度目になるだろうか。
私も慣れたもので、何もせずに王子殿下の動作を見ている。
テーブルの上にはいつも、水がたっぷり入ったポットが置かれていた。
そのポットの側面に王子殿下が指を触れれば、たちまち注ぎ口からは湯気が立つ。
特殊なポットではない。
これは王族だけに伝わる魔法だ。
第三王子殿下は、慣れた手つきで今日もティーポットに茶葉を入れていく。
「今日はコタン地方の茶葉にしたよ」
「淹れる前から、いい香りですね」
「あぁ、良かった。実は私もこの茶葉そのままの香りが気に入っていてね。これがまたお湯を注ぐといい香りを立てて──」
初日から秘密を打ち明けられて、私がどれだけ戸惑ったことか。
魔法の話は一般的にはただの伝承として受け止められている。
王族が本当に魔法を使えると思っている者は、この国にも少ないだろう。
『王族のみが使える魔法と言っても、お湯を沸かす力しかないからねぇ』
あの最初の日、驚く私を前にして、王子殿下は恥じらいながらそう言った。
市井の民として暮らす生き方を願ってきた私にとっては、とても便利で魅力的な力だと思ったものだ。
しかし残念ながら、王子殿下も王籍を抜けたあとには、この魔法の力を失うという。
どういう理屈かまでは分からないけれど、偉大な魔法を使い、この地を治めたと言われる初代国王と、現王族である子孫との間で交わされる契約なのだとか。
しかもその力は時代と共に弱体化しているそう。
現王族もそれぞれが異なる魔法を使えると聞いたが、国を統治するのに役立ちそうな大層大掛かりな魔法を扱える王族はいないと言う。
『これは秘密ね?』
すっかり話し終えたあと、王子殿下は唇に指を置いて、にこりと私に向かい微笑んだ。
どうしてそのような話を、近い将来貴族ではなくなる予定の私に打ち明けようと思ったのか。
『うーん。長く君の話を聞いていたからかな?』
『噂だけでなく、昔はグラスデューラー子爵も、よく君のことを話していてね』
グラスデューラー子爵は、叔父のこと。
同じ名の侯爵家が、母の生家で、今は伯父が当主をする家である。
『ずっと会って話してみたいと思っていたから、学院も楽しみでね』
『少しずつ仲良くなるつもりだったけれど、いつも令嬢たちに囲まれているだろう?こっちも側に人が絶えないから。もう我慢出来なくて、この場に導いてしまった。勝手なことをして、すまなかったね』
母親を亡くし、父親からは絶縁を宣告された可哀想な公爵令嬢に会って、王子殿下は何を話してみたかったのだろうか。
周りにはよく恵まれた貴族家の子女しかいなかったから、珍しいものに触れてみたくなったのかもしれない。
私はその日そう結論付けた。
『シェーンクルム公爵からも、私の話をお聞きになっておりましたか?』
私はあの日、話題から良い機会を得たと思い尋ねた。
王子殿下はそれからしばらく固まっていて、大変驚かせてしまったようである。
やがて王子殿下は、ゆったりと首を振った。
『彼は家内のことを話さない』
申し訳なさそうに言われたけれど、私にはその一言が十分に有難かった。
優しい甘い香りが私を過去から今へと引き戻す。
確かにこれは、殿下が好みそうな茶葉である。私も好きだ。
城に戻れば、周りが何でもしてくれるから、こうして自分でお茶を淹れることも出来ないと言う。
だから使用人を側に置かない学院では、自分で自由にする時間を少しでも取ろうと、学院入学前から王子殿下は決めていた。
それがこの時間である。
王子殿下としては、いずれ城を出る身として、自分のことは自分で出来るようにしておきたいそうだ。
しかし城でそのように振舞うと、使用人の仕事を奪うことになって問題が生じるため、今は学院のこの時間を使うしかない。
畏れ多いと言ったけれど、私にはこの王子殿下の気持ちがよく分かった。
私はお城で暮らしてきた王子殿下とは違う。
侯爵領ではまだ自由があった。
祖父母も伯父夫妻も、私の意思を確認してくれる人だったし、子ども相手には放任主義なところがあったからだ。
それに使用人たちも、世話をする相手が沢山いることで仕事は多く、多少こちらが仕事を奪ってしまっても、彼らが困るようなことにはならなかったのだ。
けれど王都に来てからは、そうはいかなかった。
叔父の邸では、私が目覚めて寝るまでの間ずっと、侍女たちは私の世話を焼こうとする。
そして彼女たちは、私の行動を叔父に逐一報告しているように感じるのだ。
少しでも食事量が少ないとか、目覚めが遅かったとか、逆に早く眠ったとか、そういう変化が起きたあとには、叔父は私の側を離れないようになる。
だから私は学院では昼食を取らないことにした。
お茶だけでいいと言ってくれて、勝手に一人で食事をする王子殿下に、私は大変救われている。
不思議なことに、王子殿下という、学院で最も礼儀を気にして緊張しなければならない相手を前にして、私は王都に来てから最も気を抜くことが出来ていた。
学院の空き部屋で一人過ごす時間もまた素晴らしいものではあるけれど、この裏庭の時間もこれはこれでいいものとして私は感じた。
貴族でなくなったとき、二度と会うことがないと思えば、気も楽になるのだろうか。
しかしそうすると、この学院に通う誰もが、同じように感じられるはずだから。
王子殿下は、貴族の子女らと何が違うのだろう?
あぁ、そうだ。
私はすぐに理解した。
王子殿下は、優しさを押し付けては来ないから──。
この裏庭に迷い込んだ初日こそ、強引だったけれど。
今ではどちらも無言で座っている時間の方が多くあって。
何も強要されない、この静かな時間が、私は好きになったのだ。
無意識に見詰めてしまっていたようである。
顔を上げた王子殿下と目が合って微笑まれた。
私もただ笑顔を返す。
何も考えずに過ごせる時間があるならば、私は王都でもなんとか生きていけるように感じた。
学院は一年。
王都にいる間に、公爵家から除籍だ。
私は改めて目標を定め、紅茶を味わうために目を閉じた。
まだ脳裏には無意識に目にしていた美しい花々の余韻が広がる。
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