15.公爵令嬢は魔法を疑う
「先日は多大なるご迷惑をお掛けいたしまして、大変申し訳ありません」
空一面に淡く白い雲が張っていた。
一点から陽光が注がれないことで影にならないせいか、今日はテーブル上が晴天の日よりも明るく感じる。
そんな今日だから裏庭での会話も明るい内容に……とはいかず、この昼休憩は私の謝罪から始まることになった。
王子殿下は笑って許してくださったけれど、御前であのような醜態を晒したあとに、よくまたこうして席を一緒にしたいと望んでくださったものである。
私は今日の昼休憩も一人で過ごすつもりだった。
ところが空き部屋に向かう途中で、王子殿下の護衛の方から声が掛かり、予定が変わった。
「君の本来の姿が見られて嬉しかっただけだから謝罪は要らない。それよりも困ったことにね、私はまた新しい願いを抱いてしまった。君が私にも彼らと同じように接してくれないかなとね。それが楽しみで待つことも出来ず、今日は呼び出してしまった。急に声を掛けて悪かったね」
ご希望頂いてもそれは無理です、王子殿下。
あのような話し方は、話が通じない相手に限ります。
「と言ってみても、難しいよねぇ。あの二人と対峙するときには、私も王族の仮面を捨てることが多々あるから分かるよ」
あの二人、どれだけ王族に迷惑を掛けてきたのか。
問い詰めて、謝罪をさせた方がいいように思えてきた。
「君は昔からあの二人とは、あんな感じで話して来たの?」
「ずっとそうだったわけではありません。歳を重ねるごとに大人と言い合う機会も減っておりました」
我ながら私は可愛げのない子どもだったと思う。
元から何でも指摘する子どもだった。悪い言い方をすれば、生意気で口うるさい子どもだったのだ。
特に公爵とは記憶ある限り折り合いが悪く、よく言い合いをしていたものである。
それが年々抑えられていった理由は、公爵と言い合いをした後に見る母の反応をいちいち受け取めたくなかったから。
だからあの日、私があれだけ辛辣な言葉を返してくることを、公爵は想像していなかったと思われる。
あの頃にはどんな言葉をぶつけても流してくれる、そんな存在として認識されていたような気がしてならない。
おそらく公爵も、叔父と同じように、あの時期には母に似ていない私に、母を重ねた。
年々大人しくなる私が、ようやく母に似て来たかと言っていた記憶もある。
「お互いに身内には苦労するねぇ」
のんびりとした声にはっとして、私は慌てて視線を上げた。
どうも先日から、昔のことを簡単に思い出すようになっている。
時と場所を考えるようにしなければならない。
「それはあまりに畏れ多いことにございます」
身内が王族である苦労は、私には想像すら出来ないもので、とても同じようには捉えられなかった。
悪いことを言ったつもりはないけれど、王子殿下の表情が曇ったように感じて、私は珍しさに驚き、そして焦った。
失言をしてしまっただろうか。
「困ったなぁ。どうやら私は、先日の君を見て大分欲深くなっているようだ。もっと気楽に話してとお願いしたくなってきた」
んんん?
今までは口で何を願っても、実際には何も求めて来ない御方だったのに。
もしや私は貴族として失敗したのではないか。
王子殿下がお望みのこと、お聞きした段階でこちらが率先して叶えるものだった?
たとえそうしなくてもいいと言われても、臣下としては動く方が正しい?
今もそうだ。
声掛けを頂戴するまで裏庭に足を向けなかったこと、これは私の失態ではないか。
あの騒ぎの翌日には、私は裏庭で頭を下げるべきではなかったか。
王子殿下は乾いた笑い声を上げ、私は無意識のうちに再び落としてしまっていた視線を上げた。
「揶揄い過ぎたね。今まで通り、ここでは君がそうしたいと思うように振る舞ってくれていい。今の私の願いは、嫉妬からの世迷言として流しておいて」
んんん?嫉妬?
私のどこかに妬むような部分があっただろう。
それも王子殿下が?
「これも世迷言だ。気にしないでいいよ。それより今日のファルン産の茶葉はどうかな?」
「面白いと思います。香りはすっきりしているのに、不思議と甘く、一口含むたびに混乱し落ち着きません」
王子殿下は私の意見ににこにこと頷いた。
「君のそういうところ、好きだなぁ。あまり流通していない茶葉でね。偶然手に入れて試しに淹れてみただけだから、次は茶葉を変えるよ。それは残していいからね」
「いいえ。すべて頂きます」
面白く、珍しい茶葉ということで、よく味わっていただくことにした。
こんなにも清々しい香りから、いつまでも口内に残るほどの強い甘さを得る違和感は、結局最後の一口まで消えてはくれなかった。
「君は家出しようと思ったことはある?」
淹れ直した紅茶の入った新しいカップを差し出しながら、王子殿下は唐突にそう尋ねられた。
急な話題に驚いて私がすぐに答えられないでいると、王子殿下はさらに続けた。
「私は昔、ずっと幼い頃に、城を抜け出そうとしたことがあってね。幼い子どもの考えだったから、すぐに見付かって怒られたよ。あれはとてもいい経験になったね」
当時厳しく叱られた内容を殿下は語る。
あり得ないとはいえ、成功していたら、どれだけの人間に影響を与えたか。
学んだ殿下は、二度と同じことを考えなくなったと言った。
私は新しい紅茶を口に含んだ。
優しい香りに相応しい、優しい味がした。
あの事故が起こる前には、私も将来家を出ることを考えていた。
思えばすでに、私は公爵家にあることを嫌って生きていたのだ。
それも事故以降は、考えられなくなっている。
公爵家でも、侯爵家でも、どちらの邸でも同じこと。私が無事に逃げられて、奇跡的に市井で民に紛れて暮らせるようになったとして。
そこにどれだけの命を犠牲にするか。
考えてみれば、私はいくら反発しようとも、いつだって最後には、それぞれの当主に従う道を選ぶことしか出来なかった。
私の異変に気付けなかった侍女。私の逃亡を許した屋敷の護衛、門番、邸の内外にいる騎士。
悪ければ、一見関係のない庭師や、料理人等の多くの使用人たちも、何らかの理由を付けて一斉に罰せられることになる。
「言ってはいけない立場だが、君には吐露していいかな。生きにくいよね、私たちは──」
しばらく無言の時が流れた。
風はほとんど凪いでいて、とても静かな時間だった。
語ってみたいと思った。
あの日以来、はじめてのことだ。
それで……私とは結婚したくないと思われるなら、それはとてもいいことのように思えた。
私は静寂を切断する。
「王子殿下は、母のことをご存知ですか?」
王子殿下が驚きを示さなかったことが、私にはとても意外なことだった。
いつか私に聞かれると思っていたのだろうか。
「そうだね。シェーンクルム公爵夫人には、大変良くしていただいた」
貴族家の子どもは、十歳までは屋敷の外には出ない。それが王族は別となる。
幼い王子、王女が王城から出るわけではないが、三歳にもなれば登城した貴族たちとの付き合いが始まると聞いていた。
「母にどんな印象をお持ちだったか、お聞きしてもよろしいですか?」
王子殿下は、さらに私が意外に思うことを口にした。
「それは本音と建前、どちらを望んでいる?」
くすりと笑った王子殿下が幼い少年のように見えて、私も思わず笑みを零してしまった。
王子殿下は水以外にも魔法を使えるのではないだろうか。
強い陽光が注いでいるわけでもないのに、胸の奥から生じた熱は、次第に手足の先へと向かって、熱源なく私の全身はじわじわと温められていった。
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