07
十月になった。
ハロウィンやお月見なんかで盛り上がる文化も秦家ではないため、今月はなにもないことになる。
「あさー」
「いまは昼だけどね」
なんなら姉作のお弁当を食べて楽しんでいるところだ。
こうして一緒に過ごせてしまっていることがいいことなのかどうかはわからない、教室では依然として他の友達がゆみを優先するからなにも変わらない。
「これは魚のキスだけどさ、あっちのキスってどんな感じなんだろうね?」
「それよりキスってどんな味なの? 私、食べたことがないからわからないんだけど」
「え、一度ぐらいはあるでしょ?」
「ないわ、結構そういうのは多いわよ」
自分が店にいって魚を買うなら鮭か鯵か鯖だ、あ、もう焼くだけでいい物しか買わない。
「食べてみる? もうちょっと食べちゃったけどあさがいいならいいよ?」
「んー苦手な味だったら微妙だし……」
「あーん」
「は? ……まあじゃあちょっとだけなら――うん、普通に美味しいわね」
でも、やっぱり鯵とかでいい気がする……というのは単に慣れの問題だろうか?
はぁ、とにかく馬鹿な質問からは逃れられてよかった、キスってどんな感じなのかなどと聞かれても困るのだ。
そういうのは経験豊富そうな人間に聞けばいい、相手も陽キャなら嬉々として教えてくれることだろう。
「ごちそうさま、少し歩いてくるわ」
「あ、待って」
「待てって言われたら待つわよ、そんなに悲しそうな顔をしなくてもね」
片付け終わったら彼女を連れて教室を出た。
もう何回も繰り返して変化なんてまるでないのに昼食後はこれをしなければ落ち着かない。
「ねえあさ、手を握ってもいい?」
「なんで? 私はまだあんたがゆみに興味を持っていると思っているけどね」
髪の件でしつこく言われた際に全て吐いた形になる、
「またそれなの……?」
解決どころかこんな感じで止まったままだけど。
「またそれって、捨てようとしたところで謎の一時間や名前呼びをし始めたらそう思うに決まっているじゃない」
「……別に変なことをしていたわけじゃないけど」
「別に悪いこととは言っていないからね、ゆみと仲良くしなさい」
いちいち言わないと前に進まないなんて大変すぎる、ただ、頑張ってくれるなら私のためにもなるから続けるつもりでいた。
私はなんとも言えないところからそれを見られればいい、中途半端な状態から脱してくれれば目の前でいちゃいちゃしてくれたっていいのだ。
「やだっ」
「がっ!? ……は大袈裟だけど、タックルしてくるのはやめなさいよ……」
回数を重ねる毎に衝撃が強くなってきていてそろそろ廊下に倒れそうだ。
そうしたらこの奇麗なのかどうかもわからない廊下にキスをすることになる、流石に埃の味を知りたくないから普通に止めてきてもらいたいものだった。
「だってあさが勝手に勘違いしているんだもん」
「あんたなんか喋り方が変わったわよねー」
「あさっ」
「はいはいはい、普通に聞こえているからいちいち声量を上げない」
はぁ、鼓膜も体も傷ついてばかりだ、
「いい……?」
「は?」
私の頬を掴んでどうするのか。
「……あさを好きになってもいい?」
「あんたはもう好きじゃない、私が早く出ても対応してくるわよね」
あれ、地味に悔しかったりもする、だから九月のときに無駄に抵抗をして彼女が怒ってきたこともあった。
だけど誰よりもってわけではないけど早起きをしてあの早朝のいい空気を独り占めしたいという考えがあるのだ、だというのに緩い笑みを浮かべてとことこ付いてこられたらねえ?
