12.公爵令嬢は声を張る
裏庭に居続けた私たちは、講義終了の鐘を聞いても、すぐには立ち上がらなかった。
特に話が盛り上がったわけでもなく、相変わらず私たちには無言の時間が多くあって、何かすることがあるわけでもないけれど。
私はまだもう少しここに居たいと願った。
邸に戻ったあとのことを考えたくない気持ちもあったかもしれない。
けれどもやはり終わりは来て、私に迎えの者が来たことを王子殿下の護衛の方が教えてくれた。
そしてそれは朝から予測していた通り、私にとってはとても憂鬱な事態となっている。
どうしてか王子殿下も小玄関までご一緒してくださることになって、私と歩調まで合わせた殿下が隣を歩いているのに、失礼にも私の視線は俯きがちで、目に入るものは足元の少し前の廊下の床板ばかりだった。
誰の靴が目に入ることもなく、さすがは王子殿下、学院で人に会わない進み方をよくご存知だと、こっそり尊敬もしていたら、急に声がした。
「「「「エルリカ様!」」」」
いつも通りぴたりと合った声に呼ばれて、顔を上げれば、小玄関まであと少しのところの廊下の端に、令嬢たちが並び立っていた。
すぐに彼女たちは、私の隣に王子がいることにも気が付き、見事に揃った動きで頭を下げた。
王子殿下はそこで足を止めて、先に行けと手で促したので、私も彼女たちのように殿下に一礼してから、足を速めて令嬢たちに近付く。
そして声を掛けた。
「皆様、ごきげんよう。私を待っていたのですか?」
やはり揃って顔を上げた令嬢たちは、私を見て言った。
「私たち、ずっとエルリカ様のことが心配でしたの」
「お身体は大丈夫ですの?辛いところはございませんか?」
「本当は朝一番にお尋ねしたかったのですわ。けれど皆さまの前でお家のことを聞いてしまっては、ご迷惑になることもあるかと思いまして」
「ここなら誰にも会わずに、エルリカ様のお話を聞けるかと思いましたの」
次々と語り掛けられて、私はまた目の奥が熱くなって、困ってしまった。
今朝の彼女たちから私が勝手に受け取ったあの余所余所しさは、ただの気遣いだったのだ。
私はなんて……人付き合いに不慣れな人間だろうか。
「皆様、ご心配いただき感謝します。私はこの通り元気ですからね」
「本当ですの?午後の講義にもお姿が見られなかったでしょう?だから私たち、もしかして具合が悪くなられたのではないかと心配しておりましたのよ?」
私は急に後ろめたさを感じた。
講義に出ないことで、誰かに心配を掛けているとは思わなかったからだ。
答えに詰まっていたら、少し離れたところから殿下の声がした。
「私が話したくてね。エルリカ嬢には、講義より私を優先して貰ったのだよ」
途端に令嬢たちの雰囲気が、朝の感じに近くなった。
相手の地位を気にしたとき、彼女たちの振舞いはこうして固くなるのだろう。
つまり今朝も、私が公爵家に戻ったことを気にして、自分たちからは声を掛けにくいところがあったのではなかろうか。
学院に通う年齢の貴族家の令嬢が、貴族社会におけるマナーを知らないわけがなかったのだ。
最初に話し掛けてきたあのときには、彼女たちにはマナー違反を許される理由があったと考える方が自然である。
思い至ると私の身体のどこかに、また穴が開いていくような感覚があったけれど、私はもう自分の意思でそれを止めることが出来た。
「皆様には、どこで何を聞いていただいても構いませんが……皆様が周囲から無礼をしたように捉えられてはなりませんね。私に人付き合いの技術があれば、そうならないように導けるのかもしれませんが……」
本来ならば、公爵家に身を置く私が彼女たちを守る立場にあるだろう。
けれども私は、その方法が分かっていないし、それを教われば上手く出来るかといえば、こうも人付き合いの経験が不足していることを考えると、怪しいものである。
すると王子殿下は言った。
「邸に呼んでみたらどうかな?君が邸で過ごす様子を見れば、安心も出来るだろう」
他家の令嬢を邸に招待すること。
経験がないあまりに、それは自分では思い付かない提案だった。
爵位として考えても、私が呼ぶ方が正解だと思われる。
そしてそれは、馬車に乗れない私にはとても有難い話でもあった。
けれどそのためにはまず──。
「皆様もそれで良ければ、邸に戻り相談します。先方に私の話が通じればいいですが」
「エルリカ様、やはり虐げられておりますの?」
とても心配そうに言われて、そういえば、そんな噂があったことを思い出した。
私は急いで言葉を返す。
「虐げられてはおりませんよ。なかなか話が通じない相手なだけです」
「エルリカ様のお話が通じないのですか?」
「えぇ、そうです。とても疲れる相手でして。ですから皆様、今日はお見送りは不要ですよ。どうぞそのままお帰りくださいませ」
「「「「エルリカ様をお見送りしたいですわ!」」」」
令嬢たちの声の勢いに、私は圧倒された。
んんん?
