23.公爵令嬢は晴れやかに笑う
私の中で次に聞く言葉は決まっていた。
けれどそれは正しくなかった。
「せっかくの美味しい紅茶が冷めてしまうよ、エルリカ嬢。紅茶を楽しむ休憩を入れながら、ゆっくり話そう?今日はたっぷり時間があるはずだからね」
同時に発生した恥と驚きが、身体の震えを止めた。
顔を上げると、王子殿下は優しい瞳をして柔らかく微笑んでいた。
お顔にはシェードから影が差しているはずなのに、陽光を受けたかのように私には輝いて見えた。
「殿下は……もう話すなと仰らないのですね」
「止めて欲しかったかな?」
私は首を振った。
そして気が付いた。
私はずっと話を聞いて欲しかったのだ。
けれどそれは誰でもいいわけではなかった。
尊き身分を生きにくいと表現した、この方にこそ──。
思い至れば、急激に胸の辺りが温まっていき、私はもう震えずに王子殿下には何でも話せるだろうと思えた。
触れた手がとても温かくて、胸に集まる熱はここから流れ込んでいる気がした。
「殿下は人にも魔法を使えるのではありませんか?」
「ふふ。そんなことは初めて言われたなぁ。ねぇ、エルリカ嬢。君が紅茶を楽しむ間は、私が話してもいいかな?」
私は頷き、手を引いた。
寒い季節でもないのに急に指先が冷えたように感じて、勧められた通りに紅茶を頂く。
甘い香りが、先までよりずっと強く感じられたのに、一切の不快さはなく、むしろいつまでもこの甘さに浸りたいと思えた。
「これはたった今、少しの話を聞いただけで私が抱いた感想だから。見当外れなことを言って、君を嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。もしも少しでも聞いていて嫌だと思うところがあったら、私の言葉の途中でも正直に伝えてくれると嬉しい」
私が頷くと、王子殿下は顔付きを変える。
私からは真剣なお顔に見えた。
「エルリカ嬢は王家に生まれていたら、もう少し生きやすかっただろう。それが話を聞きながら、真っ先に私が感じたことだった」
私にはとても理解出来ないお言葉だった。
それでも王子殿下の仰るような嫌な気持ちは生じず、私はただ王子殿下の続くお言葉を待っていた。
ここだけの話だと仰い、王子殿下は一度微笑むと、またすぐに真剣な顔付きに戻られた。
「王族の子どもの教育はね、世の不条理を把握して、これを認めるところから始まっていく」
世の不条理?
「王制を敷いた時点で、身分制度による理不尽が発生することを理解したうえで、王族であれということかな」
王子殿下の場合は、かつて城を抜け出そうと試みたそのときに、徹底的に世の不条理について教わることになったという。
そもそも王城を抜け出そうと考えたきっかけも、王子殿下がどうして王家に生まれただけで偉いのかという疑問を抱き、その答えが知りたくて市井に降りて民と王族の違いをよく観察しようと考えられてのことだった。
何故と聞くばかりの私とは違い、王子殿下はとても聡明な子どもだったのだと思う。
そして王子殿下は、このときに答えがないことを学ばれた。
答えがない?
