侯爵令嬢 ここにあり
アルドワン伯爵家の一人娘クラリスは、初めての自由を噛み締めていた。
十四歳の彼女は、王都の淑女学校に入学したばかり。
これから二年の間、寮生活を送りながら淑女力を高め、学友たちと親交を深め、将来に備えるのである。
『しかも、同じ学年で私より身分が上なのはロジェロ侯爵家のナディーヌ様のみ。
その方さえ抑え込んでしまえば、わたくしの天下ですわ!』
友人からも、ナディーヌが寮に入る予定だと聞いている。
一刻も早く接触してマウントを取らねば!
オーホッホッ……フゥ~とまだ板につかない悪役令嬢笑いを精一杯かます。
今朝、立派な王都屋敷から豪勢な馬車に乗り、寮に到着したクラリス。
彼女を溺愛する両親からは強く引き留められた。
「クラリス、授業が始まるのは明々後日だろう?
それまで、屋敷でゆっくり過ごせばいいじゃないか」
「そうよ、ほら、貴女の好きなスイーツショップのクッキーも買って来させたわ。
今シーズンの限定デザイン缶、七種コンプリートよ。可愛いでしょう?」
もちろん、長蛇の列に並んで缶入りクッキーをゲットしてきたのは使用人たちだ。
しかし、この一見馬鹿々々しい仕事には特別手当が出るので、なかなか競争率が高い。
「ありがとうございます、お父様、お母様。
ですが、わたくしはいつも大事にされ過ぎて、甘え癖がありますから。
少しでも早く、新しい生活に馴染みませんと」
「なんてしっかりした子なんだ! お父様は嬉しいよ。
お小遣いを増やそうね」
「そうですわね。こうなったら、わたしの分の限定デザイン缶も持ってお行きなさい」
「ありがとうございます。
わたくし、こんなにも愛に溢れた両親のもとに生まれて、幸せですわ」
「おお、可愛いクラリス!」
「ああ、素敵なクラリス!」
「旦那様、奥様、本日のご予定も詰まっております。
そろそろ準備をなさいませんと」
アルドワン伯爵家の玄関前で繰り広げられた親子愛情劇場はタイムオーバー。
さすがに付き合いきれなくなった家政婦長と執事長の指示により、馬車は出発し、両親は家の中に収容された。
クラリスは走り始めた馬車の中で溜め息をつく。
『ありがたいけど、ちょっと、重い』
そして、かなりしつこい。
淑女学校は王都屋敷から通うこともできるのだが、あの重い両親から離れるチャンスでもある。
だから、寮暮らしを選んだ。
両親のことは大好きだ。尊敬もしている。
社交に勤しみ、商売に熱心に取り組み、領を潤している。
ただ、彼等の最大の癒しが一人娘の自分なのだ。
大事にしてもらえるのは有難いけれども、クラリスも十四歳になった。
もう、愛玩動物ではいられない。
しっかりとした婿を取り、社交界で存在感を増すためにも、この淑女学校で後れを取るわけには行かない。
せめて、この小さな世界で女王様になれなければ、明るい未来は望めないだろう。
学校敷地内に入り、いざ入寮。
建物の三階部分には、特別室が二部屋設けられている。
一部屋はクラリスが入るし、もう一部屋は前年度未使用。
どう考えても侯爵家令嬢が、その部屋を使うはずだ。
持ち込みの調度や衣類などは、事前に運び込まれているので、クラリスはまず自室をチェックした。
それから、初めての一人で出来るもんシミュレーションを行う。
これまで裕福な家で大事にされてきたクラリスである。
両親にはメイドを余るほどにつけられ(後に執事長によって適正人数に絞られた)、好物ばかりの食事を用意され(後に家政婦長によって健康的なメニューに変更された)、甘やかされ過ぎて見る角度によっては虐待になりかねない程だった。
影の両親とも言える執事長と家政婦長は、自立を志すクラリスに協力し、メイドを使えない寮の生活に備えて、特訓をしてくれた。
忙しい両親の目が離れた隙に、身支度や食器の上げ下げ、風呂の入り方に髪の梳かし方、服の着方に簡単な手入れ方法、等々、今までやったことのないことばかりを習って来た。
幸い、彼女が入るのは高額な特別室なので、浴室の準備やシーツの取り換え、洗濯、部屋の掃除などは寮付きのメイドがしてくれる。
一般室だと、シーツの洗濯は頼めるが自分で決められた部屋に持って行かなければならないだとか、普段の部屋の清掃は自分で行うだとか、初心者には難しい面倒がいろいろ増えるのだ。
家政婦長は影の母親として、クラリスに生活のやり方を叩きこんだ上に、女性使用人のネットワークをフルに使い、直接寮監に会って、万一面倒をかけてもどうかよろしくと頭を下げた。
寮監も、働く女性の大先輩の態度に感銘を受け、お任せくださいと請け負ってくれたのである。
とはいえ、やはり甘やかされまくったご令嬢。
