25.公爵令嬢は決別する
「叔父様。先日もお伝えしました通り、私は母のようにはなりたくありませんし、叔父様のために母の代わりにはなりません」
先日示した反応とは違って、叔父はにこにこと微笑んでいた。
「それについても考えたよ、エルリカ。エルリカは幼くて、姉上をよく知らなかったよね。今まで辛い気持ちを思い出させてはと思って、エルリカには姉上の話をして来なかったから」
叔父の笑顔がこれほどに怖ろしく感じるのは初めてだった。
「邸に戻ったら、姉上の話を沢山聞かせてあげよう。それも私だけではないよ?うちの邸にいる者たちは、姉上が目を掛けた者ばかりだからね。これからはエルリカに姉上の話をしてもいいと伝えておいた。これでエルリカも、姉上の素晴らしさを理解して、おかしなことを考えなくなる」
繋ぐどちら側の手にも力が籠った。
クラウス様も叔父が怖くなっていたのではないかと感じる。
八年の空白は、叔父を知らない人に変えてしまった。
グラスデューラー侯爵領で過ごす私に、頻繁に叔父からの手紙は届いた。
内容はいつも私が元気かと聞くばかりで、母に触れることはなく、王都で私が喜びそうなものを見付けたからと手紙と一緒に沢山の贈り物も受け取った。
王都に向かう前、祖父母は言った。
さすがに八年も過ぎれば、落ち着いたようだ。
だから私は単独で叔父の元に来た。
私もまた、手紙の内容で、大丈夫だと信じた。
今の叔父を見ていると、八年前、祖父母が王都に残すべきではなかったのは、私ではなく、叔父だったのではないかと思える。
叔父はまだ一人で勝手に話していた。とても幸せそうに。
「だけどエルリカには、あれと似た者を選ばせないようにしないといけないからね。姉上のようになるエルリカが、今度こそ間違えないようによく気を付けて私が側で見ておかないと。本当に姉上は、どうしてあれなんかを気に入ってしまったのだろう?それも選ばれておきながら、姉上に抵抗なんかして、拒絶して、姉上に寂しい想いを……あれのせいで姉上は……」
叔父の落ちていく声が恐怖を煽った。
叔父は私に公爵も重ねているのだろうか。
私を見る目付きに憎悪の混じりを感じる。
「姉上のいない世界なんて要らなかった。だけど姉上は、エルリカを残したから。姉上は言っていたからね。姉上に何かあったら、エルリカが代わりになると──」
腕に鳥肌が立った。
私を守ってくれた母が──苦手だった母への複雑な想いが──新しく塗り替わっていく。
「はじめから私の娘にしておけばよかった。父上が反対するから仕方なく我慢して……ずっと一緒にいるつもりだったのに、父上はそれも邪魔したから……私は待っていたのだよ、エルリカ。八年も待って……どうして側を離れようとする?」
「叔父様。何をお聞きしても、私の気持ちは変わりません。いいえ、むしろ今の母の話を聞いて、私は母のようにはならないと決意しました。私を母の代わりにすることは無理です。諦めてください!」
もう叔父の言葉を聞きたくなくて、私は声を大きくして言った。
「分かったよ、エルリカ」
その願いは叶ったと安堵して気を抜く間も、叔父は与えてはくれなかった。
「邸に戻ってから話そう。さぁ、こちらにおいで」
私の手に負えるかどうか考える状況ではなかった。
クラウス様と目を合わせた後に、周りにいるハリマンや侍女、邸を守る騎士たちも、顔を引き攣らせていることに気が付く。
「エルリカ。早くこちらにおいで」
叔父から伸ばされる手を取れるわけがない。
この小さな邸を守る公爵家の騎士たちが、叔父の行く手を阻むために立ち並んだ。
「エルリカ。手荒なことはしたくないよ。早く私の元においで」
「そちらの邸には戻らないと言いましたよ」
「戯れの時間は終わりにしよう、エルリカ。子どもらしい可愛いわがままも、邸に戻ったらよく聞いてあげるからね。今はおとなしく言うことを聞いて」
「叔父様の邸には戻りません。私は……公爵になるかどうかは分かりませんが、今はここに残ると決めました。そしてクラウス様と婚約します」
「どうしても言うことを聞かない気かい?それなら仕方がないね」
叔父が手を上げたあとに、申し訳なさそうに私に向かい頭を下げる騎士たちを見た。
叔父の邸にあるときに、学院までの送り迎えをしてくれた騎士たちだった。
あの公爵も、あの日羽交い絞めにあっていたというのに。
子爵家の騎士たちは叔父を止めないのだろうか。
クラウス様がいて、どうして叔父を──。
私は思い至る。
もしやこの騎士たちも?