「不条理に正しい解を求めることこそが無謀だったということかな。本当はどこかに答えが見付かるのかもしれないけれど、まだ私はその答えを得られないでいる。それでも王子を続けているよ。軽蔑するかな?」
私が首を振ると、王子殿下はいつもに近い柔らかい表情に戻られた。
「幼い頃にグラスデューラー子爵から聞いて、忘れられない話があってね。子爵は君がとても優しい子だろうと自慢して歩いていたのだけれど──君は怪我をした庭師の子どもを医者に診せて、その後に叱られてしまったそうだね?」
その話を覚えてもいない私は、ただただ身内が迷惑を掛けた申し訳なさを感じていた。
叔父様……真面にお話が出来るようになりましたら、お話があります。
「その頃から君と話せていたら……良かったなぁと今も思っている」
早くに出会っていたら私たちが何か変わっていたとは、王子殿下は仰らなかった。
「肝心なところで、君を救うこれだという言葉も出て来ないところに、自分を情けなく感じるけれど。たとえば君が予定通り公爵となって、理不尽な判断はすべて私が下す。そう言っても、君の心は慰められない。これは間違っていないかな?」
私が頷けば、殿下からも頷きが返って来た。
「では二人で世の不条理に抗っていくというのはどうだろうか?」
「抗えるのですか?」
「そうだね。これは絶対にここだけの話でお願いしたいのだけれど」
顔は動かさず視線だけで周囲を確認したあとに、王子殿下は声を落とした。
「実はね、理不尽を学ぶとき、王族はその理不尽に抗う術があることも学んでいる。たとえばだよ。表向きは厳しく罰し、誰にも知られぬように救済する。これは昔からよく取られてきた方法だ。時には隠すことなく堂々と恩赦を与え、罰を帳消しにすることもあったね。あとは名や容姿を変えて側に置いたり……あらゆる方法はあるものだよ」
小さな庭をさらさらと流れる風が頬を撫でていく。
公爵になってしまったら、正しい選択以外は取っていけないものと思ってきた。
「きっとこういうことは、王族だけの話ではないから。シェーンクルム公爵家でも似たような事例はあったのではないかと思うよ。こういったことは隠すからね。君が公爵になったとき、知れることもあるかもしれない。それから──」
テーブルの上に手が伸びて来て、私の手も前へと伸びた。
縋るように勢い掴んだ気がして恥ずかしくなったけれど、王子殿下は微笑み、それから眉を下げられた。
「想像しか出来ない私が、また勝手なことを言うから。気分が悪いと感じたらすぐに言って。あの事故の処理に関しては、あの頃の大人たちも誰一人冷静ではなかった可能性がある」
握る力はとても優しく強くはないのに、覆いかぶさるように触れる手に全身が守られているような温かさを覚えた。
これは本当に魔法ではないのだろうか。
「辛いことがあったとき、人は誰かのせいにしたくなるものだから。自責の念に堪えられる人間ばかりでもない」
私を見詰める王子殿下の瞳が澄んでいて、とても綺麗だと思った。
自然に私の口は開いていた。
「私は……あの事故で処分された方々を思うばかりで、身内の誰の心も……気遣えていなかったかもしれません」
自責の念に関しては、私もそうだったのではないか。
母に守られた罪悪感を見ないようにして──御者らのことばかり気に掛けた?
それとも罪悪感をどうにかしたくて、貴族である身内の誰もが私を責めないことにも憤っていた?本当は御者ではなく私を罰して欲しかっただけ?
新しく生じた疑問の答えは、すぐには見付からなかった。
私の口は王子殿下にこれを伝えていく。
王子殿下は答えをくださらなかった。
「不条理の中に答えを探しているのだから、すぐに見付からなくて当然だと、私はそうして自分の気持ちを鎮めてきたかな。答えがないこともあるし、答えがひとつとも限らない。矛盾する答えが重なることもある──」
元々あった両親に対する想い。
貴族であることへの疑問。
そしてあの事故。
過去のすべてと元々存在する世の不条理が重なり合う感覚があって、私の中では何一つ答えが出たわけではないけれど、心はとても楽になっていた。
「特にいい話も出来なくて申し訳ないけれどね。これからは沢山話そう、エルリカ嬢」
私は迷わず「はい」と言っていた。
「それでね──。まぁ、うん、さっそく願いを叶えられなくて心苦しいのだけれど──」
不意に気配を感じて横を向けば、邸から出て来る家令の姿が見えた。
家令は側にいた侍女に何か告げると、今度はその侍女がこちらに向かい歩き始めている。
王子殿下も侍女の動きに気付かれたようだ。
「あぁ、噂をすればだね。もっと遅く来るように情報を流しておいたのだけれど。気付かれてしまったか」
ここで私の頭に浮かんだ人物は、一人だけだった。
「少し待つように言って貰っていいかな?あと少し……どうしてもこれだけは伝えたいから」
言われた通り、私は侍女に少ししたら向かうと告げる。
一瞬侍女から驚いた様子が見られたが、私は頷いた。
それから王子殿下から聞いたお言葉はとてもあっさりしていて、私はそれが王子殿下らしくて、とても好ましく思えた。
だから私も思うままに返事をした。
先に立ち上がった王子殿下は、私の手を取ると、今までで一番に晴れやかに笑った。
「さて。少しはいいところを見せないとね。まずは君の願いをひとつ叶えるとしよう」
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