11.公爵令嬢は助言を求める
私のことを知りたいと仰った後なのに、殿下は一度も私に泣いた理由を聞かなかった。
きっと聞かれたところで私には何も話せなかったから、それはとても有難いことだった。
午後の講義の開始を告げる鐘の音がゴーンゴーンと裏庭中に響いて、泣けば時間の流れが変わることを私は学んだ。
同じくこの鐘の音を聴いているはずなのに、何も気にせずに座っている殿下を見ていたら、私の涙は自然に止まる。
すると不思議と頭の中がすっきりして、私の抱える問題が見えてきた。
公爵のこと、叔父のこと、それだけではなかったのだ。
むしろそれ以外のことに、今日の私は振り回されて気鬱になっていた。
元はと言えば、これは昨夜から始まっている。
私が何度断ろうとも、あの公爵は構わずに公爵家の資料を渡してきた。
本格的な学習を始める前に、シェーンクルム公爵家の歴史や現状、王家や他家との関わり合いについて、基礎として頭に入れておけということだろう。
不慣れな部屋では他にすることもなく、夜に眺めた資料は、また私に知りたくもない事実を突き付けてきた。
殿下とのことを知って身体のどこかにすでに開いていた穴が、さらに大きく広がっていく感覚を得て、もう何も考えたくないと思った私は、資料をデスクに放り投げて、ベッドに横になったのだけれど。
なかなか眠れずに朝を迎えることになる。
答えの出せない問題を抱えて、学院に向かうことになった私は、寝不足もあって強い不安を抱えていたのかもしれない。
そこに王子殿下への不安も、確かに重なっていたと思う。
それがこうして王子殿下のお言葉を聞いて、ひとつ解消されたから、私の心は一気に緩んでしまったのではないか。
自分をそのように分析することで、私はさらに心を落ち着かせていった。
だからいつもの声の調子で尋ねられたのだ。
「講義はよろしいのですか?」
殿下の笑い方も、この瞬間に今まで通りに戻ったように感じる。
「途中から参加するのも面倒だよねぇ。もう休まない?」
「では私では答えが分からず困っていることがあるのですが。ご助言を頂くことは出来ますでしょうか?」
驚いたように目を大きく開いたあとに、殿下は慌てて言った。
「私の想いに応えようと、無理に気持ちを伝えることはないよ?」
あれはあくまで王子殿下個人の希望であり、王族としての命令ではないこと。
私のことを知りたいと今も願っていても、それが私が王子殿下を気遣ったうえで実現しては嫌なこと。
私の意思が何より重要だと考えていること。
お気持ちを丁寧に説明してくれた王子殿下は、最後には「あれも嫌だこれも嫌だって、子どもみたいだよねぇ」と言って恥ずかしそうに笑っていた。
私は何も恥ずかしくないと思ったし、それはとても素敵なことだと感じていた。
「それならば、私が王子殿下にご相談したいと思っていれば、話を聞いていただけるでしょうか?令嬢たちとの今後の付き合い方について、ご助言いただけると有難いのですが」
「令嬢たちのこと?相談相手が、私でいいのか?」
「お恥ずかしい話ですが、貴族の誰とも付き合いをして来ませんで、他に相談出来る人がいないのです」
「そういう……うん、私に相談してくれて嬉しいよ。是非聞かせて」
私は順を追って、私と令嬢たちに起きているであろうことを説明していった。
彼女たちの家のこと。
先日公爵家の家令ハリマンが彼女たちに辛辣な言葉を掛けてしまったこと。
今朝から急に、余所余所しくなった彼女たちの様子。
それでも感じる彼女たちからの視線。
身分を考えた場合に、すぐに私から彼女たちに何かすべき状況なのか、それとも今は何もしない方がいいのか、それさえも私には分からないこと。
私が語る間に、王子殿下は淡々と魔法を使い、茶葉を変えて、新しい紅茶を淹れてくださっている。
話し終えて有難くいただけば、今度は清涼感のある、すっきりとした味わいの紅茶だった。
「今朝は彼女たちと会話は?」