途中で音を上げるのでは、と大人たちには思われていた。
クラリスは自室のチェックを済ませると、廊下に出て隣室のドアを叩いてみた。
しかし、返事はない。
「ちょっと早く来過ぎたかしら?」
仕方なく部屋に戻ろうとすると、廊下を歩いてくる少女がいる。
侯爵家令嬢かと思ったが、それにしては服装が地味、いやはっきり言って粗末だ。
「ごきげんよう」
通りすがりに挨拶された。
「ごきげんよう」
思わず挨拶を返したクラリス。
相手の緊張のない様子に、もしかしてと声をかける。
「あの、先輩、ですか?」
淑女学校は二年制。
寮には先輩生徒もいるのだ。
「いえ、新入生です」
「そうですか、わたくしもです」
「まあ、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
まだ話題も無いので、そのまま分かれていく二人。
階段方向から歩いて来た少女は、そのまま廊下を進み、一番端まで行くと特別室とは比べられない、まるで物置のようなシンプルなドアを開けて中へと入っていく。
クラリスはその様子に興味を持ち、ついつい自分も歩いて行って、そのドアを開けてみた。
すると、中には上に続く狭い階段がある。
「屋根裏部屋?」
確かめるために階段を上ってみることにする。
上り切ると、そこはやはり屋根裏部屋。
掃除はされて埃っぽくもないが、建材が丸見えで武骨な場所だ。
室内にはベッドと机替わりらしい木箱があり、他にはガラクタが隅に集められているだけ。
さっきの少女は粗末なワンピースを脱いでいるところで、すぐにシュミーズ一枚になった。
「あ……」
「え?」
振り向いた少女と目が合い、気まずいクラリス。
「ご、ごめんなさい! 三階の部屋のドアではなさそうだったから、どこに続いているのかと思って。
貴女のお部屋だったのね。勝手に入って本当にごめんなさい」
「気にしないで。わたし、居候みたいなものだから」
「居候?」
「実は、実家が学費しか出してくれなくて、寮費が払えないの。
でも、家から通うには遠すぎるし、学校に直談判したら、ここをタダで使わせてもらえることになって。
食事も、空いた時間にメイド仕事を手伝えば出してくれるって」
「え? 学費しか出さない?」
「うちね、先妻の娘はわたしだけで、母が亡くなった後に来た後妻が跡取り息子を産んでるのよね。
わたし、ちょっと勉強が出来るものだから警戒されちゃって。
お定まりのドアマット展開でここまで来たんだけど、そろそろ自立の頃合いだと思って寮に飛び込んだの」
「お金が足りないの、わかっていたのに?」
「家から通うとして、馬車も出ないのよ。
しかも、家に居る時間はきっとこき使われるし、疲れてそのうち学校に行く気力も奪われる。
『勿体ないけど学費ぐらいは出さなくちゃ、まるで虐待しているようですものね』って後妻が笑ってたから決心がついたわ。
言質は取れてたから、その場に同席していた執事を脅して二年分の学費をぶんどって家を出て来たの。
卒業すれば成人年齢だから、こっちから縁を切るつもりよ」
ちなみに、メイドさながらにこき使われている中で、執事の弱みもしっかり握っておいたのだとか。
「す、すごい」
クラリスは驚いた。
激甘な両親から離れるために、自分も相当に苦労したと思っていたが、そんなものとは比べものにならない。
目の前の少女は、自分で考え、自分で判断し、自分の根性で居場所を勝ち取ったのだ。
両親の意向には逆らったものの、親のように愛情を注いでくれる家政婦長や執事長頼りの自分とはなんという違い。
『負けた』
侯爵家令嬢を抑えれば向かうところ敵なし、なんて思ってた甘ちゃんな自分が恥ずかしい。
「……ところで、真昼間なのに、どうして下着姿になったの?」
「食事までは算段できたけど、ドレスの替えが無いの。
なるべく大事に着ないといけないから。
あ、見苦しくてごめんなさいね」
「いいえ、気にしなくていいわ。
それより、もし嫌でなければ、わたくしのドレスを譲りたいのだけど」
「え? 本当?」
「ええ、うちの親、ちょっと愛が重くて、いろいろ買い与えてくれ過ぎるの。
クローゼットがいつも溢れてるくらいだから」
「助かるわ。でも施しは受けない!」
「施し……そういうつもりじゃ」
「ああ、もちろん喜んで頂くけど、対価に働かせて?
ドレスの価値分、役に立つかはわからないけど、何でも用事を言いつけてくれていいから」
気を悪くさせたかと思ったけれど違っていた。
対等に付き合わなくてはいけないということなのだ。
「じゃあ、寮監先生のお手隙の時間を聞いて来てもらえる?