彼らと目が合い、足元から急発生した悪寒が身体の中心を通って頭上まで抜けていった。
この人たちをどうしたら──。
突然何も見えなくなった。
クラウス様が私を抱き込んだと気が付くまで、少し時間が掛かった。
「エルリカを離せ!エルリカに触るな!」
「王族として公爵家と争うことも見過ごせないが。私にまで騎士を向けるか、グラスデューラー子爵?」
「エルリカを守るためならば、やむを得ませんね」
叔父の発言に迷いがなかった。
それがとても恐ろしかった。
「己の不義をエルリカのせいにするな、グラスデューラー子爵。エルリカを守る気があるなら、ここは冷静になれ」
「私は至極冷静ですよ。あなたこそ、何も分かっておられない。表の馬車を見たところ、お忍びで来られたのでしょう?数少ない王家の護衛と、小さな邸を守るだけの護衛が、うちの選ばれた騎士たちの相手になるとお思いか?」
私は叔父の発言を、選んだ者が叔父ではないという意味で受け取った。
「残念だよ、子爵。もう聞かなかったことにも出来ない」
「それがどうし──がっ!」
大きな音が続いても、私はとても近くから囁く声にだけ耳を傾けた。
「大丈夫、穏便に済ませるからね。騒がしいのは最初だけだ」
知らない音が続いて怖くなかったとは言わないけれど、不安はなかった。
思い返すと、こうして誰かの胸に顔を埋めたことなどあっただろうか。
母に抱き締められた記憶は……守られたあのときが当然最後であり、そして初めてでもあったような気がする。
私が何か失敗したときも、「どうしようもない子ね」と言いながら、あの恍惚とした微笑みを浮かべた母は、私に触れなかった。
当然公爵から抱き締められたこともない。
日常的に母に抱き締められる子どもだったなら、私も違って成長していたことだろう。
けれどその成長した私の姿が、決して今の私が望むものにはならないことを、叔父を見て分かってしまった。
私は無価値でいいと決めましたよ、お母さま。
生かしていただいたのに、あなたの価値ある娘にはなれなくてごめんなさい。
頭に触れる手が緩んだときには、床に座る叔父の身体に縄が巻かれていた。
子爵家の騎士たちも全員が捕らえられている。
「王族に仇為す者はどうなるか、子爵は分かるね?」
「はっ。グラスデューラー侯爵の名代である私を、この程度で厳しく罰することは出来ないでしょう?あなたこそ、後のことを分かっておいでか?」
「そうそう、子爵。話はもうひとつあってね。先代と当代のグラスデューラー侯爵から、手紙を預かっている。その状態では読めないであろうから、私が代理で読もう。ちなみに先代らから代読の了承も得ているよ」
おじいさま。それに伯父さま。
私にもお手紙をくださればよかったのに……。
そこで思い直した。
叔父のせいで私の手には渡らなかっただけではないか。
祖父の手紙は、怒りと失望が感じられる内容だった。
一方で伯父からの手紙は、決定事項のみ綴られた短いものだった。
貴族は時に身内さえ切り捨てる。
「はっ?名代の任を解く?子爵位も取り上げるって?ふざけるなっ!」
分かっていたことだが、叔父は受け入れなかった。
祖父母は叔父を迎えに来るため、すでに王都に向かっているという。
こちらの騎乗の長旅に付き合わせては悪いと思って付き添いは断ったけれど、こうなっては一緒に来ていた方が良かったのかもしれない。
叔父が暴走する前に……祖父母に止められただろうか?
「はっ。たったの八年で何が変わる?私が姉上を忘れるわけはないだろう?そもそも姉上はいつまでも忘れてはいけない。おかしいのは、父上たちだよ。姉上がいないというのに、父上も母上も兄上も義姉上も変わらずに生活をして!兄上たちなど王都に墓参りにも来ない!」
墓参りに関しては、私も八年して来なかった。
しかも王都に来てもなお、まだ母の墓には足を運んでいない。
王都を見渡せる高台にある墓に歩いていくことは困難だから……と言い訳をしてきたけれど。
まだその覚悟が持てなかっただけだ。
私は馬に乗れるのだから。
「それは先代に言ったらどうかな?急いで出るとのことだったから、あと少し待てば到着されると思うよ?」
クラウス様が冷静に叔父に指摘したが、叔父は拘束されてもなお、王族のお言葉を聞ける状態にはなかった。
「うるさい!私たちのことを何も知らない者は黙れ!私を分かる者はエルリカだけだ!エルリカだけは姉上のためにこんなにも傷付いて!ねぇ、エルリカ。君は私の味方だろう?それに縄を解くように言ってくれ!」
私は手を離した。
クラウス様が目を大きくされていたけれど、笑顔を返し、私は歩き出す。
そして叔父の前に立った。
「エルリカ!やはりエルリカは私を選んでくれたね!今度こそ、邸に戻ろうか──」
「歯を食いしばってくださいませ、叔父様」
「どうしたの、エルリカ?」
「昔のような子どもではありませんから、言う通りにしなければ、どうなるか分かりませんよ。私は先に言いましたからね?」
「エルリカ──」
パァーンといい音が鳴って、自分でも驚いた。
もう子どもではないので、私は考え、平手打ちにした。
叩いたあとの手のひらは、じんじんと痛かった。
「叔父様。私は元々生まれ持った気性が、母とは正反対なのです。だから母のようにはなれません。私はどうしようもない人を正さずにいられないからです!叔父様にも、これ以上愚かな真似をすることは許しません!しっかりなさいませ!」
玄関が静まり返って、その静寂が手のひらに痛みを足した。
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