お見送りって、したいと願うようなものだった?
戸惑う私の横で、また王子殿下が私を助けるように言葉をくれた。
「彼女たちの好きにさせてあげたらどうかな?今日は私もいるから……きっと大丈夫だ」
その少し空けた間は、分からないという間でしたよね?
つまり二人は、王子殿下にまでご迷惑をお掛けしているのですね?
私は嫌な予感と、身内がご迷惑をお掛けした申し訳なさで、王子殿下に頭を下げてしまった。
そんな私に王子殿下は笑いながら「何の役にも立てなかったら、ごめんねぇ」と力なく言う。
ごめんなさいと謝るのは、私の方です、殿下。
「皆様、本日はお迎えに少々面倒な方々が揃っておりまして。先に謝っておきますが、先日のように皆様に失礼なことを言う者がおりましても、決して皆様にご迷惑が掛からないように対処いたしますので、どうかお気になさいませんように。先日の家令の発言についても、昨日家から謝罪を入れたかと思いますが、私からも謝ります。家令に失礼な発言を許し、脅すような真似をさせたこと、申し訳ありません。あの日の皆様への無礼はすべて、家の者を管理出来ない私のせいです」
家令ハリマンには、彼女たちに何かしたら許さないとは伝えておいた。
珍しく横で聞いていた公爵も同意を示したので、今後も公爵家から彼女たちの家に何かすることはないはず。
「そんな!エルリカ様!頭をお上げくださいませ」
「エルリカ様は何も悪くありませんわ!」
「それに大層なお詫びの品を頂いてしまって」
「父なんか喜んでおりましてよ」
次々に言われたので、私も頭を上げて令嬢たちに笑い掛けた。
「では、本日もいつものようにお見送りをお願いしても?」
「「「「もちろんですわ!お任せください!」」」」
明るい声が揃った。
そうしてぞろぞろと小玄関に向かい歩いていけば、外に出ずとも、もう声が聞こえていた。
いい大人たちが、何を騒いでいるのだろうか。
それもここは貴族の子女が集まる学院である。
職員の手で扉が開かれると、外にいた大人たちの視線は一斉に私に向かった。
それぞれ護衛を連れているせいで、大人数だ。
「「エルリカ!」」
揃った呼び声は、令嬢たちの可愛らしい声だから、こちらも楽しく受け取れることに気付く。
「遅い!急ぎ、帰るぞ!」
「エルリカは今日、うちに帰るよね?」
ほとんど同時に発せられる声に、長く息を吐いた。
公爵には迎えは護衛だけでいいと言った。それも今朝まで繰り返し十回以上だ。
叔父には手紙で、迎えは要らないとも書いた。次の休日まで待つようにお願いもした。こちらは二度ずつ書いた。
そこで両腕が掴まれた。
気付けば令嬢は二人ずつ私の左右に並んでいて、王子殿下が斜め後ろに立っている。
「皆様、驚かせてしまったらごめんなさい」
「エルリカ様?」
私はいつもより気合を入れて、スーッと息を吸い込んだ。
せっかく久しぶりに晴れて、すっきりと気持ちの良い午後の空気だというのに。
「公爵も。叔父様も。どうしてここにいらっしゃるのです?」
腕を掴む力が増した。
先に謝ったとはいえ、大分驚かせてしまったようだ。
「迎えに来てやったのだぞ!もっと喜べ!」
「もちろん、エルリカを迎えに来たのだよ」
斜め後ろで空気が揺れた。
王子殿下、今小さく笑いました?
そういえば、こんな姿も身内以外には見せていなかった。他家との付き合いがなければ当然か。
祖母がよく語り聞かせてくれた普通の令嬢ならば、恥ずかしくて堪らなくて、顔を隠し泣いてしまう状況かもしれないけれど。
私は違う。
もっと強く声を張り上げた。
「迎えには来るなと言ったはずですよ。公爵。叔父様。どちらにもです」
私は淑女が声を張らないことを知っている。
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