「そういうのつまらない」
「おお、遠慮をしなくなったのはいいことね」
「あとさっきの話、まだ終わっていないからね」
ちっ、またここに戻ってくるのか。
そのために教室から出てきたわけではないものの、これではまるで意味がない。
「残念だけど私は未経験よ」
「私もそうだよ」
「で? 未経験同士で集まったってなにも始まらないじゃない」
くっついていたって先月とは違ってちょっと落ち着くだけだ。
ゆっくりしている間にあっという間に秋がきて冬になる、物足りなく感じていても関係ないもんなぁ。
「……ゆみって経験済み?」
「さあ?」
それよりまだ続けるつもりか、だからそんなに恋愛話的なことがしたいなら他にいけって話なのに。
「ねえあさ、いまは食後だからあれだけど歯を磨いた後だったらさ」
「遊びでするようなことじゃないでしょ」
「……私的には違うけど」
「どうだか、それより離れて」
今回はちゃんと言うことを聞いてくれて助かった、ただ、見えていないけど頬には掴まれた跡が残っていると思うとテンションが下がる。
「くっついてもいい?」
「だからゆみに――はぁ、あんた無理やりやるのはチートでしょ」
「だって口を開けばゆみのことばかりだから」
「少し前のあんたが正にそうだったんだけどね」
えらく自由にやってくれるものだ。
負けるわけにはいかないからそういうことで頑張らなければならなかった。
「テストかぁ、勉強よりもあさと遊んでいたいなぁ」
「急すぎて気持ちが悪い」
そもそも私は学校でやるタイプではないから荷物を持って学校をあとにする。
どうして隣同士になってしまったのか、神を信じていないけどなにをしてくれているのかと文句を言いたくなる件だった。
家にいたい気分でもないから公園でやっていくことにした、いやほら、テスト勉強からは逃げられないから向き合うなら早めにそうした方がいいのだ。
「んーそろそろ寒くなっちゃうからいまの内に外でゆっくりするのもいいよね、春と秋だけだよこんなことができるのは」
「冬でもできるでしょ……じゃなくて、なんで付いてくるのよ」
「私、冬は鼻水とかで酷くなるから」
スルーか! 私もいちいち引っかからずに誰かといられるようになりたい。
「なら鼻水を垂らしながら話せばいいじゃない」
人間だから鼻水ぐらいは出る、なんなら冬関係なく熱い汁を飲んだりしたら鼻水は出るのだ。
「え、あさが付き合ってくれるの?」
「まあ、急すぎて気持ちが悪い点以外は私、あんたのことを気に入っているからね」
「急じゃないよ」
「いやいや、そこは気に入っているという点に触れるべき――いや私に直接触れてどうするのよ」
磁石ではないのだから離れてほしい、それと勉強がやりづらいから最低限の距離を保ってほしい。
「こうしていればあさが勘違いするようなことにはならないから」
「自分に気があるって捉えたらどうするの?」
「え、それなら好都合だけど」
馬鹿言っていないで早くやろう。
「冗談よ、一時間ぐらいやって帰りましょ」
「うん、真面目にやらないと困るのは自分だからな」
今回はちゃんと最後までやり切ることができた。
隣で一緒に学んでいるこの子だけど、授業中なんかとは違ってチラチラ見てくることもなかったから落ち着くいい時間だった。
一時間の間、全く若い子が通ったりしなかったことの方が気になったことかもしれない。
「じゃ、今日もありがとね、また明日――ぶぇ」
今更な情報なものの、彼女の方が背が高いから力負けするのは当たり前のことだった。
だから本気でこられると普通に怖い、そういうモードになっているときなら尚更のことだ。
絶対にないとはわかっていても友達が全員、他の高校にいったのはこういうところが影響しているのではないかと考えてしまう。
「ご飯を多く作りすぎちゃったから食べてほしい」
「あんたちゃんと量を調節しなさいよ」
「というのは嘘で、一緒に作って一緒に食べたいんだ」
「だったらお姉ちゃんにも、わかったわよ、だからその手を下ろせ」
それでもお世話になっていることもあって姉がちゃんと帰宅するまではあそこで待たせてもらうことにした。
逆効果だったのかわんわん実際に泣き始めて困ったものの、連絡だけで済ますよりはよかった……のかはわからなくなった。
あと、二人きりになるとすぐにモードが変わるから困る、あの一時間で変わってしまったのは彼女の方だ。
「あのさ、あの一時間はなにをしていたわけ?」
ご飯も食べてお風呂にも入った後にまだ余裕があったから聞いてみた。
