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第6話 初秋の熱病

 クリスティが私塾に通うようになって、マルークも出掛けることができるようになった場所があった。


 あの、奴隷商の店だ。


 マルークはもう二度と、彼女をあの場所へ連れて行く気はなかった。これまでいつも、クリスティと一緒にいたマルークにとっては、あの店のある方へと、足を向けることさえ、厭うべきことだった。

 だが、彼にはあの奴隷商に訊かねばならない事があった。


 クリスティのことだ。


 あのときは、彼女を引き取ることに必死で、ワンドと交換に彼女の手を引き、逃げるように店を後にした。


 だが、将来のことを考えれば、彼女の出自について、少しでも手掛かりを得ておく必要があると思ったのだ。



 ある日の昼前、マルークはまた、あの繁華街の外れにある店を訪れた。


 彼には、あの夜の事が、夢の中の出来事のようにも思え、本当にあの店が存在するのか、不安でさえあったのだが、訪れた場末の脇道で、その店は呆気なく見つかった。


(こんな時間に、営業してはいないか?)


 マルークは、そう思いながら、あの夜見たものと同じであろう、鋼鉄製にも見える重そうな扉に手を掛け、押してみた。


 扉は、彼の想像していたのとは異なり、すんなりと動き、彼は薄暗い店の中へと導かれた。


「いらっしゃいませ」


 あの夜と同じ店主が、マルークにそう声を掛けてきた。



「以前、こちらから、女の子を引き取った者だが」


 マルークがそう告げると、店主は彼の顔を少しだけ、覗き込むようにしたが、すぐに思い出したようで、


「ああ。あなたでしたか。あの夜とは雰囲気が随分と違いますな。で、今日はどんなご用で? あれがお気に召さなかったのなら、買い取りは致しますよ。あのワンドは、お返し出来かねますがね」


 マルークに向かって、そんなことを言ってきた。

 だが、それで奴隷商は思い出したように、


「そう言えば、あなたは何者なのです。あの後、しばらくして、あのワンドを売った先から、入手先であるあなたのことを根掘り葉掘り聞かれましたよ。こんなことは滅多にないんですがね」


「私はただの魔法使いだが」


 マルークの答えに、奴隷商は疑わしいといった顔をした。


「まあ、いいでしょう。こういった商売ですから、お客様のことを詮索していてはキリがないですから。で、やはり買い取りですか。何かまずいことでも起きましたかね?」


「いや、そんなことではない」


 即座に否定するマルークに、奴隷商は、怪訝な顔を向け、


「では、何のご用でしょう?」


 そう尋ねてきた。


「彼女の身の上を教えてほしい。どうして、こんな所にいたんだ」


 彼の言葉に、奴隷商は、そんなことかといった様子で、


「こんなところとは……、まあ、こんなところですがね」


 そう言って、マルークに少し待つように言うと、ぶつぶつと何か言いながらも、帳面をめくり、確認していたが、


「彼女は北のタルヤーン地方の出身ですね。あの地方は、貧しい土地ですから、口減らしで売られたのでしょうな」


 マルークの瞼の裏に、クリスティを引き取った時の、痩せ細った彼女の姿が思い出された。


 そして、タルヤーン地方という言葉に、マルークは聞き覚えがあった。

 いや、そこは彼にとって、忘れたくても忘れることの出来ない事が起きた場所だったからだ。


「あの地方は、魔族どもの侵攻がもっとも激しかったですからな。魔王が滅ぼされた後も、その後遺症が長く続き、酷い有り様で。あの頃も飢饉と言っていい状況に陥っていたんでしょう」


 店主の説明を片耳で聞きながら、マルークは、自分を含む英雄と呼ばれる者たちが、魔王の討伐に手間取ったことが、如何に多くの人々に被害を及ぼしたか、改めて彼女を通じて、教えられた気がした。


 しかも、血気に逸る仲間たちを、常に冷静に押しとどめ、無謀な突撃を回避し続けたのは、魔法使いであった彼なのだ。


(そうして、慎重に事を運んでさえ、命を失う者が出た。あの時の私の判断は間違っていない)


