26.公爵令嬢は向き合う
「私はどうしようもない人間だ!」
公爵は胸を張り、顎を上向けた状態で、そう言った。
今日はまた違う角度で公爵の様子がおかしい。
「自覚はあった。婚約者選びも難航していたからな!」
私は何を聞かされているのだろう。
様子のおかしな公爵を前にして、私は紅茶を味わうことにした。
慣れた味と香りに気を緩め、改めて今日の出来事を思い出して、記憶を整理する。
前に座る公爵のおかしさも、今日のことがおおいに影響していると思ったから。
◇◆◇
『先代のグラスデューラー侯爵夫妻が到着するまで、彼の身柄は王城で預かるよ』
項垂れて動かなくなった叔父に、私は叩きどころが悪かったのではないかと心配したが、クラウス様の配下の方々に促されると、叔父は自分の足で歩いて邸を後にした。
『実は冷やすことも出来る。これも秘密だよ』
応接室に移動した後は、クラウス様が冷たい水に浸した布で、赤くなっていた私の手を治療してくれた。
会話少なく時間は流れ、クラウス様は邸に戻って来た公爵と入れ替わりで王城に帰られた。
その直前に公爵には意味深な言葉を掛けて──。
『シェーンクルム公爵。陛下はずっと御心を痛められている。その意味があなたは分かるだろう?』
私はこれを、叔父には伝わらなかったとクラウス様が嘆いているように聞いた。
公爵はどのように受け取めたのか。
その答えが今に示されているものと、私は考える。
夕食を無言で終えた公爵は、話があるからとまた部屋に私を呼んだ。
前回より良かったことは、公爵が床に座らなかったことだろう。
◇◆◇
「彼女とは学院で出会った。このままの私がいいと言った。だから結婚した」
何故怒ったように言い切りながら話すのか。
そして私は何を聞かされているのか。
「昔はお忍びで二人だけで出掛けるようなこともした。若かったからな」
本当に何を聞かされているのか。
「ある日状況が変わった。父が急逝し、爵位を継ぐことになったからだ」
私は紅茶を楽しみながら、前の皿に乗るケーキを観察する。
昔よく食べていたケーキと同じものだろうか。
「だから私は嫌ってなどいない。分かったな?」
公爵が言葉を止めれば、静寂が訪れた。
今夜は先日の私の問い掛けに答えるために、部屋に呼び出したのだろうか?
私はカップをソーサーに戻して、公爵を眺めた。
眉間に皺を寄せた公爵は、こちらの言葉を待っていると分かる。
私はまず公爵から足りない言葉を引き出すことにした。
「私からはあなたが母を避けているように見えていましたが、それは事実でしたか?」
「避けて……そうだな。公爵位を得た私は変わらなければならなかった。しかし彼女は私が変わらないことを望んだ。残念そうなあの顔を見ていられなかった」
幼い私は両親が不仲だと信じた。
私と似たような理由で、公爵は母を怖れているとも考えた。
そして公爵は私のことも嫌っているという結論を出している。
私は思い切って自身についても聞いてみることにした。
「それで母に容姿のよく似た私のことも、避けていたのですか?」
公爵の眉間の皺がぐっと濃くなって、口元も歪んでいく。
前回のように、これで公爵はいつも通りに戻って、もう真面な話は聞けないと私は思った。
しかしそれは間違いだった。
「避けていたのは、お前だろう?お前は年々私とは話さなくなっていた」
私は疑うように、公爵を見詰めてしまった。
何故?何故?と聞く私に、嫌そうな顔をして、もう何も聞くなと繰り返した公爵を覚えている。
「母に似た容姿のうえに、中身は可愛げもない私とは、関わりたくないのだと思っておりました」
「そんなことはない!思ったこともないぞ!まさか、誰かにそうだと言われたか?」
私は首を振る。
一瞬叔父の顔は浮かんだものの、叔父が公爵を嫌っていただけで、公爵が私を嫌っている話はしていなかった。
叔父が幼い私に言い聞かせていた言葉は、ほとんどが公爵の悪口である。
叔父は私に公爵を嫌って欲しかったのだ。
「私はそんな父親だったか」
ぼそりとぎりぎり聴こえる声で言った公爵は、それからも掠れた声で続けた。
「私はいつもどうしようもない人間だった。あの日とて……殴られ、ほっとした」
「あの日のあなたは反撃しようとしていませんでしたか?」
「咄嗟に身体が動いたことは謝る。人に殴られたことは初めてだったからな。しかし気が動転していたとはいえ、お前を殴る気はなかったし、そもそも私がお前を殴ることは無理だ」
また疑うように、公爵を見詰めてしまった。
振り上げた右手を押さえられていた姿を覚えている。