「朝の挨拶はいただきました。その際に要らぬご心配をお掛けしたことをお詫びしたのですが。それっきり会話はなく」
「うーん。そうだねぇ」
王子殿下はまず助言ではなく、彼女たちについて私の知らない情報を与えてくれた。
先日私が公爵家の馬車に乗ったことを王子殿下に知らせていたのは、彼女たちだったのだ。
また私に疑問が増える。
彼女たちはどうしてそうしたのか。
「君と私がこうして共に時間を過ごしていることは、学院の誰も知らないはずだよ。ただ私たちに婚約の話が出ていることは、貴族たちも把握していることだからね。そうでなければ、他の候補になり得る令嬢たちも王家を気遣い、いつまでも婚約が出来ない。諸侯には陛下から候補になり得る令嬢たちの婚約を良しとする発言を暗にしているだろうし、多くの家では、私たちの婚約を公表はなくも内定済みとして捉えているだろう」
それもあって、私は入学直後によく見られていたのだと今さらに思い至る。
公爵家に戻らない娘が本当に王子と婚約するだろうかと、自分たちの将来を含めて、気になっていたのだろう。
そんな私がついに公爵家に戻ったと知られれば、今朝からまた多くの視線が注がれることについては、無理もないことかもしれない。
けれど彼女たちが変わってしまったのは──。
「彼女たちの家の爵位を考えると、私に話し掛けることも、相当に勇気がいることだったと思うよ。それくらいに彼女たちは、君のことを心配していたのだろうね」
また目の奥が熱くなって、溢れるものがありそうで、私はぐっとお腹に力を入れて、これを堪えた。
「彼女たちの家の爵位では、公爵邸に乗り込むわけにもいかない。だから王子である私を頼ってくれたのだと思う。今はそれに心から感謝しているよ」
まだ知らずに呑気にしていたかもしれないと思えばぞっとすると、王子殿下は笑いながら言った。
これは笑って口にすることだろうか。
「私には彼女たちの気持ちは分からない。ただあのときの彼女たちは、私の目には本気で君を心配しているようにしか映らなかった」
そうであるなら……。
「それは嬉しく思います。もしかしたら私は──どうすべきかと分からずに悩んでいたのではなく、ただ悲しかっただけなのでしょうか」
涙の理由もそこにありそうに感じてきた。
私の内側に穴が開いたあの感覚は、悲しさだった?
他者が知るはずもないことを問い掛けた私にも、それから一人考え込んでいる私にも、王子殿下は呆れる様子も見せず、ただ微笑みを浮かべて見守ってくれた。
そしてしばらくして、今度は自分の想いを語られる。
「私も王族としての付き合い方しか知らないからね。せっかく相談して貰ったのに、君のためになる助言なんて、そんな素晴らしいことは出来そうにないけれど。たとえばそうだな……私たちがそうであるように、家の方針と個人の気持ちは必ずしも一致しないと思って、彼女たちを眺めてみたらどうだろうか?」
はっとする気付きがあった。
彼女たちが家の方針に沿って動いていた可能性に私が思い至ったように。
私も周囲からは、私が公爵と同じ考えを持ち動いていると認識される可能性もあるということ。
これが彼女たちが私と距離を置いた理由だろうか。
「当主本人でさえ、外向きに発表する家の方針が、本音と相反していることは多々あるのではないかと思っているよ。それを知るには……こうして本人と話して聞き出すしかないのだろうね。私は王族だから、そこまでの仲になれる人はあまりいないのだけれど──」
学院の裏庭を暖かい風が抜けていく。
殿下は急に思い付いたように笑うと言った。
「彼女たちとサロンでケーキを食べたんだって?ここにも同じものを用意出来るけれど、一緒にどうかな?講義を休んで裏庭で食べるケーキって、特別に美味しいと思うんだよねぇ」
私の答えは決まっていた。
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