 頭では今でも、そう考えている。だが、その判断がクリスティを不幸にしたと思うと、心が乱れるのだった。




 朝夕に少しずつひんやりとした空気を感じるようになり、秋も深まってきたある朝、マルークはいつものように朝食を用意して、クリスティを起こした。


「さあ、そろそろ塾へ行く用意をしようね」


 クリスティの髪を梳かし、服を着替えさせると、いつもはすっきりと目を覚まし、世話を掛けない彼女が、珍しくぼうっとしていることに、マルークは気がついた。


「クリスティ。あまりよく眠れなかったのかな?」


 マルークの問い掛けに、彼女は首を振るが、その頬がいつもより赤みを帯びていることに彼は気がついた。


「クリスティ。まさか……」


 彼女の額に手を当ててみると、明らかに熱かった。


「寒いのか? クリスティ?」


 頷いた彼女を、再び寝間着に着替えさせ、ベッドで横にさせたが、彼はすっかり気が動転していた。


 クリスティの熱は、かなり高いように感じられたからだ。


「こんなとき、魔法使いは無力だ」


 思わず、マルークの口から独り言が漏れる。

 彼の作る魔法薬も、傷やその痛みに効果を及ぼすもので、病には効かないものだった。


(そうか、病に効果のある魔法か……)