これまでの彼女なら答えない、でも、昨日とか今日の彼女ならわからない。
「作戦会議だったんだよね、私は三十分ぐらいが経過したときに戻らなきゃって言ったんだけどゆみが意外にも止めてきて」
「あの子、中途半端なの嫌いだからね」
そわそわしていたからトイレにいってこいと言ったのにトイレでもそわそわしていたとは……って、信じてしまっていいのだろうか。
ここで簡単に信じて動いたらそれこそ恥ずかしい人間になる、一度回避できたのにこのままではよくないような……。
「でね、名前呼びの件もゆみが言い出したことなんだ、それであさが少しでも気にしてくれれば勝ちだって」
「勝ちどころか普通に勘違いできるような内容だったけどね」
「で、でもさ、少しは効果があったということでしょ? 髪の毛を切るまでとは思わなかったけど」
「だから髪の毛は別よ? あのときはやる気が出なくてね、大好きなお姉ちゃんのご飯だって食べていなかったんだから」
一気に入れたせいでお腹が痛くなったし、少し太ったから本当に後悔している。
人間関係ならともかくこういう失敗を繰り返したりはしない、いまは運動もして体重も戻ったからいい気分だ。
「夏バテ……?」
「いや、今年は寧ろ気にならないぐらいなのよ、いつもならもっと早いタイミングで髪の毛を切っていたわよ」
「変わったこと……あ、一度離れたことがいい方に傾いたとか? うのさんといられる嬉しさに気づけたとか」
離れなくても姉といられる嬉しさというのはいつも同じだけどね。
「お姉ちゃんから告白をされたからかしら」
「え!? それは初耳……」
「ペラペラ話すわけがないでしょ」
受け入れたならともかく受け入れなかったのだから。
だからこれが自然だった。
「おーいおい? どこに連れていくつもり?」
あとこの子の手は夏でも冷たければ秋ならもっと冷たい、一瞬、亡くなった人の体温はこんな感じなのかと考えてすぐに捨てた。
「私の家よ、学校だともかが可哀想だから」
「いや、家でこそこそしている方が悲しむんじゃない?」
「む、それもそうね、でも、私もあさといたいから」
それならもっと来なさいよと言いたいところだけど、この場合は自分からいかない自分が悪いのかと片付けた。
でもなぁ、他の友達と盛り上がっていることが多いからなぁ、豆腐メンタルの私がいくと声をかけられた瞬間に後でいいかとなりかねない。
だからゆみの方から来てくれる過去はよかったのだ。
「余計なことを言ったって本当?」
「ええ、名前呼びの件とかも私が言ったの」
「はぁ、あんたは余計なアドバイスをしていないで来なさいよ、中野に興味があるならいってあげなさいよ」
それで私を安心させなさいよ、なんてね。
「それよりうのさんに告白をされたって本当?」
「うん」
「はぁ、悲しいわ」
「いやだから……って、これはありなの?」
こんなにぴったりくっついて、距離感では中野にだって負けないぐらいだった。
まあ、昔から一緒にいてゆみがこうしてくる方がまだ自然ではあるけどね、これは流石に中野のための作戦ではないだろうし。
「……まだお付き合いをしているわけではないでしょう?」
「あんた冷たい、くっついたときぐらい温かくなりなさいよ」
「意識して変えられるわけじゃないから」
「頬も、ん? なんだ、頬なら変わるじゃない」
の割には頬に触れたら温かくなってきた。
これだけで当たり前だけど生きているとわかる、ゆみが生きてくれていることが嬉しい。
「い、意地悪ね……」
「え、なにその反応、適当に私といたいって言っていたわけじゃないの?」
意外だ、少なくとも前までの彼女なら笑みを浮かべて私になにも言わせないようにしていたところなのにこれだ。
「……違うわよ、そもそももかに譲ることだって……いや、なんでもないわ」
「はは、あんたはっきりしなさいよ」
なんだよなんだよ、面白いじゃん、少なくとも中野が不自然な感じでアタックしてきているよりも自然だ。
別に反応を見て遊びたいとかそういうのではない、でも、はっきりさせておく必要がある。
だって気持ちを伝えられないのは辛いでしょ?
「だ、駄目よっ」
「え、なにそのドロドロの恋愛ドラマみたいな反応……」
「も、もかに悪いからもうやめておくわ、さ、テスト勉強をしましょう」
ま、そうだな、そこからは逃げられない。
だけどここで勉強を選ぶと二度と吐かないまま終わる、なんてことになりかねないから数十秒は悩んだ。
しかし、すっかり真面目モードになってしまっているからこちらもやるしかなかった。