「ハリマンらに止められ、すぐに冷静にはなったが……義両親の怒りを鎮めるには遅かった。お前にはすぐに謝ろうと思っていたことは本当だ。しかしお前は邸から連れ出され、八年も戻って来ない。あの日から……お前が目覚め嬉しいはずのあの日に、何故彼女が喜ぶ言葉などぶつけたのかと……己がどうしようもない人間であることを呪ってきた……呪ってきたが……何も変えられなかった。こんな父親ですまない」
公爵の頭が下がった。
心からの謝罪として受け止めた。
それでも──私はどうしたいか、その答えはすぐに出ない。
私はそれを素直に告げられた。
「今は驚きが大きく、どうお応えすればいいかも分かりません。あなたは母のことを嫌っているものだと思い込んでおりましたので。まずはこれまでの考えを改めたく──」
顔を上げた公爵と目が合った。
「もう一度言う。私は彼女を嫌っていない」
「私に母のようになっては欲しくなかったのですよね?」
「それは将来公爵になるお前が、周りにどうしようもない人間ばかり集めては苦労することになると思ってだな。それにうちの者たちをこれ以上堕落させられるわけにもいかず……。お前は……彼女が嫌いか?」
今度は迷いなく、答えが出て来た。
「好きではありませんが、嫌いとも言い切れません。私を産み、守ってくれた方ですから」
公爵は「そうか」と言い、私は再びカップを手に取った。
沈黙は少しの間だけだった。
「ふんっ。しかしどうしてお前はすぐに暴力に訴える?今後はお前が痛い方法は取るな」
今日のことは、すっかり報告されているのだろう。
「すぐにと仰いますが、私が手を出したのは二度目ですよ」
「淑女なら一度も経験しないことだぞ。まったくもって、グラスデューラー侯爵家の教育はどうなっている?」
「殴れという教育を受けたことはどこでもありませんが。あなたを殴ったあの日、私はまだグラスデューラー侯爵家の教育は受けておりません」
公爵の顔が大きく歪む。
これは気分を害したときの顔だった。
「私のせいだと言いたいのか?」
「いいえ。私が決めて殴ったことですから、責任はすべて私にあります。後悔はしておりませんし、謝りませんけれどね」
「お前はどうして……ふんっ。あの日のことはもういい。それも食べろ」
「夕食後なのですが?」
「令嬢は菓子を日に四度も五度も食べるものだと聞いたぞ。少しは淑女らしくなれ」
「さすがにそれは淑女の決まりではなく、人に依るものだと思いますが」
真実は学院で彼女たちに尋ねてみようと思いながら、私はフォークに手を伸ばした。
小さく切り分けられた真四角のケーキは甘く、予想以上にとても懐かしい味がした。
食べ終えてなお甘さの余韻に浸る私の前で、急に立ち上がった公爵は、壁際の棚から紙の束を取り戻って来た。
「あの日の事故の仔細を私がまとめた。誰にも口外するな。うちの者たちにもだ。資料の閲覧はこの部屋に限るものとする」
「私が見てもよろしいのですか?」
「構わん。私は陛下と親しくしているからな」
分かるように話して欲しいものだと願ったが、公爵の言いたかったことは、資料を読み進めるとすぐに理解した。
「その資料から私が伝えたいことはひとつだ。お前如きが責任を感じるな!いいか、お前に責任はない!」
私が資料を読む間、公爵はずっと語り掛けて来てうるさかった。
誰もあの事故の仔細を話してはくれないことに、私は拗ねてきたけれど。
それも公爵がかん口令を出したせいだったのだろう。
私は何も見えていなかった。
「昔のように出掛けようという話になった。あの日はお前にもその楽しみを知らせるつもりだった。──何もかも私が悪い」
途中から懺悔として聞いた。
それも相手は私ではなく──。
「あのとき、彼女はもう無理だと分かった。お前まで助からないものだと思い込んだ。ただ泣くばかりだった私は……どうしようもない人間だ。最期を見たくなかった……見られなかった……事実だと受け入れたくなかった……何もかも無理だった……どうしようもない私だから……」
私は資料から顔を上げられなかった。
「もっと時間を共にしていれば……彼女の前でだけ、どうしようもない私でいることも出来たのに……失望が……拒絶が……失うより恐ろしいことなどないと知っていれば……あの日からやり直すはずだった……私のせいで……私のせいだ……すべて私が悪かった……」
公爵が言葉を失ったときには、胸が刺すように痛んでいた。
私はこの夜長く自室に戻ることが出来なかった。
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