10.公爵令嬢は止められない
シェーンクルム公爵家が王家の紋章の入った書簡を受け取ってから、私も急ぎ着替えて、公爵と共にお出迎えをすることになった。
まもなく到着の知らせを受けて、玄関を出て庇の下で待つ。
しとしととまだ降り続ける雨のせいで、夕刻ではあるものの、外はもう大分暗くなっていた。
「馬車を見ても平気なのだな?」
もうこの日三度目となる公爵からの同じ問い掛けに、言葉を返さずに頷いたところで、複数の馬の爪音と車輪の音を聴いた。
見れば大きく立派な馬車が、門からゆったりとした速さでこちらに近付いている。
やがて馬車は目のまえで止まり、降りてきたのは、第三王子殿下お一人だった。
すぐに目が合い、見られた表情の変化に、私は少々戸惑う。
王族らしく、当たり前の澄ました顔をして、現れるものだと思っていたのだ。
「元気そうでよかった」
王子殿下が私に掛けた言葉は、それだけだった。
公爵と話があるとのことで、私は部屋に戻って、お見送りのときを待つことになった。
意外に早く話は終わり、見送るためにと呼ばれた私は、王子殿下から再び短く声が掛けられた。
「次は学院で──」
◇◆◇
雨の中、邸を移動するだけの休日は、あっという間に終わりを迎えて。
先日から続いていた雨が嘘のように今朝は晴れていた。
昼休憩に入っても晴れ間は続き、裏庭の花々も、久しぶりの陽光に喜んでいるように思える。
そして私はいつもの木陰で、殿下の淹れたお茶をいただいていた。
今日の紅茶は、香りも柔らかく、味も控えめだけれど、口内にほんのりと優しい甘さの余韻を残すものだった。
「今さら言い訳なんて聞きたくないと思うよ。だけど私の口から正しく私の想いを伝えたいから。少しの間、私の話を聞いて欲しい」
事実を理解した今、王子殿下の仰るように、釈明も謝罪も何も求めてはいなかったけれど、私が王子殿下相手に否と言えるわけもなかった。
私が「はい」と返事をすれば、王子殿下はどこか申し訳なさそうに事情を話しはじめる。
「君が公爵邸に連れられたと知ったのは、あの日訪問する直前だった。大会議の日を狙い、身内が公爵と協力して動いていたことも、昨日ようやく知ったことだ」
「承知しました。けれどどうか、私のことなどはお気になさらずに──」
王家と公爵家で決まったことならば、第三王子殿下が事前にそれを知っていようとも、結果は変わらなかったと思われた。
それにいずれにせよ、これは王子殿下の気にする話ではない。
「私は君を気にしないでは居られないよ」
「ということは、婚約は決定事項でしょうか?」
「そういう話では……いや、その件についても、先に話すべきだね。私の将来の選択肢として、同年齢の令嬢がいるシェーンクルム公爵家に婿入りしてはどうかという話が出ていることは、私もずっと以前から知っていた。君は知らなかったのだね?」
「そうですね。八年王都を不在にしておりましたし、いずれは公爵家から除籍されるものと思っておりましたから」
王子殿下は、神妙に頷いてから言った。
「身内からは、拗れているシェーンクルム公爵家の当主と次代の仲を取り持つようにとも言われていた。それが出来たら婿入りを決定するとも伝えられていたよ」
私はこれに、そうだろうなと思うだけだ。
でなければ、貴族を続けるかも分からない私に、王子殿下が興味を持つはずもない。
「これを今に言っても、言い訳にしか聞こえないだろうけれど。私は公爵家に婿入りしようと考えて動いてはいなかった」
真直ぐに見詰められると、なんだか急に居心地が悪いように感じて、王子殿下のお話の途中なのに、私は先ほど王子殿下が魔法で温められていたテーブルの上のポットに視線を移してしまった。
「どんな子だろうかと興味を持っていたのは本当。グラスデューラー子爵から幼い君の話を色々と聞いていたこともあるけれど。将来結婚する可能性のある相手として、君を知りたいとは思っていた。何年も待って、やっと学院で出会ってみれば、不思議とますます君のことが知りたいと思うようになってね。それからは公爵との仲を取り持つことも、婿入りの話も忘れて、ここでの時間はすべて君を知ることだけを考えていた」
私はまだポットから視線を逸らせないでいた。
「君と過ごすうちにね、私にも欲が出て来た。こちらから知ろうとするだけでなく、私に知って欲しいと望んでくれないかなと思うように私の心は変わっていった。それは私自身がそう願っていたからだったのだろう」
どこかで小鳥が鳴いた。高く細い声だった。
「今日こそは、私のことを聞いてくれないだろうか。なんてね、いつも思っていたよ。そして今日こそは、君の話を聞けるのではないかと、いつも待ち望んでいた。互いに意思を伝え合い、困難があれば共に話し合って解決する、そんな仲になれたらと願いながらね」
その声に呼応するように、別の場所でも小鳥が鳴いた。同じく高く細い声だった。
「今はこれを猛烈に反省しているところだ。そう願うなら、まずは自分から気持ちを伝えるべきだったと。そうしていれば、私に何が出来たか。情けないことに確実なことは何も伝えられない私だけれど、それでも君に先日のような辛い想いをさせずには済ませられたと思っている。だから私が悪かった。身内も公爵も止められず、苦しい想いをさせて申し訳ない」
ここ最近の急激な環境の変化に、私は大分疲れていたのかもしれない。
「ごめんなさい。これは殿下のお言葉を理由にしたものではありませんので、どうか殿下は私のことなどお気になさらずに──」
慌てて目尻を指先で拭ったけれど、次から次へと水分は溢れて来てどうにもならない。
「ここには誰も来ないから安心して。午後の講義も今は気にしないでいい。はい、これを使って」
「お気遣い有難く思いますが、ハンカチは自分の物がありますので」
「もう差し出してしまったから。私を立てると思って、これを使ってよ」
テーブル越しにハンカチを手渡したあと、王子殿下は発言なさらなくなった。
枝葉の隙間から注ぐ陽光のおかげだろうか。
人の声のない自然の音だけが聴こえるこの時間が、私にはとても暖かく感じられて、溢れるものも止まらなかった。
公爵も、叔父も、侯爵領にいる祖父母も伯父夫婦も。
皆が私のことを勝手に決めた。
母もそうだった。
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