ちょっと、教えてもらいたいことがあるから」
「わかった、すぐ行ってくるね!」
少女は服を着直すと、階段を駆け下りていく。
「あ、名前聞くの忘れていたわ」
三階へ続く階段を下りながら、クラリスはそんなことを思っていた。
丁度、二階に居たという寮監は直ぐにやってきて、廊下で話すことになった。
「クラリスさん、教えて欲しいこととは何でしょうか?」
「隣の特別室がまだ空いたままですけど、ロジェロ侯爵令嬢は、いつ入られるのですか?」
寮監は怪訝な顔をした。
「ロジェロ侯爵令嬢は、特別室には入られません」
「では、一般室に?」
「いえ、それも違います」
「どういうことでしょう?
ナディーヌ様が寮に入る予定だと、友人から聞いたのですけれど」
「確かに、すでに寮には入っていますね」
クラリスも寮監も話がかみ合わず、怪訝な顔を見合わせる。
「あの~」
そこへ、屋根裏部屋の少女が口を挟んだ。
「お探しのロジェロ侯爵家令嬢ナディーヌって、わたしのことですけど?」
「えっ?」
寮監を見れば、そうですよ、と言わんばかりに頷いている。
そういえば、ロジェロ侯爵家も後妻を迎えていたはず。確かに後妻が嫡男を産んでいる。
そして、前妻の娘である侯爵家令嬢は、お茶会で見かけたことはない。
それは、もしかして令嬢としてきちんと遇されていなかったから?
どうやら、情報収集が穴だらけだったようだ。
自分の思い込みで、いい加減な侯爵令嬢像を捏造していたらしい。
つまり、ナディーヌはそんな立派な家柄に生まれながら愛されず、自力で自立への道を勝ち取ったのだ。
すごい。凄すぎる。絶対勝てない。
むしろ、師と仰ぎたい。
「わたくし、お金を出しますから……」
だから、彼女の部屋と食事を……と言いかけてクラリスは自分の間違いに気付いた。
違う、彼女はそんなこと望まない。
「寮監先生、ナディーヌ様は苦学生なのですね。
学業の合間のメイド仕事で食事を得ると伺いました。
でしたら、彼女をわたくしの専属メイドにしていただけませんか?」
「専属メイドですか?」
「ええ。わたくし甘ったれで、まだまだ一人でいろいろ出来ますと自信を持って言えません。
彼女にはメイドと言うか……わたくしがここで一人前に暮らせるように、お手本を示して欲しいと思いますの」
「そういうことでしたら、許可できそうですね。
でも、彼女と、そして貴女の学業に差し支えるようでは困りますよ」
「もちろんですわ」
寮監はナディーヌを振り返る。
「ナディーヌさんも、それでよろしいですか?」
「ええ、もちろん。
わたし、家で碌な扱いを受けて来なかったと自負していましたけど、それが役立つなんて!
経験は何でもしておくものですね」
明るくあっけらかんとした侯爵家令嬢の様子に、寮監は呆れながらもどこかホッとした顔をする。
「……ご本人が納得されているなら、私から申し上げることはございませんね。
では、後はお二人でよしなにどうぞ」
「ありがとうございました」
「さて、ではクラリス様、何からお教えすれば?」
「とりあえず、お茶を淹れていただけますか?
なんだかちょっと疲れてしまって」
「お引越しされたばかりですものね。
茶器と茶葉はどちらに?」
「確か、このあたりに……」
それから二人は限定缶のクッキーで、初めてのお茶会を楽しんだ。
「おいっし~! こんなの初めて食べたわ!」
「人気のあるお店で、クッキーも美味しいのだけど、この限定缶が争奪戦で……」
十四歳の少女たちは、他愛ない話ですぐに打ち解ける。
こうして出会った二人は対照的であった。
ナディーヌは座学的な勉強が得意なのに対して、クラリスはマナーやダンス、社交術などが得意だ。
お互いに得意を教え合いながら、どんどん成長していった。
すっかり仲良くなった二人は、時には屋根裏部屋の天窓から星を見ながら眠ることもあった。
そして、長期休みには、侯爵家からの連絡を無視して、一緒に伯爵領で遊びまくったのだ。
二年後、二人は無事に淑女学校を卒業。
ナディーヌは即刻、実家と縁を切った。
それを待っていたクラリスは、思い切って切り出してみた。
「ねえ、ナディーヌ、わたくしの侍女になってくれない?」
「そうねえ、お給料次第かしら?」
「精一杯、父に働きかけてみるわ」
「期待してる!」
領地に遊びに行った時から、もう一人の娘が出来たように可愛がってくれたアルドワン伯爵夫妻は、笑顔でナディーヌを受け入れた。
使用人として、執事長と家政婦長からの仕込みは厳しかったけれど、それも愛ある厳しさだ。
そして、クラリスが次期伯爵となる婿を迎える頃には、ナディーヌも使用人仲間の若い執事と婚姻し、夫婦で末永く伯爵家を支えたのである。