 人を癒す神聖魔法。それに気がつくと、マルークはもう、居ても立っても居られなくなり、クリスティを背負うと、家を出て、駆け出した。


 行き先は、魔王を倒してからこれまで、五年以上も彼が足を向けなかった場所のひとつ、王都の東の外れにある、聖ポラストゥル教会だった。



 教会に着いたマルークは、聖堂の入り口にいた修道女をつかまえると、慌てて話しかけた。


「ナタリア司祭にお会いしたい。魔法使いのマルークが訪ねて来たと伝えてほしい」


 修道女に、聖堂の中で待つように言われ、クリスティを長椅子で横にさせて待っていると、程なく、司祭服に身を包んだ女性が、聖堂の奥から姿を現した。


「マルーク。本当にあなたなのですね。誰かがあなたの名を騙ったのかと疑いました。突然、どうしたのです」


「ナタリア司祭。いや、大聖女ナタリア。私の娘を助けてほしい」


 マルークがそう言って立ち上がると、ナタリアは、クリスティに気づいた。


「その女の子が、あなたの娘だと、あなたはそう言うのですか?」


 不審そうにクリスティを見るナタリアに、マルークは必死の様子を見せて、頼み込む。


「そうだ。私の娘のクリスティだ。今朝から熱を出して、ぐったりしている。ナタリア、お願いだ。クリスティを救ってくれ」


 マルークの形相に押されたのか、司祭は、彼女の前に立つと、彼女の額に手を当て、熱の具合を確かめて、すぐに呪文を唱え始めた。


「慈悲深き御方よ。あなたの僕に、癒しの力を分け与え賜え……」


 温かい色の光が、ナタリアの手に生まれる。

 その光が、クリスティの身体に吸い込まれるようにして消えていくと、彼女の様子が、目に見えて楽そうになった。


「クリスティ。大丈夫か?」


 マルークが尋ねると、彼女はうっすらと眼を開いて、小さく頷いた。


 安堵の息を吐くマルークと、彼を見詰めるクリスティの姿に、ナタリアはだが、少し厳しくも見える目を向けていた。


「ナタリア。ありがとう」


 マルークのお礼の言葉にも、ナタリアは戸惑ったように見える。


「マルーク。今は彼女をベッドで休ませてあげて。癒しの魔法は、万能ではありません。病を完全に治すには、休養と温かい食事が一番ですから」


 それだけを伝えられたマルークは、もう一度、司祭に向かって頭を下げると、クリスティを背負って、教会を去ろうとした。


「マルーク。彼女が治ったら、また、おいでください。約束ですよ」


 ナタリアの言葉に頷いて、マルークは家への道を急いだのだった。



 それから三日間、マルークは献身的にクリスティを看護した。

 ナタリアの魔法で、かなり容体は改善されたようだったが、彼女の言ったとおり、それで完治という訳には行かなかった。


 彼がクリスティのベッドの横で過ごした三回目の夜も明けてきた頃、目を覚ました彼女が、マルークに気づき、笑顔を見せてくれた。


「もう痛いところもないし、大丈夫」


「そうか。クリスティ、良かった」

 彼女の言葉に、マルークも笑顔で返した。


「あの、ずっと一緒にいてくれて、嬉しかった」


 そう言ってくれるクリスティに、マルークはすべてが報われた気がしていた。


「クリスティ。本当に良かった。お腹は空いていないかな?」


 彼女は元々、食が細いし、特にここ数日は、あまり食べなかったから、脱水症状になるのではと、マルークは心配だったのだ。


「ええと。少しだけ、食べたいです」


 ちょっと恥ずかしそうな様子で、そう言った彼女に、マルークは安心して、嬉しくなった。


「じゃあ、すぐに食べ物を用意するから、一緒にいただこう」


 彼はいそいそと、キッチンへと足を運ぶと、二人分の温かい食事の用意を始めたのだった。

 クリスティと暮らすようになる前は、食事の用意など、本当に面倒だったのに、今は、彼女が自分の作ったものを食べてくれるのが、嬉しかった。



 クリスティの体調が良くなり、私塾にも欠席を詫びに出かけた足で、マルークはクリスティを連れ、再び聖ポラストゥル教会を訪れた。


 立派な聖堂をクリスティは興味深そうに眺め、マルークはこれまで彼女を教会に連れて来なかったことを後悔した。


 多くの家では、週に一度は教会を訪れて神に祈りを捧げ、心の平穏と安らぎを求めるものだ。

 だが、彼は自分のこれまでの人生に、神の悪意を感じるくらいだったから、とても教会を訪れる気にはならなかったのだ。


 それでもやはり、いざとなると、マルークも教会に、いや、大聖女と呼ばれるナタリアに頼ってしまうのだ。

 彼の記憶にある前世とは異なり、この世界では、神は神官などの信仰心の篤い者たちを通じて、癒しや、場合によっては蘇生などの奇跡の力を、神聖魔法として、しばしば人々に見せてくれる存在だったからだ。


 聖堂に入り、ナタリア司祭への面会を依頼すると、今回もその場で待つように言われ、また、しばらくすると、彼女が姿を見せた。


「司祭様、ありがとうございました」


 クリスティは、彼女に向かって、丁寧に頭を下げ、きちんとお礼の言葉を述べていた。


「クリスティさん。回復されて良かったですね。これも神のお導きですよ」


 ナタリアはあくまで謙虚に、彼女にそう言って優しい目を向けてくれた。


「ナタリア。本当にありがとう。自分でも勝手だとは思うが、こんな私のために」


 マルークのお礼にも、彼女は微笑みを浮かべ、


「いいえ。将来のあるクリスティさんのためですから。当たり前のことをしたまでです」


 そう言った後、続けて、


「マルーク。あなたとゆっくりお話ししたいのです。この後、少しお時間をいただけますか?」


 そう言って彼を、司祭の執務室へと誘った。


「私は構わないが、司祭様はお忙しいのではないか?」


 マルークの返事に、彼女は厳しい表情を見せた。


「当たり前です。私はクリスティさんにして差し上げたように、一人でも多くの方を救いたい。ですが、あなたはこの五年、すべてに背を向けてこられた。それに本当に終止符が打てるなら、もっと多くの人々を救うことが出来るかもしれない。そう思っているのです」


 真剣な目で彼を見詰めるナタリアに、マルークは彼女もまた、何かを感じているのであろうことを直感した。


「ナタリア、今日は、あなたにお礼を言うために伺ったのだ。そのあなたから話があるとおっしゃるのなら、聞かせていただくよ」


 彼の言葉に、司祭は息を吐くと、二人を案内して、聖職者たちが立ち働く、聖堂とは別の建物へと向かったのだった。

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