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スワン  作者: 友式ユウ
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 その日が最後だった。

 それ以来、朗雄と小夜子が会うことは二度となかった。

 月日は流れた。

 あらかじめ決められた道筋を辿るように、時間は黙って通り過ぎていった。

 季節は列をなして繰り返し、見計らったように入れ替わっていった。

 いつしか四年の歳月が過ぎた。


 その日、朗雄は法事のために実家に帰っていた。礼服に着替えを済ませた朗雄は暇を持て余し、換気扇のそばで煙草をくゆらせていた。早朝に家を出たため、気を抜くと欠伸が出る。

 リビングからはバタバタと足音と奇声が聞こえていた。朗雄にとっては姪にあたる日向(ひなた)だ。

 七回忌を迎える祖父が亡くなった時、「死」を前にしてただきょとんとしていた赤ん坊がそれだった。その子がもう小学生になっていた。朗雄はその重さを実感し――法事の空気も手伝ってか――妙に感慨深い気持ちになった。

 時計の秒針を目で追いながら、今離れようとしているものに思いを寄せた。そうしながらも、もうすぐ訪れようとしているものの到着を待った。

 予定の時刻より少し遅れてインターホンのチャイムが鳴った。朗雄は灰皿に煙草を圧しつけた。


 近隣の寺の住職を迎えるとともに法要は行われた。七回忌ということもあり、それは身内だけのしめやかなものだった。

 祖父母の仏壇を前に読経は上げられ、それぞれに故人を偲んだ。

 風のない朝に清々しい空気が窓の隙間から運ばれていた。日はガラス越しに差し込んで、座敷上はほどよい温もりを発していた。

 日向は落ち着かない様子で、ずっとそわそわしていた。身内だけなので余り注意もされないが、子供なりに敏感に空気を察していた。足を崩して退屈に耐えている。

 やがて焼香台が各自の元を回っていく。

 周りの教えを受けながら、日向も見様見まねで香をくべる。そして念じるように合掌した。

 日向は故人を覚えていない。それでも熱心に拝むので、朗雄はその姿に目を奪われた。それは小夜子が朗雄に見せた、純粋な祈りであった。


『ああ……彼女ならだいぶ前にクビになったわよ』

 その返答に朗雄の頭は真っ白になった。朗雄の反応をうかがう様子もなく、店員はひそひそと話を続けた。

『彼女……レジの金を盗んでたんだって。いくらだと思う?』

『……いや』

『三十万よ。三十万。可愛い顔してやることえげつないわ』

 店員は得意げな顔をした。

 かつて朗雄が小夜子と再会した場所には、もう彼女の居場所はなくなっていた。


 朗雄は小夜子からのメールを思い出した。

 離婚したこと。環境が変化したこと。とにかく辛いこと。聞いてほしいことが沢山あること。

 最後のメールだけ長文だった。話に筋はなく、収まり切らないくらい内容は詰め込まれていた。そして終始明るい文体で飾られていた。

 朗雄はそのメールすらも消去した。

 朗雄は振り返った。

 過去の自分の選択を見つめなおした。小夜子の運命について考えた。この手に抱いた赤ん坊の、眩しい寝顔の行方を想像した。

 しかし、答えは見つけられなかった。


 会食が終わり、朗雄はネクタイを外した。そこへ日向が遊んでくれとばかりに飛びついてきた。

 空には雲一つなかった。

 ブランコを漕ぎながら、日向が「みて」と上空を指差した。青空の向こうに白んだ円形が霞んでいた。

「あれなに?」と日向は目を輝かせて訊いた。

「何って……月じゃないか」と朗雄は小さな背中を押しながら答えた。そして「日中は明るいから見えにく」と付け足した。

「へえー」、日向は感嘆の声を上げた。そして「あそこでヨルをまってるんだね」と感激した。

 幼い好奇心は留まるところを知らない。

「ツキのうらはどうなってるの?」、日向は声を張り上げている。

「俺も知りたいよ」、朗雄も声を強め、背中を押す手に力が入った。

「なんで?」

 日向がブランコから飛び降りた。

「月は正面しか見せてくれないんだよ」、朗雄は無人のそれをキャッチした。

 振り返った日向が、得意げに着地点をアピールしている。

「おお、飛んだなあ」、朗雄はその新記録を称賛した。

「もっかーい」、日向は喜び勇んですぐにブランコに駆け戻った。

 二時間もまったく同じことを繰り返して、朗雄はもう逃げ出したい気持ちだった。日向は夢中で自分をきらめかせ――たとえ観衆がたった一人であろうとも――それを披露し続けていた。

「次のジャンプがラストだ」と朗雄は条件を突きつける。

 飲まされた要求はアイスキャンディーだった。


 ブランコの起動が徐々に大きくなっていく。

 木陰のベンチには散歩中の老夫婦が、いつの間にかそれを穏やかに見守っていた。近所の野良猫は遊具の特等席を陣取って、気持ち良さそうにひなたぼっこしていた。

 のどかな午後だった。

「なあ日向」

「なに?」

「さっき仏さんにお祈りしてたろ?」

「うん」

「何をお願いしたんだ?」

「おヒメさまになりたい」

「日向らしいな」

「ぜったいなるの」

「届くといいな」

「うん」

 ブランコは綺麗な弧を描き、日向は大きく飛び立った。




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― 新着の感想 ―
[一言] 淡々と過ぎていった。そんな印象を受けました。 緋芽ちゃん、元気でいてほしいな。
2024/06/01 08:37 退会済み
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